shin-1さんの日記

〇看護部長・教務主任協議会に招かれて

 今日は朝からソワソワしていると妻に冷やかされました。それもそのはず、最近は一昨日のいっぷく亭といい、昨日の奥東地区の女性会の人間牧場来訪といい、やたらと女性の集会が多いのです。ましてや今日は看護師さんの集まりに招かれたのですから、昨日は散発までして男前を上げた気持ちが分かったと、嫌味を言われました。少々いやみを言われようとやはり私も男ですから、苦虫を噛み潰したような男に会うよりは少々高くても年齢女性の方がいいのです。しかしつい最近は女性も強くなって、少し変な話をするとやれ「セクハラ」だのと言われそうなので、気にしながら発言するのが最近の男の身だしなみですから、多少は注意しているのです。

 今日は私が委員を務める愛媛海区漁業調整委員会の定例会があって、日程調整の結果私の予定とダブってしまったため、午前中だけ委員会に出席して、講演会に出させていただきました。会場となった愛媛看護研修センターはカーナビで入力すると県民文化会館の近くなのですが、もしその場所が違った場所だと困るので、えひめ地域政策研究センターに所用でで立ち寄ったついでに調べてもらい、水産会館へ出かけました。今日は漁業権の諮問事項が沢山あって、漁業権についてはかつて役場で水産を三年余り担当した経験があるので理解できるのですが、久しぶりの会合に多少の戸惑いを覚えました。それでも12時30分までの公聴会説明がスムースに行われたため、宇和海分の審議は午前中に終わり、途中で中座する心のわだかまりもなく、会場を出ることができました。

若松進一ブログ

 午後1時からの研修会での講演会場はカーナビが示した場所にありました。会場には顔見知りの方もいて少々気が引けましたし、2時間という比較的長い話なので、最初はゆったりとした口調で話すよう心がけたつもりでしたが、団残時間が押してきて、最後は早口の話となってしまいました。

 今日の会場はマイクの響きが抜群だし、参加した人の意識も高いのかもう割れんばかりの大爆笑の中で打てば響き、いい雰囲気の盛り上がりを見せて終わりました。

 私を呼んでいただいたきっかけは次男の通っていた看護学校の先生でした。ゆえに息子に迷惑をかけないようにしたいという思いもありましたが、結果的には良かったかどうか、少しだけ心配しています。これを後の祭りというのでしょうが、帰ってから今日の出来事や、先生に出会ったことなどを電話してやりました。

若松進一ブログ

 長い一日の最後は道後のホテルでの調整委員会の忘年会でした。今日は水産に関わる団体長も姿を見せられ、久しぶりに色々な人に巡り合いました。新参者の委員ですがそれなりのスタートができたと喜んでいます。

 今日も走るがごとく有意義に使って長い一日を終わりました。とても充実した一日でした。今日もかくてありなん。明日を思いわずらうです。いい一日に感謝しつつ夜の道を妻の待つわが家へと車を走らせました。

  「お父さん 今日はソワソワ 楽しそう 女房焼くほど 亭主モテもせず」

  「今日もまた 女性に会うか 楽しいな 俺も男だ プラトニックラブさ」

  「働きが 足りぬとばかり 張り切って オーバーワークで 走り続ける」

  「知り人が ここにもいたか 世は狭い 話す内容 少し意識し」

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shin-1さんの日記

〇太陽なお母さんに黄色信号

 このところ、寝つくほどの重症ではないにしても妻の体調が思わしくなく心配しています。多分風邪気味と一年の疲労蓄積が重なったのでしょうが、一昨日は肩がこったようなので病院で注射を打ってもらい随分楽になったといっていました。

 どこの家庭の女性もそうでしょうが、妻は夫の私が言うのも変な話ですがまるでロボットのようによく働きます。女・妻・嫁・母・姑・職業人・ボランティア人などなど、まるで千手観音のような働きぶりで私をはじめ家族のために働きづめに働くのです。妻は近所の歯医者さんにパートで勤めるようになってもうかれこれ20年になりますが、その職場の同僚だった女性が、娘さんの急逝によって急に辞めたため新しい方が採用されて一緒に働いているのですが、少し仕事が重すぎるような感じがしています。病院の休日は日曜日だけなので、土曜日の夕方から長女の家族や長男の家族が泊まりに来るとその世話までのしかかり、孫の来訪が楽しみとは言いながら姑の苦労も並大抵ではないようです。日曜日に家族が増えると妻の休みは家族のために塞がれ、結局妻は働きづめとなってしまうのです。そのことは娘も息子も承知していて、来るときは妻の体調を気遣って電話をして予約が入るのです。

 今年90歳になる親父の世話も少し気になるところです。親父は自分で何でもできるといいながら、同じ敷地内に住んでいるので、夕方4時過ぎには夕食の準備をしてやらなければなりません。夜間診療のある日妻は4時ころに一時帰宅し親父の夕食を作り運んでから再び病院へ引き返します。ゆえに昼間の休憩時間しか休めないのです。また長男の嫁であるがゆえに仏事も毎月21日のお大師様接待と称する赤飯づくりももう30年近くになりました。まあこうして述べてみると、救いは私が酒をやめたため迎えに行く役割がなくなったことや、酒飲みの友人が余り来なくなったためその世話が減ったことぐらいで、後は今も昔も妻の仕事量は減っていないのです。


 私より一歳下ですから妻ももう63歳になりました。本当ならリアイアしてもおかしくない年齢です。体力の衰えも少し感じるというようになりました。これまでは自分のことばかり考えていた私ですが、このところの妻の体調不調を機会に、妻の健康や仕事の量についても考えて、少しでも手助けができるようにしなければならないと思いました。二日前私は妻のためにお粥を炊きました。お粥を炊いたといっても、米をひとつかみハイザーから取り出して手鍋に入れ、米を洗って水を注ぎ火にかけただけのシンプルな料理です。炊き上がったお粥を茶碗によそって梅干しを乗せ、先日妻と二人で作った沢庵を樽から取り出して切り、食卓に乗せただけなのです。「まあ珍しい、雨でも降らなければいいが」と前置きし、「お父さんも優しいのね」と褒めてくれました。「バカ野郎、俺だってやるときにはやるのだ」と減らず口を返して夫婦で大笑いしてしまいました。

 妻の歯車が回らないとわが家は歯車が回りません。妻の体調不良が早く良くなるよう祈っています。


  「妻一人 不調訴え 家の中 暗くなるから 不思議なものだ」

  「俺の妻 油もささず 動くから 酷使したため 近頃ガタが」

  「俺の妻 まるでゴム紐 切れもせず 何時の間にやら 伸びたままとは」

  「お粥炊く 出来たぞ食べろ 枕元 梅と沢庵 添えて食べさす」 

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