shin-1さんの日記

○秋の夕日に照る山もみじ

 今日は松山工業高校の100周年期成会の役員会というのがあって、出かけて行きました。「お父さん、よく行く所があるねえ」と妻に感心してもらいながらの外出です。妻が言うように自分自身でも「よう行く所があるなあ」と感心するのです。松山工業高校は来年100周年を迎えます。この区切りを大切にしようと期成会が結成され、私は現職でもないのにPTA会長を6年もやった物好きな関係からでしょうか顧問に祭り上げられ、これまでの役員会には全て参加して意見を述べているのです。この会に集まる人は同窓会の役員と学校の先生方、それに現職のPTA役員の方々ですが、同窓会の役員はかなり歳を召した方が多く、若い先生たち集団と、どっちつかずの私たちのような中間層で構成されているため、意見の相違が歴然としていて、意見が行ったり来たりの堂々巡りが多いようなのです。それはそれとして仕方がないのですが、これまで何度も積み重ねてきた会議をぶち壊すような意見も飛び出して、関わった方々からはブーイングが起こりそうな雲行きもあって、はらはらしました。

 「この若造が何を言うか」と思われながらも私は会議では必ず意見を言うたちなので、積極的に意見を述べています。今日は記念式典の時の記念講演の講師の選定をめぐって長時間を費やしました。結局は私たちの意見が通って決定はしたものの、会議の方向未だ定まらずといった感じです。

若松進一ブログ

 会議が終わって昨日と同じように夕闇せまる道を引き返し、家に帰って車を降りて辺りを見渡すと、昨日から師走に入って暦的には初冬で秋の夕日ではないのですが、秋の夕日と同じような真っ赤な夕日が双海町のシンボル本尊山のもみじを真っ赤に染めているではありませんか。

 思わずデジカメを取り出し裏庭に駆け上がりその美しい残照に輝く風景を一枚撮りました。いやあ実に見事でした。思わず童謡唱歌である「もみじ」という歌を歌いました。

    ♭秋の夕日に照る山もみじ

      濃いも薄いも数ある中で

      松をいろどる楓や蔦は

      山のふもとの裾模様♯


 ふるさとは遠きにありて思うものというけれど、自分の身近な場所にこんな綺麗な原風景があるとは、今の今まで気づきませんでした。私たちの暮らしの中には借景と呼ぶにふさわしい風景が存在しますが、いつの間にか日々の暮らしに慣れて当たり前の風景としてしか自分の目には映らないのです。

 この何気ない風景の中で私は双海町の海に沈む夕日の美しさに気づき、その夕日を地域資源にしてまちづくりをやってきました。多分これからも、今まで気づいていなかった部分から新しい発見があるかも知れないのです。

身近な人、身近な風景、身近な暮らしの中に新しい発見をするよう心がけて生きてゆきたいと思っています。


  「庭に出て 始めて気付く 夕暮れの 本尊の山の 美しきかな」

  「朝夕に 見続けている 山々の 紅葉夕日が 照り映え綺麗」

  「会議終え 帰りしわが家 ホッとする 外は紅葉で 中からお帰り」

  「このところ 天気続きで うららかな 初頭の日差し 干し柿照らす」


 


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shin-1さんの日記

○得意が違う妻と私

 私の妻はパソコンをやりません。パートで務めている歯医者さんでは仕方なく仕事でパソコンをいじっているようですが、「家に帰ってまであんな難しい道具を触るのは嫌だ」というのが本音のようです。ゆえに私がこのパソコンを使い、妻の悪口を少々書いても妻の目には触れることもなく、書きたい放題、言いたい放題というのが実態のようです。でも谷岡和美さんなど私の友人の女性から素敵なブログ文章やメールが届く度に、私の妻の情報的遅れを気にするのです。今は務めているから町内の情報は歯医者さんのロビーでのお客さん同士の会話で驚くほど知っています。しかい今にその職場を辞めると情報御地になるのではないかと思ったりするのです。機嫌の良い時にその話をすると、「そのうち仕事でも辞めて時間ができたらするわ」と軽くいなされます。

 私の場合もパソコンをいじり始めてそんなには経っていませんが、パソコンをいじることが下手くそな私にとってさえ、パソコンは重要な情報発受信の道具となっていて、パソコンなしでは生きていけないとまでは行きません、そのくらい重要な役割を果たしていることは間違いないのです。

 私の妻は数字に強く、電話番号でもかなりの数を暗記していて、息子娘への連絡や親類への相談など、番号簿を見なくても平気で間違わず通話しています。また高校が商業科だったこともあってソロバンや簿記は自慢するほどでもありませんが、まあ得意な方だと思われます。そんな妻のお陰でわが家の経済的基盤は貧乏ながらも何とか火の車になることもなく、度重なる危機を乗り越えてきました。若いころ家を建てた時も、子育てによる教育費のねん出も、また安月給ながら家計のやりくりができたのも全て妻の努力の賜です。やはりわが家の一番の功労者は妻だと思っています。おっと、こんな美辞麗句のような、そして歯の浮くような褒め言葉をいくら並べても、このブログを目にすることのない妻にとっては馬の耳に念仏といったところでしょうか。

 その妻がこの2~3年凝っているのが、ビデオの操作です。これまでのようなテープによるビデオでなくCDで予約録画できるのを買ってから、盛んに使ってビデオを楽しんでいるのです。例えば相棒という今流行りの番組や人生の楽園などなどに加え、妻の妹からアガサクリスティーのサスペンスを借りたりして観ていますが、お陰で私のチャンネル権はまるでないのです。

 たまにこの番組が見たいといえば別の部屋のテレビを見るように言われたり散々ですが、まあ犬も食わぬ妻の楽しみですから、テレビくらいは妻のいいなりにしたいと思っていますが、何年か後にアナログからデジタルに変わるタイミングをとらえて、このチャンネル権を奪い返すか最低共有にしたいと手ぐすね引いて待っているのです。しかし数字やチャンネル操作に強い妻には争う前から敵いっこないと白旗用意ともとれる不安がよぎっているのも事実です。


 毎日湯水のごとく入ってくる情報は今や盃とも丼とも思われる私のような小さな器には盛りきれず、溢れ放しのようですが、そのような情報の中から必要情報や重要情報を取り出し加工することは容易なことではありません。妻の情報処理能力が丁度良いのかもしれないと、私と妻を足して2で割ったらいいのだと、夫婦のレベルの低さを諦めている今日この頃です。

  「今朝書いた ブログも知らず 妻今日も 違う世界で 情報拾う」

  「妻と俺 足したら丁度 いいのかも 得意違って 補い合って」

  「チャンネルは 妻のものだと 諦めた デジタル放送 今に見ていろ」

  「数字には めっぽう強い 妻の前 嘘もつけぬと 嘘をいいつつ」

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