〇進化せず退化する人
昨日は元町議会議員さんの叙勲祝賀会に招かれ、久しぶりに懐かしい顔々にお会いしました。出席していた人は4年前の合併でその職を失った方々が殆どでしたが、4年という短くも長い日時は老いという重い課題に直面していることを肌でしみじみ感じさせられました。
町議会議員の職を失った方は老いてもなお口は達者です。現職当時議会で舌戦をまみえたことを懐かしく振り返りながら、昔話に花を咲かせました。私などはそんなことを思い出す余裕もなく日々を過ごしているのですが、暇となった議員さんたちは昔を懐かしみ、「あのときこんな質問をして、地域振興課長だったお前はこんな答弁をした」などと克明に覚えているのです。
しかし、そんな元議員さんや元役場職員も政治や経済などの世俗と縁を切ったように思える今の暮らしからは、肝心な今の世の中の情報には疎いと感じずにはいられませんでした。ある元役場職員との会話は主に私の日々の暮らしへの質問でした。「お前は忙しそうに毎日過ごしているようだが、何で飯を食っているのか」と、まるで貧乏な私を見下したような言い方をする人もいれば、「お前は口先だけで弁当箱も要らず飯が食えるのだからいいのう」と、これまた私が評論家のようだと揶揄するのです。
私は少し腹にすえかねたので「飯を食うのは茶碗と箸で食ってます」ととぼけおどけてみせりました。リタイアして以来定職を持たないサンデー毎日の私が人の前で大ぼらを吹いて全国を歩き、霞を喰って生きているように見えるのは気に入らないのかも知れません。でも私だって3年半前に教育長という職を皆さんと同じように合併によって失職しましたが、あれから3年半の私の努力は進化は、学問や知識がないだけに相当努力したつもりです。多分集まった元議員さんや元役場職員の中では最も学習を積んだと自負するのです。元議員や元役場職員という肩書で飯が食えるほど世の中は甘いものではありません。それ相応の努力なしで生きれるものではないのです。
80歳の年齢を超え老域に達した元役場職員と話していて気が付きました。その人はインターネットもやらずある意味古い型の人間です。今でも原稿は鉛筆を削り消しゴムで敬しては書くような素朴な人ですが、その人にもその人の人生があるものの、私たちと情報という世界においては少し次元が違うような印象でした。昨日の新聞にシニア向けサイト「自悠くらぶ」の広告記事が出ていたのを見つけたそうです。「自悠くらぶ」とは一体何か、シニア向けサイトとはなどなど、いくら説明してもチンプンカンでした。最後は「お前は偉い。学校で習ったこともないパソコンを独学でマスターしたのだから」と持ち上げてくれましたが、これほど溢れた情報の中で暮らしていると、彼のようにインターネットなどの煩わしい情報に惑わされず生きれる道を選んで生きることも得策かも知れません。しかしそれでは若い世代とコミュニケーションがとれないことも事実です。
彼がぼそりとぼやく「今では情報も少なくなり、人と出会うことも少なくなった。このままだとおじ捨て山だ」という言葉は、私のこれからの生き方に大きなアドバイスだったように思うのです。つまり人間は情報と人間に出会わなければ退化するということです。と同時にリタイアしてからこの3年半、情報を求め人を求めて生きてきた進化の生き方がこれからの生き方でもあるのです。いい生き方、いい進化をしようと心に誓いました。
「何で飯 食ってる言うから 茶碗箸 まるで落伍だ 座布団一枚」
「弁当も 持たず口先 飯を食う 俺を見下し ある人曰く」
「進化止め 退化の道を ひたすらに 生きてる人の 多いびっくり」
「元などと 名乗ってみても 誰ひとり 偉い人だと 思う人なし」