〇叔母の葬儀あれこれ
今年のお節句は、急に亡くなった叔母の通夜や葬儀で明け暮れました。楽しみにしていた花見も長男家族の帰郷も、またぼっやん劇場からミュージカル正岡子規の観劇も、全てキャンセルとなって少々落胆しましたが、これも仕方がないことと諦め、深い交友のあった叔母の葬儀に心を込めて参列しました。
葬儀の仕方がそこそこの宗派によって異なるため戸惑いも多く、また見知らぬ親類縁者は余り居ないものの葬儀を出す家の思惑もあって、慣れぬことゆえ様々な発見がありました。
今回の葬儀は3日が友引だったため葬儀が一日延びました。ゆえに通夜を2日したような気持ちです。それでもかなり大きな家なので、差岩にも叔母は長年住み慣れた自宅で2日間過ごすことができました。寄り添うようにしていた叔父も恒例で病弱なため、誰もがその体調が葬儀中持つかどうか心配しましたが、幸い気が張っているのか思ったより元気で葬儀を終えることが出来たものの、残された叔父の行く末が気がかりなところです。死んだ叔母と残された叔父の姿をこの3日間ずっと見続けながらわが身に置き換え、夫婦とはいったい何なのか、また夫婦はどうあらねばならないかを考えさせてもらいました。
葬儀に行っていつも思うことですが、嫁の存在が少し気になりました。この家の嫁は病院の看護婦をしています。ゆえに5人の子ども、つまり叔母にとっては孫の子育てはおばが一手に引き受けてやってきたようにも思うのですが、それでも夢は仕事と糧の両立を考え一生懸命、親子の人間関係の狭間で気兼ねして生きてきたに違いありません。勿論今回喪主を務めた長男も嫁と親の間に立って気苦労も多かったことでしょうが、今もこれからもこの家を取り仕切るであろう嫁の存在は、葬儀の現場で見る限り少し隅に追いやられた感じがしました。娘や息子、叔父や叔母も大事ですが、長年苦労をともにして何かある度に喜怒哀楽を分かち合ってきた嫁にこそ、気を使ってやらねばならないと思いました。
葬儀には隣組内と称する24戸の近所の人たちが集まって通夜や争議の世話をしてくれました。しかし葬儀の仕方が昔と随分様変わりし、葬祭会館でするようになってしまったため、組内の役割は受付をする程度になってすっかり手を持て余しているようでした。墓穴を掘ることも、竹を切りに行くことも、葬儀道具を運ぶことも、ましてや葬儀の役付きを紹介するなくなって、近習の人間関係の希薄さの中で形骸化する様は、今後改善の余地があるとしみじみ思いました。さりとて妙案を出す立場にないため、自分の近所でこの話をすることは92歳の親父を抱えているだけに出し図来感じもするのです。しかし何はともあれ一考を要することだけは強く感じました。
昨年のアカデミー賞で脚光を浴びた日本独特の「納棺」の儀式を取り仕切る若い葬儀屋さんの姿を、この日はまざまざと見ることができました。死出の旅に出る叔母の遺体を、様々なしきたりに沿って指図しながら納棺する姿は神聖でした。
親父は年老いているため、通夜にも葬儀にも出ませんでしたが、前もって前々日連れて行きお別れをさせてやりましたが、自身の妹だけに気がかりだったようで、私たちが葬儀や法要を終えて帰宅したのは9時近くになったにもかかわらず起きて待っていました。この日の一部始終を報告してやり、やっと安堵の床に就いたようでした。
「あれこれと 何やかにやが 気になって 考えさせられ 葬儀を終える」
「葬儀では 何処か空しい 嫁立場 わが家だけでも 考えなくちゃ」
「納棺を 仕切る兄ちゃん テキパキと まるで映画を 見ているようだ」
「夫婦とは 一体何を 意味するか 二人で逝けぬ 死出の旅路は」
SECRET: 0
PASS:
死者を送る行事は 仏教のとき神道の時とか 宗派に寄って違いますね
先日、独居老人が亡くなったときは、お葬式無しでした。
嫌われてはいましたが、、こう言うのもあるんだ~
と ・・・なぜか心が軽くなりました(笑)
無しがいい・・とかじゃ~なくて
「ねばならぬ」・・・と言う思いが外れた様な???