shin-1さんの日記

○報徳を忘れることなかれ

 「自分は一生懸命生きてきました。またそれなりに社会のお役にも立ってきました」と、自分の過ぎ越し半生を自分を中心にして考え思うのですが、はてさて自分とはいったい何者なのでしょう。自分は父母から生まれました。ゆえに父母なしではこの世に存在しなかったのですから、まず父母に感謝しなければなりません。その父母が体の根本を作ってくれ、その土台の上に自分が健康を作ってきました。「這えば立て立てば歩めの親心、わが身に積もる老いも忘れて」の言葉通り親は一種賢明育ててくれたのです。「産んでくれといった覚えはない」などとこざかしいことを言うことなどもっての外です。

 私たちは縁あって結ばれ子どもを四人産み育てました。子どもたちがどうにか学校を出て世の中で働くようになれたのは、私たち夫婦の丹精努力だと思います。健康で一生懸命働いて生きてこれた夫婦の丹精に感謝します。わが家は祖父母や両親の時代から先祖代々貧乏でした。時には金持ちを見て羨ましいと思った時もありましたし、財産のなさを嘆きましたが、それでも正直に生きて働き、人様に迷惑をかけるなという根本的な教えを守って生きてこれたのは先祖の勤勉姿勢に感謝です。

 私は親の病気もあって高校しか出ていません。時には学歴のなさが自分の地位を上げれないと思いましたが、「勉強は何処ででもできる」という親父の口癖を守って学習歴を積み重ねた結果、読み書きソロバンも一通り出来て、社会生活では別に困ることもなく生きれるのは父母の教えのお陰で、父母の積善に感謝します。

 子どもが四人いますが、既に二人は結婚して孫が三人生まれ育っています。孫の成長を見るにつけ自分もしっかりせねばと進化を誓うのです。リタイアした私に進化などないかも知れませんが、それでも勤労してしっかりと生きている姿を見せたいのです。自分の勤労な生き方に感謝します。

 わが家は豊かでもありませんが、それなりに衣食住が整い、着るものも住む所も、また三度三度の食事もつつましやかながら今のところは保障されています。契約社員のいきなりの退職勧告などが問題になっていますが、衣食住があることすら私たちは忘れ、やれ年金が多いだの少ないだの騒いでいますが、衣食住への感謝を忘れてはなりません。幸いわが家では最低限の野菜は家庭菜園で、魚は親類からいただき毎日感謝しながら味わって食べています。田畑への感謝・海への感謝も忘れてはなりません。今年は去年健康で働いて得たささやかな利殖蓄財が経済的なゆとりを生んでいます。昨年の勤労への感謝も忘れてはなりません。また来年のために少しずつではありますが蓄えておこうと妻はソロバンをはじいて無駄を省いています。今年の勤労への感謝もあるのです。


 こうしてみると、どれほどのものにどれほどの感謝をしなければならないか分かりませんが、感謝して生きることの意味が少しずつ分かった今になって、報徳の教えを読み返してみてなるほどと思うのです。


