〇叔母の急死は悲しい
12人兄弟姉妹の長男だった親父が亡くなって、早くも3ヵ月半が経ちました。それでも12人兄弟姉妹の威力は凄いもので、まだ連れ添いを含めると9人(叔父3人叔母5人)が健在です。しかし9人は私たちと同じように確実に一年に一つずつ歳をとって高齢化しつつあり、深夜等に電話の呼び出し音が鳴ると、最近親父のことがあっただけに、「もしや」と叔父叔母の安否が気になるのは当然の成り行きなのです。
昨日まちづくり集会を終えて帰宅し、風呂に入ってテレビを見ていると11時前、一本の電話がかかってきました。妻が電話口に出ると不安的中で、下灘の叔母が搬送先の大洲の病院で亡くなったという知らせでした。叔母は最近痴呆が進み、体力も弱ったので、止む無く中山の特養施設に入って余生を送っていましたが、昨日容態が急変し帰らぬ人となってしまいました。夫に先立たれ、息子を海難事故で亡くして人生の辛酸をなめ、気丈にも余生を生きてきましたが、ここにきてついに力尽きたようです。
早速実家近くの叔母方へ妻と二人で行き、亡骸の帰宅を待ちましたが、搬送車の手配に手間取り、帰宅は午前2時を回っていました。死んでわが家へ帰るのは淋しいもので、穏やかな死に顔はしていても、さぞ悔しかっただろうと、察して余りあるものがありました。息子は木材や建材などを販売する会社を経営していて、最近立派な自宅を新築しましたが、先日叔母を連れて帰り、家族水入らずの幸せな時間を過ごさせてあげたことが、何よりの親孝行のようでした。
実は今週末の土日を利用して、親族一同で京都方面へ旅行に行く計画がまとまって、みんな楽しみにしていましたが、叔母の死でこの計画も急遽取り止めることとなりました。私はあいにく子ども体験塾のプログラムが予定されていて、欠席の予定でしたが、また次の機会には是非参加したいと思っています。早朝3時に一旦帰宅し仮眠を取って通夜式会場へ叔母を送り出すため、11時に再び叔母の家に行き、生まれ育ち嫁いで長年暮らした下灘の地を後にする叔母を見送りました。
「突然に 深夜届いた 叔母訃報 親父に続き 寂しさ募る」
「ああ悲し 早朝2時に 無言にて 叔母の亡骸 ふるさと帰る」
「人間の 一生何て はかなきか 85才 生涯閉じる」