shin-1さんの日記

〇私の10大ニュース

年賀状を作る都合があって、私の10大ニュースを2008年Writing Calendarをめくりながら拾い出してみました。

 ●2月20日  県政発足記念の県政功労者として栄えある表彰を受けました。これまでにも色々な賞をいただき

          ましたが、もうこれが最後かもしれませn。

 ●3月7日   この一年で一番遠い秋田県能代市へ講演に出かけました。この一年100回を超す講演を行いま 

          した。


 ●4月12日  21世紀えひめニューフロンティアグループ(私が代表主宰)の研修旅行で世界遺産熊野古道を

          旅しました。グループでは今後も世界遺産を巡る旅を続けたいと意気込んでいます。

 ●6月13日  長年の恩人である奉仕財団の関会長さんが藤原さんとともに人間牧場へ来牧されて見学し、旧 

          交を温めていただきました。

 ●6月29日  シーサイド公園が恋人の聖地百選に認定され、記念イベントとして結婚式などを開催したり、モニ 

          ュメントを設置したりしました。

 ●8月23日  はからずも愛媛海区漁業調整委員会委員に選任され、今後4年間漁業振興のお手伝いをするこ

          とになりました。

 ●10月18日 第10回総理府派遣青年の船班長会が私が主宰し松山市で開きました。31年前太平洋をにっぽん  

          丸で航海し建国200年のアメリカへ行った懐かしい思い出が蘇ってきました。

 ●11月13日 地域づくり団体全国研修交流会愛媛県大会が宇和島市を主会場に県下15会場で開かれました。

          大会の実行委員長を務めました。第15分科会を双海でも開きました。

 ●11月1日  島根県松江市で全国夕日サミットが開かれ、私が基調講演とパネラーの重責を務めました。

 ●12月9日  年輪塾ネットが44名参加のもとスタートしました。来春にはオープンセミナーも開塾する予定で

          です。


 こうしてみると今年も色々なことがありました。叔父である親父の弟も4月に亡くなり寂しい限りですが、来年5月には長男の第2子が誕生予定など明るい話題もあり悲喜こもごもの若松家です。大海を泳ぐマグロのように人間は社会と時代の荒波を泳ぎ続けなければなりません。来年もいい青春の履歴書が書き込まれるよう自分自身に言い聞かせています。

  「俺流の 十大ニュースを 拾い出す 今年も色々 明暗あった」

  「『そういえば』 そんな言葉で 過去となる 二度と帰らぬ 今年一年」

  「年輪に 例えるならば 一刻み しれたものだな たかが一年」

  「今が過去 明日が過去に 早変わり うかうかすると 人生全て」 

                   

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shin-1さんの日記

〇楽しかったコープえひめの忘年会

体の都合でお酒を全然呑まなくなった私ですが、師走に入ると会合に何だかんだと言い訳をつけて、忘年会の案内があちらこちらから舞い込みます。指折り数えてみると両手の指が全て折られてしまうほどすさまじい数です。昨日朝食の時妻が「お父さん、今日も夕食は要らないの」と聞くのです。「うん」とうなずくと妻は台所の残り少なくなったカレンダーを見て、「そういえば今月は殆ど家で夕食をしていない」と、少し不満げでした。そういえばそうだと納得しながら、「それでも昔のように迎えに来いと言わないのだからこらえなければ・・・」と追いうちの言葉をかけました。そう、酒をたらふく呑んでいた昔はたとえ午前様になろうとも公衆電話で家へ電話して迎えに来てもらっていたのです。私の妻のことをいつの頃からか友人たちは「10円タクシー」と呼ぶようになっていました。当時「10円タクシー」は帰り道をいいことに呑み友達を送迎したり、呑み足らない食い足らない私のわがままで飲食店に寄ったりと、わがまま放題に妻を使っていたのです。酒を飲まなくなってさすがに「10円タクシー」は姿を消しましたが、それでも夜の呑み会は留まるところを知らず、妻は今月も寂しい一人だけの夕食を食べているのです。

 昨日はコープえひめの理事会が本部でありました。理事会は早く終わったのですが、忘年会は午後5時から西堀端の東京第一ホテルでの案内でした。久しぶりに少し時間が取れたので、あちらこちらへ年末のご挨拶にでかけました。日ごろ見慣れた光景の松山の街もすっかりクリスマスや師走のムードで、不景気といいながらやはり華やいだ雰囲気でした。

 東京第一ホテルの立体駐車場に車を止めホテルのロビーへ入ると結婚式案内のカウンターで、双海町出身の女性職員に声をかけられました。今は社長が亡くなり廃業した武田電業の娘さんです。そういえばこの女性職員の兄さんの結婚披露宴の司会もしたなあと思いだしつつ懐かしい思い出話をしました。受付で駐車券に押印してもらい会場となっている2階へ上がり、受付で席くじを引き17番の指定席が決まりました。メインテーブルです。席には見慣れた女性理事さんが陣取り、大川理事長さんの今年締めくくりのご挨拶をいただき、乾杯で忘年会は始まりました。理事長さんの挨拶を聞きながら、そういえば今年も色々あったなあとコープをめぐる中国餃子事件などを思い起こしました。自分自身にとっては比較的穏やかな、それでいて忙し一年だったと述懐しました。

若松進一ブログ (私のテーブルの理事さんたち)

若松進一ブログ (美味しかった料理)

 やはり女性が主導する忘年会は微細に凝っていて、色々な催しが企画され食事をしながら楽しい会話が飛び交いました。またクイズやお楽しみ抽選会も行われ、2時間があっという間に過ぎました。

若松進一ブログ (楽しいクイズ)

 最後は松本専務さんがあいさつとまちづくり締めでお開きとなりました。松本専務さんはいつも私のつたないブログを読んでいるようで、そのせいでしょうか会えば会話が弾み意気投合するのです。この夜も短い会話でしたが、温かい握手をしました。

若松進一ブログ (今年を締めくくった松本専務さん)

 追伸

 私はこの夜、大川理事長さんの勧めで余興としてアドリブでハーモニカ+ショート落伍をやりました。飲むほどに酔うほどに盛り上がっていた会場の雰囲気を壊すこともなく、まあいいかと思いつつ、相変わらずの馬鹿げた出し物でお茶を濁してしまいました。この日コープ四国の梶原専務さんがコープ徳島に出向する人事が発令され忘年会で送別しました。新任地でも今まで通りご活躍されんことを祈っています。


  「『今晩も 私一人で 夕食か』 ため息交じり 妻の一言」

  「大川の 荒波けたて コープ船 今年何とか 岸漕ぎ渡る」

  「花束を 受け取り去りし 人ありて 新任地での 活躍願う」

  「指折れば 十指に余る 忘年の お茶を何倍 飲んだだろうか」

  

 

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