shin-1さんの日記

○高知へ行くんですって

 昨晩は間近に迫った氏神様改修工事完成祝賀会の打ち合わせ役員会が社務所であり出かけました。かなりの難産だっただけに今はホッとしています。帰って遅い夕食を食べていると、高知県西土佐の和田さんから電話が入って来ました。西土佐村は中村市と合併し今は四万十市になっていますが、村そのものやそこに住む人たちとは長い付き合いが今も続いているのです。和田さんとは兄弟のように付き合ってきた間柄で、先日も県境に接しているため隣町松野町の芝さんが誘ってくれて大分県佐賀関への旅をご一緒しました。

 和田さんには「修三」なんて呼び捨て言葉が通じるほどの深い関係で、和田さんも私に敬愛をこめて「進ちゃん」と呼んでくれ今日まで親しく付き合ってきました。

 昨日はどういう風の吹き回しか、少しほろ酔い機嫌での電話です。酒を飲まなくなって久しい私に酒飲み土佐人からの電話です。佐賀関での私の痩せた体を思い出したのか、私の体の心配をしてくれました。また先日私のブログに先祖のルーツを書いたのですが、彼から同感のコメントが書き込み欄に入っていて、そのことにも触れながら「親父とは一体何ものなのか」議論を交わしました。

 「ところで若松さん、明日は高知県へ行くんですって」と唐突に話が切り替わりました。「えっ、何で知っているの」問い返すと、高知新聞の催し欄に「観光カリスマ若松さん高知に来る」という予告記事が載っていたのを目敏く見つけたそうです。そういえば西土佐は県境に近いため愛媛県のテレビ局が写ったり愛媛新聞をよく見るのだそうです。したがって私たちの行動は良く知られているようなのです。

 私もすかさず「明日は高知県馬路村の木下君がそちらへ行くそうなので宜しく」と返したら、やはり私と同じ驚いた様子で「えっ何で知ってるの」でした。木下君とは深いご縁が出来て8月に行く予定が台風5号で流れたこと、9月の週末に西土佐を訪ねることなど、逐一情報が入っているのです。世の中情報を共有すると面白いものです。

 私は今日高知県春野町へ出かけます。私の場合も馬路村の木下君と同じで7月14日に春野町へ行く予定だったのに台風4号の襲来で延期になっているのです。和田さんは「春野が終わってから西土佐で合流しませんか」と酒の勢いで提案がありました。とんでもない話です。私が講演が終わり交流会が終わる頃は夜なのです。そんな時間に太平洋沿岸を四万十川河口まで行き、更に上流域まで遡るにはかなりの距離と時間が必要です。さすが高知県人言うことも太いと思いながらご遠慮しました。今宵は西土佐で私の話を肴に楽しい酒宴が繰り広げられることでしょう。危ない危ない。

  「今日高知 行くんですって 唐突に 酔った友人 電話で知らせ」

  「ああ今日も 片道百キロ 以上旅 高知は遠い 心は近い」

  「高知人 頭に浮かぶ どの顔も 酒飲む笑顔 同じなりけり」

  「会う人が 指で数えも 出来ぬ程 いると思うと ついつい嬉し」 

 

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shin-1さんの日記

○満月を楽しむ

 「サンデー毎日」(毎日が日曜日)になった私が特に気をつけていることは「季節を楽しむ」です。日本は四季の巡りがあって花鳥風月それぞれに美しい国だと思うのです。阿部総理が一年足らずで退陣ししましたが、彼の目指した「美しい国」づくりは私としては相当気にいっていましたが、その理念も日の目を見ないまま終わるのは返す返すも残念です。でも私たちの住む日本が美しい国であることは変りはないのです。要は私たち日本人が日本人としてどういう美しさを感じ、どういう美しい国に仕上げて行くのかが問われているのだと思うのです。

 殺伐とした社会だといいながら季節は毎年同じように移ろい、朝日も昇るし夕日も沈みます。また初秋のこの頃は野に秋の花が咲き始め、虫の声だって結構楽しく聴けるのです。

 夕方砥部町の稲葉さんがやって来ました。先日来宅された折人間牧場のロケ風呂用のタンクを据えつける話になって盛り上がりました。水平線の家には屋根裏に水道用のタンクが設置されていますが、用量が小さく来客が多くなると風呂やトイレへの配水が頻繁になり、いつも水の不安に悩まされていたのです。現在使っているタンクを貰った鉄工所を営む従兄弟に相談したところ、ステンレスの端材でドラム缶一本程度のタンクを作ってくれたものですから、その蓋をどうしようか考えていました。稲葉さんが知人の板金屋さんに頼んで蓋を作ってもらうことになり、早速採寸して帰りました。稲葉さんはそのメモをどこかに置き忘れ2度も採寸に来るなど迷惑を掛けてしまいましたが、一昨日その蓋が出来たと持って来てくれたのです。妻が運んだお茶を飲みながら二人で談笑にふけり、稲葉さんは蓋にパッキンをつけるべく再び持って帰って行きました。

 稲葉さんの帰った応接間でお茶を片付け電気を消すと、いつの間にかブラインド窓越しの東の空に綺麗な月が昇っているのが見えたのです。「お父さん、外に出て満月の月を見よう」と妻が言うのです。玄関から外に出てみると雲ひとつない空になんとも言葉では言い表せないような美しい月がぽっかり浮かんでいるのです。その日の二日前に見た中秋の名月は13夜の月だったようで、また違った趣きがありました。妻と二人で月を見るなんて久しぶりのことなのです。「お父さん人間って不思議ね。あの月を見てウサギが餅をつく姿を創造するのだから」という妻の言葉にマジマジと月を見ました。

 写真を撮ろうと中に入りデジカメを取り出しました。「お父さん夜の月なんてカメラで写る訳がないでしょうに」と呆れ顔でした。それもそのはず、新婚旅行に行った折、二人の写った写真が一枚もないというのが妻の不満の震源地なのですから仕方がありません。それでも私は暗闇に浮かぶ月に向かってシャッターを切りました。


 妻に叱責をかったように「なんだこりゃあ」と笑われそうですが、これが9月27日の満月の月の写真です。「馬鹿みたい」と妻に言われそうなのでこの写真は見せない事にしました。いやあー、 でもいいシャッターチャンスだと思うのですが・・・・・。やはり見解の相違でしょう。

 今朝起きると西の空に少しかげた月がポッカリ浮かんでいました。昨夜パラリと降った雨に濡れた緑が一際美しく、ひんやりとした外気も爽やかな朝でした。

  「久しぶり 十五夜妻と 月を見る カメラで撮ると 妻は呆れて」

  「月明かり 港灯台 ぼんやりと 点いては消える 長閑なりけり」

  「虫さえも 月に拍手の BGM ささやかながら 幸せ味わう」

  「この月が 潮の満ち引き 決めるとは 思えば不思議 宇宙は謎だ」    

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