○更なる奮起を願っています
斜陽化する産業といえば大変失礼な話ですが、建設業界を思い浮かべます。私の町にも私が役場に勤めていた頃の全盛時代には、10指に余る中小の建設業者がしのぎを削って、公共工事を中心に頑張って仕事をしていました。私と同じような年代の若い社長は、33ナンバーの新車を乗り回し、週末はゴルフ三昧、時には韓国済州島へゴルフ旅行に出かけたり、年度末が終わると従業員を引き連れて旅行にも出かけていました。建設御殿といわれるような立派な家に住み、社長婦人もそれなりの身なりをしていました。夜はカラオケや松山の飲み屋に繰り出し、選挙の度に政治家の応援をしていました。全ての人ではありませんが、このように羽振りもよくって、安月給の私などは何処かみすぼらしい感じもしていました。
ところがバブルがはじけ、その後は公共工事が激減、経営が成り立たなくなって一軒二軒と倒産や夜逃げなどでその姿を消して行きました。堅実と見られた残った会社も方向転換できないまま、今もかなり厳しい経営を強いられているようです。
建設や土木業界が地域にもたらした経済効果は、今日まで莫大なものがありました。さして働く場所のない私たちの地域では、農閑期や漁閑期など日稼ぎ労働にはぴったりだったため、出稼ぎに出なくてもよい土方作業は、経済の循環によって大きな恩恵をもたらしてくれたのです。残念ながらその仕事もなくなり、今はシルバー人材センターなどの仲介する仕事で、細々と農作業以外の恩恵を受けているのです。
昨日は大洲の建設業協会女性部の総会があり、依頼を受けてお話に出かけました。ご多聞に漏れず建設業協会も厳しいようですが、皆さんは厳しさゆえに熱心で、「新しい発想で生きる」と題して90分お話をさせてもらいました。中には顔見知りの人や、事前にお葉書きまでいただいた人もいて、不景気風を吹き飛ばすような私の面白い話に、笑顔で対応していただきました。多分この集会に参加した人たちは会社やご主人の深い悩みの防波堤になっていることを思うと、その内助の功に心からなる大きな拍手を送りたいと思うのです。
物は考えようで、このところの不景気で業界の整理も自然淘汰的に進み、やる気のある人たちが残っています。また耐震などの基準が厳しくなって、古いものは立替を余儀なくされています。昔のような繁栄はないにしても、そこそこ頑張ればこの難局を乗り切ることができるのです。美しい日本を創るため建設業界に頑張ってもらいたいと思います。
「派ぶりよい 時代もあった あの頃は 今では斜陽 巡りめぐって」
「いつの世も いいことばかり 続かない しかし悪いも 続かないから」
「ブルドーザー そこのけばかり 動いたが 今は静かな 田舎に戻り」
「思い出す 日本列島 改造論 田中角栄 いずこにおわす」