shin-1さんの日記

○祖母のふるさと

 祖母が亡くなって20年余りが過ぎました。12人も子どもを生み育てた明治生まれのしたたかな生き方には、平凡な庶民ながら深い共感を覚えていますが、祖母の出生地のことは旧西宇和郡瀬戸町小島というくらいで余り知りません。しかし心のどこかに先祖のルーツを訪ね調べたいという想いはいつも持っています。

 一昨日国道378号から国道197号を通る道すがら、国道の看板に「小島」という看板が目に入ったのです。「そうだ、少し早いので母の出生地を訪ねてみよう」と思い山道に分け入りました。国道は宇和海側を走っていて、小島は瀬戸内海側にあることから峠道を越えなければならないのです。時折見つける「小島」という看板や矢印を目当てに心細い気持ちとはやる気持ちを同時に持ちながらの走行でした。やがて瀬戸内海が大きく開け、狭いヘヤピンカーブを何度も曲がりながら、小島の集落へ入って行きました。

 何の予備知識も持たず、意の向くままの訪ね旅なので、誰かにどこかで聞いてみようと思いながら午後3時過ぎの残暑厳しい中で、容易に村人を発見することすら不可能なのです。


 最後のヘヤピンカーブを曲がると港に出ました。二人のおばちゃんが道沿いの木陰で何やら話していました。私は車のブレーキを踏み助手席の自動ドアを開けて「すみません。ここら辺にFさんというお家はありませんか」と聞きました。顔つきの悪いよそ者の侵入者に身構えるような姿がありありです。「Fさんといっても2軒ありますがBさんかCさんですか」と名前を尋ねられました。とっさに返ってくる質問に私は思い出すことが出来ず、あらん限りの記憶を辿りBさんの方です。といったら思わず心が和んだのか、指差しながら「あそこら辺の家だ」と教えてくれました。「でも行っても今日は留守かもしれない」といわれ、時間切れを気にしながらそれ以上の詮索は出来ないと判断したのです。

 私はこの港へは海路何度も訪ねてきています。若い頃漁師をしていた頃この沖合いは鯛の絶好の漁場だったのです。時化で母港へ帰れずこの港で1泊した記憶もあるし、港や湾内の風景はよく覚えているのです。多分それは祖母への想いからその目で見ていたからかも知れません。

 沖合いから見ると湾の奥に港があるのですが、その横に突き出た場所に神社があってそれは綺麗な小さな島がありました。小島という地名の由来はここではないかと昔は思っていました。

 祖母はこの地に生まれこの地で少女時代を過ごしたのです。そしてこの原風景を心のふるさととしながら下灘の祖父と結婚しました。聞いたことはありませんが多分祖父は、漁の途中で立ち寄った小島というこの土地で祖母を見初め結婚したのでしょう。90年も前のまさに遠い遠い昔の出来事ですが、祖母の決断がなければ私という人間もいなかった訳ですから、まさにこの地は私のルーツの原点とでもいうべき土地なのでしょう。



 もう一度訪ねたい。そんな気持ちで後ろ髪を引かれながら元来た道を引き返しました。バックミラーに写っては消える湾や海や民家が残像のごとく今も心に残っています。何時の日かまたこの地を訪ねたいものです。そして祖母の両親の墓参りでもしてみたいと思いました。私の心をここまで駆り立てるのはやはり私が歳を取ったせいなのでしょうか。

  「訪ね来し 祖母のふるさと キラキラと 残暑の中に トンボ飛び交う」

  「この風景 見ながら祖母は 少女期を 過ごしただろう 妙に懐かし」

  「海だけは 今も昔も 変わりなく 深い青みを 保ち続けて」

  「盛衰の 哀れを誘う 空き家見ゆ 住みし人たち 今は何処に」 


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