○百歳以上のお年寄り
百歳を越えたお年寄りが東京のある家庭でミイラ化して発見され、そのことが引き金になって地方自治体が調べ始めたところ、あちこちで所在不明の高齢者が相次いで、ちょっとした社会問題に発展しているようです。対処法とでもいうべきでしょうか地方自治体は何かなければ動かない実態も見えてきました。人間が生まれれば出生届、死ねば死亡届で人生は終わるのですが、その間未開地に住む人ならいざ知らず、税金や年金など生存すれば日本人には必ず義務と権利を行使するようなシステムになっていて、百歳を越えてもチェック機能が働くはずなのにこの失態は、行政の怠慢だとしか考えられないのです。
百歳を越えた人の所在が分からない自治体が責任回避とでもとれるように、相次いで記者会見をして責任者のような人が薄い頭をより低くして、詫びている姿をニュースでよく見かけるようになりました。多分記者会見の前の隣の部屋では、「私の責任ではないが一応頭を下げて、断わるそぶりをしないとマスコミに叩かれ、市民に叩かれるからこの場は平身低頭に・・・」なんて打ち合わせをして会見に臨んでいるような、そぶりも見え隠れするのです。
百歳を越えれば人間は先祖返りするように幼稚化すると言われています。つまり自分の意思で生きて行くことが困難になって介護が必要となるのです。そのため若い頃から介護保険に加入し、介護保険料を納めてその時期に備えるのです。ところが介護の現場は必ず身の近い子どもや親族がかかわるため、周りの人たちの意思の相違によって、高齢者の人生は翻弄されてしまうのです。
介護能力のある家庭の高齢者が特老に入り、介護が本当に必要な人が特老に入れないといった矛盾や不満の声を、かつて役所に勤めていただけに、不平や不満の矛先としてぶつけられることがよくあります。その都度問い合わせたり相談に乗ってあげるのですが、自分の非力を嘆くこともしばしばです。
東京都知事は消えたお年寄りのことを聞いて、まるで幽霊現象だと言っていますが、強権で知られる東京都知事なら、もう少し行政の怠慢責任を明らかにするような言葉が欲しいとテレビを見て感じました。
行政の怠慢は芋づる現象です。多分他の自治体に遅れまいと百歳以上の高齢者の安否確認が始まっていますが、芋づるの先にはとんでもない事実がどんどん出てくるようです。結局は芋づるの先にある親芋にたどり着かなければ、その原因も対処法も分からないのでしょう。
長寿を喜ぶ時代は終わったようですが、せめて人生の仕上げをもっと大事にしてあげるような、心の豊かな国日本になって欲しいと願っています。やがて自分も行く道だからだけではないのです。
今朝親父の隠居へいつものようにご機嫌伺いに出かけました。お年寄りの所在が分からなくなっているニュースを話題にして色々なことを話しました。このところ私が努めて親父に接近していることを嬉しく思うのか、私の息子たちにも早くこの家で一緒に住むように勧めてくれました。
昨日は扇風機と電子レンジが傷んだと、伊予市の電気屋さんに出かけて扇風機を買い、電子レンジは解凍と温めのスイッチミスで事なきを得たり、親父と付き合っていると色々なことがあるようです。まあこれも息子の仕事、親孝行だと思って身の回りの世話をしたいと思っています。
「百歳を 越えた老人 幽霊に 日本列島 慌てふためく」
「芋づるの ように次々 明るみに 行政怠慢 頭を下げる」
「老人を 大事に出来ぬ この国は 今に沈没 するかも知れぬ」
「エジプトの 話しと思う ミイラ人 豊かになりて 人もかまわず」