shin-1さんの日記

○生協の常勤役員さんが人間牧場訪問

 えひめ生協の大川理事長さんに会ったのはもう20年も前のことです。地域づくりの出発となった雪の集会が道後文京会館で行われた時、当時生協の理事長さんだった立川百恵さんとご一緒でした。以来何度か思わぬ所でばったり出会ったりでしたが、今年の研修会に講師として招かれてから再び急接近し、非常勤理事まで引き受ける羽目になってしまいました。以来担当の尾崎さんを介して理事会や研修会で出会い、今回も尾崎さんから常勤役員で人間牧場への打診があり、快く引き受けました。ところが運の悪いことにこの日は朝からぐずついた天気で、午後2時の待ち合わせ場所である下灘コミセン前広場に到着した頃はかなりの雨足で、よほど運の悪いグループだと思いつつ理事長さんと松本専務さんを私の車に乗せ、出発しました。多分後続の2台に乗った方たちからは「どこへ連れて行かれるのだろう」と心配話に花が咲いたことでしょう。曲がりくねった道、細い道の連続を過ぎて到着したら、外はまた濡れるほどの雨で、ウッドデッキにも出れず、魚梁瀬杉のテーブルの回りに陣取って、私の話を熱心に聞いてくれました。

 私の話は、ひごろ話さないまちづくりの裏話や失敗談に終始し、約1時間30分も喋り続けました。人間牧場の構想から建築に至るまでのエピソードとこれからの計画について。自分の発想の原点は一体どこにあるのか。これまでの長いまちづくりの実践で失敗した出来事から何を学んだか。町の広報240号の発行プロセスで書くことを覚えたこと。結婚式の司会537組の実践で学んだプロデュース能力。第14回NHK青年の主張による自信が喋れる男に成長させたこと。毎朝早朝5時からのシーサイド公園砂浜を12年間掃除したことが認められて観光カリスマに選ばれたこと。100人全てが賛成することはやっても意味がないこと。トラブルは逃げると追いかけてくることやトラブル解決能力。人生の生活設計。失敗から学ぶ成功術などなど、思いつくままに話しました。8人の参加者は席を立つこともなく身を乗り出すような迫力でじっと聞き入っていました。役に立ったかどうかは疑問ですが、早速松本専務さんからお礼と感想のメールが届いていました。早くて嬉しい反応です。

 生協の組合員さんの多くは生き方に芯がある人が多いようです。ですからしっかりと自分の主張が出来ます。これを反対意見ととらえ煩わしいととるか、その意見に耳を傾け真摯に対応するかは執行部の姿勢一つで決まります。そして正しい対応が出来たとき組合は信頼され充実と成長をしてゆくのです。

 この日の天気のように今の日本は景気が上向いたといいながら何か不安の火種がくすぶってるような気がします。しかしこの天気もいつかは晴れて穏やかな日々が戻ってきます。ですから「天に向かってブツブツ言うな、雨の日には雨の日の仕事がある」と考えて今日一日を一生懸命やることなのです。

 この日人間牧場水平線の家へやって来た理事長以下の常勤役員は若くて優秀なスタッフとお見受けしました。組合員のためにいい仕事をして下さい。くれぐれも目線は組合員の健康と幸せなのです。

  「雨が降る 自慢の夕日 見えずとも 心に太陽 唇に唄を」

  「細い道 何度か通れば 広くなる 行きと帰りは 同じ道幅」

  「理事長も 粋な計らい するものよ 寸暇惜しんで 心耕す」

  「霧晴れて 一瞬港 見え隠れ チャンス逃せば 次は見えぬぞ」 

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shin^1さんの日記

○隠れた歴史を学ぶ

 私たちの身の回りにはスポットも当たらず苔むして忘れ去られようとしている隠れた歴史がいっぱいあります。例えば道端に建っている記念碑などはその典型で、日ごろ何気なく傍を通ってその存在は知っているものの、「誰が何のために建てたのか」までは知らないし、それを知ろうと思っても「誰に聞けばよいのか」や「どんな文献に紹介されているのか」さえも知らないのです。そんな単純な疑問質問に答えてくれるのが郷土史や地元の歴史家なのです。双海町という町が昭和30年に誕生しておおよそ50年が経ちましたが、双海町と名の付く郷土史は明治100年を記念して編纂された昭和45年に発刊された「双海町誌」と合併前の平成17年に発刊された「改定双海町誌」があります。双海町が誕生する前に手書きの「下灘村誌」「上灘町誌」が3冊発刊されていますので都合5冊しか双海町に関する専門歴史書はないのです。しか手書きの3冊は役場に保管されていて研究のためでないと借り受けることも出来ない訳ですから2冊の「双海町誌」に頼るしかないのです。私は幸いなことにこの2冊の編纂に関わりました。昭和45年当時は歳も若く補助的な存在でしたが、昨年発刊されたものは教育長という職責から編纂委員長として深く関わりました。私は基本的に歴史は大好きです。しかし他の編纂委員を務められた方々のような深い洞察や知識もないのですから、ただ好きというだけの素人なのです。

 先日史談会の現地学習会に参加しました。玉井琢磨という人を顕彰するため建立している記念碑を解読するためです。臨済宗東福寺派の禅寺慶徳寺に集まって玉井琢磨の位牌にお経を唱えた後、早速お寺の和尚さんの話や中島史談会長、磯田副会長、西岡さんの話を中心に興味ある話を随分聞きました。このお寺には中世以来の城主の位牌があったり、歴代の庄屋の位牌が祀られており、その一つ一つも解読して説明を受けました。

 早速雨のあがった現地に赴き、五輪の塔や庄屋のお墓、玉井琢磨の顕彰碑を見せてもらいました。歴代庄屋の中には碁が好きな人がいて、お墓の蓮華が碁盤になっている珍しいお墓もあって、現地研修でしか味わえない学びがありました。

 この日の現地研修の主目的は玉井琢磨の顕彰碑の文字の解読ですが、さすがに長年の風雪に耐えた石物は風雨に晒され苔むして判読が難しく、事前に磯田先生が判読して分らない部分を懐中電灯を当てたり地元の古老を知ってる西岡さんや中島会長さん、山口住職さんの助言を聞きながら皆で文字をなぞりながら調べて行きました。その結果玉井琢磨の顕彰碑を建てるのに関わったであろう殆どの人名が判読でしました。過去にタイムスリップしながら、一人の人間の生き方を焦点化して学び、それを記録に残したり間違いを正す作業は容易なことではありません。ましてや古文書を解読するには文字から始めなければなりません。パソコン文字にすっかりならされている私たちには、手こずる相手なのです。

 夕闇迫る頃、一通りの作業を追え解散となりましたが、二月に一度の学習会はやっと始まったばかりですが、これからの学習が楽しみで、出来るだけ日程を割いて参加したいと思っています。メンバーは少し年齢が高いものの益々元気な方ばかり、この会では中尾先生に続いて私は若い方のようです。若いということは歴史の重みが軽いということです。学び過ぎることはありません。しっかり人間の生き様を学びたいものです。

  「編纂が 縁で始める 歴史学 薀蓄揃いて 俺は新参」

  「苔むした 石に刻みし 名をなぞり 生き様さぐる これも楽しき」

  「分らぬが 分った時の 嬉しさは まるで子どもの 時のようです」

  「過去の人 偉い徳積み 石刻み 名前残せし 次の世代が」

 



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