  父母ノ根元ハ天地ノ令命ニ在リ

  身体ノ根元ハ父母ノ生育ニ在リ

  子孫ノ相続ハ夫婦ノ丹精ニ在リ

  父母ノ富貴ハ祖先ノ勤功ニ在リ

  吾身ノ富貴ハ父母ノ積善ニ在リ

  子孫ノ富貴ハ自己ノ勤労ニ在リ

  身命ノ長命ハ衣食住ノ三ニ在リ

  衣食住ノ三ハ田畑と山林ニ在リ

  田畑ト山林ハ人民ノ勤功ニ在リ

  今年ノ衣食ハ昨年ノ産業ニ在リ

  来年ノ衣食ハ今年ノ艱難ニ在リ

  年々歳歳二報徳ヲ忘ル可カラズ


  「読み返す 程にわが身が 恥ずかしく 感謝の心 思い起こして」

  「報徳の 教え未だに あせもせず これから先も 教え守って」

  「先祖俺 子ども孫へと つなぎたる さらに自然 までもつながり」

  「感謝して 生きれば楽し 人生も 不平不満じゃ つまらぬものぞ」

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shin-1さんの日記

○天気一変

 今朝は朝から雷がゴロゴロ鳴るし、風は強くなるし大変なオ荒れ模様の天気です。多分寒冷前線が四国地方を通過するためのいたずらでしょうが、どうやらこの雷は北国で言う雪を呼ぶ前触れのようなシグナルだと思うのです。師走に入っても連日15度以上の温かくて穏やかな日和が続いた反動で、多分これでやっと今年も冬になるに違いなく、夕方からは北西の季節風が強くなるに違いないのです。

 そんな天気の短期予報もあって昨日は半日人間牧場へ出かけました。灯油を風呂ボイラーやストーブに満タンにしたので、今月10日の地元女性の来牧場に備えて、ロケーション風呂のボイラーにも給油することも仕事です。仕事といっても18リットルのポリ容器一つあればほぼ満タンになるのです。このボイラーは中古で地元の水道屋さんから無償で譲り受けたもので、今年の春にはボイラーとタンクをつなぐホースが劣化断裂して灯油が漏れ出し、痛い目に逢っているので慎重に給油をしました。その後ホースを真鍮のパイプに変えたため大丈夫なのですが、何故か気になるのです。

 その後鋏と鎌を持って人間牧場の周辺を見回り要らぬ小枝を取り除いたり、ススキの株を刈りつけ、ぶるーべりーの下草に敷き詰めたりしながら時を過ごしました。今年の秋の草刈りは万全だったようで、その後は草も伸びておらず、このまま冬を越して春を迎えられそうです。梅林の木々もすっかり葉を落とし、栗の大木のみが紅葉をまとっていました。

 人間牧場の周りにはハゼが沢山あって、海岸沿い故に今頃綺麗な紅葉が楽しめるのです。

若松進一ブログ

 このハゼも夏には蔓が巻きついて放っておくと枯れる運命にありましたが、夏の暑い時期にこまめに登ろうとするカズラを切ったお陰で美しい紅葉を楽しめるのです。これ以外にもツリーハウスの周辺にはハゼの木が何本かありますが、カズラの餌食になって美観を損ねているようです。来年は是非のもカズラをしっかりと切り、秋の紅葉を楽しむイベントでもやりたいと思っていますが、夏になると延びる草やカズラの勢いに押されて、手に負えないのかも知れません。

若松進一ブログ

 昨日の海は嵐の前の静けさとでも言うべきか穏やかで、眼下に見える豊田漁港には漁を終えて帰る漁船が、エンジンの音も軽やかにひっきりなしに入港していました。長閑な港の風景を見ていると、何ヶ月か前原油の高騰で全国の漁師さんたちがストライキをして出漁しなかったことを思い出しました。今は原油の値段も下降を続け値上がり前の水準に戻っているようですが、世の中の不況を反映して、魚の値段が安いと漁師さんたちはこぼしていました。

 私もこの港を根城に18歳から25歳までの7年間漁師をしていたこともあって、何故かこの風景が大好きなのです。港の風景もあの頃とはすっかり様変わりをしていますが、港の沖合に見える島影などは太古の昔から変わらない姿だと思うと、少年のころにこの山から見た姿とダブって見えて、死んだおふくろや、処分した若吉丸を思い出すのです。昔日の思い出に浸る余裕もなかったこれまでとは違い、回顧する気持ちが出来たのは加齢のせいかも知れないと一人納得しながら、背もたれ椅子に体を沈めウッドデッキで本を読みながら少しの間転寝をしました。

 

  「背もたれの 椅子に体を 沈めつつ 転寝楽し 至福過ごしぬ」

  「師走だと いうのに赤い ハゼ紅葉 誰も愛でずに 散るはかなさよ」

  「七年も 眼下の港 出入りした 懐かし日々は 未だ帰らず」

  「思い出を 持てる幸せ 感じつつ 沖合い浮かぶ 島影眺め」

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