shin-1さんの日記

○山村の夏の終りを探し行く

 「日本の田舎が危ない」と、しみじみそう思うようになってきました。現職の時代もそうですが、2年半前にリタイアしてからこれまで、日本全国の田舎を地域の活性化という名の元に請われるまま訪ね歩いていますが、限界集落がどんどん増えているのです。地域住民の味方であるはずの行政からも完全に見放され、合併時に結んだ合意事項も無視されて学校統廃合の動きがここに来て加速されつつあることも気がかりです。

 一昨日の夜、大洲市上須戒地区を訪ねました。えひめ地域政策研究センターへ出向していた大洲市役所河井さんの口利きで上須戒支所長の徳永さんを窓口に準備が進められ、今回の講演会となったのです。

 松山での会合を午後5時に終わり、松山の雑踏を抜け出して夕闇迫る海岸国道378号をひた走りに走り、肱川沿いを八多喜まで上って徳永さんの送ってくれた地図を頼りに山道へ入りました。この道は青年の頃友人たちと名峰金山出石寺に登り、帰りに歩いた道なのですが、もう40年も前のことなので思い出せないのです。それもそのはず、道は取り付け道路は高架橋となって肱川を渡り、時折一車線があるものの改良されてあっという間に8キロ程の道を走って6時過ぎに上須戒公民館に到着しました。会場では徳永さんに玄関まで出迎えていただきましたが、メールにて細やかな連絡が届いていて、とても初対面とは思えない出会いでした。

 私は少しの間一人でそこら周辺を散策しました。川に架かった橋を渡ると天満宮の立派な神社の森がありました。石垣といい常夜灯といい、本殿といい中々立派なもので静寂の中にも上須戒地区の懐の深さを垣間見る思いでした。



 往時の三分の一になったという地区の人口は600人余りだそうですが、会場となる公民館の二階には沢山の人が集まっていました。時間もきっかり始まり、集まりも申し分ないところに上須戒の底力があるのでしょうが、会場には顔見知りの方も何人かいて、驚いた事に私の出版した「昇る夕日でまちづくり」の本まで持参する熱愛ある人もいて、こちらも約2時間弱大いに熱弁をふるわせていただきました。

 徳永さんの講師紹介、館長さんの挨拶、質問、運営委員長さんのお礼の言葉など、どれをとっても洗練されて、会場の聴衆反応もビンビン跳ね返ってきました。加えて帰るなり開けたメールには講演の感想が既に届いている、まるで絵に書いたような集会でした。



(上田さんから貰った自作のウチワ)

 私の手元にその会場で会が始まる前上須戒自治会長上田さんからいただいた一本のウチワがあります。「心を豊かにすると人生が楽しくなります」と綺麗な墨字で自書され、風鈴とスイカの絵が添えられているのです。達人もいるものだと感心しながら隣に座った妻が、「お父さんこのウチワは大事にしないといけないね」と取り上げられ、天井のかも居辺りへ飾られてしまわれました。

 この地区も今のところ人口の増える妙案はありません。加えて来年は長年県内の子どもたちを受け入れてきた少年自然の家も閉鎖と聞きました。その跡地活用も気になるところです。沿道には9軒の農家がなし狩りを始めていることを告げる幟が何本も立っていましたし、年間4千人くらいがなし狩りを楽しむためにやって来るとも聞きました。夏の終りの物悲しさも少し感じつつ、御礼にいただいた立派な上須戒産のなしを助手席に座らせ、元来た道を帰りました。

 「田舎が危ない」、こんなメッセージを一体誰が受け止めてくれるのか、複雑な気持ちで明日も明後日も、私は田舎の応援団としてもう少し元気付けの旅を続けます。

  「残り火の 如きセミ声 耳にしつ 神社の森の 天を仰いで」

  「新しき 五健句碑建つ 天満宮 夫婦イチョウも 少し色づき」

(真新しい五健の句碑)

  「これあげる 差し出すウチワ 絵と文字が 見事に調和 達人出会う」

  「何故なのか 分らぬままに 人が去り 爺婆の ため息むなし」  

 

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shin-1さんの日記

○無謀にもお坊さんにお話しをするとは

 ふとしたことがご縁で、県下のお寺さんへお話しに行く機会が随分増えてきました。妻は「お説教を専門にしているお寺さんへなど行って何を話すの?」と呆れた顔をするのです。私も最初はそう思い硬くご辞退していたのですが深いご縁をいただいている人から間接的に頼まれると断ることも出来ず、ついついノコノコと出かけて行くのです。ところが今日はお寺の檀家さんへの話ではなく、曹洞宗青年会の会員さんに話をする事になったのです。妻は相変わらず出かける前に「今日の講演は止めた方がいい」と忠告するのですが、予定をしている相手の事を考えるとおいそれと止める訳にはいかないのです。

 今回のテーマは「寺の活性化」、サブタイトルは~元気ある寺をめざして~でした。さて会場となる松山市道後の簡保の宿までの道すがら何を話そうか迷い迷い行きました。少し時間に余裕があったので会場入りして考えようと思ったのですが、私の担当のお坊さんが決められていて、離れずに温かい接待をしていただくものですから準備も出来ず、いきなりの話になってしまいました。「うーん参った」です。聞けば曹洞宗の開祖は道元禅師とか、更に本山はあの有名な永平寺ですから、どのお坊さんも皆利口そうで益々ビビッてしまいました。

 でも考えてみればお寺の活性化もまちの活性化も基本的には同じだと思い、気を取り直してお話をさせてもらいました。青年会の皆さんですから出来るだけテンポよく話す事を心がけお話をさせてもらいました。

 都会はどうか知りませんが、私たちの知っている田舎のお寺の周辺では、過疎と高齢化、それに少子化が急速に進み、限界集落といわれる地域が段々増えてきています。今までのように檀家の多い時代はもう望むべきもなく、檀家の減少=お寺の経済的経営難という厄介な問題が迫って、ただ漫然としていたら、お寺も立ちいかなくなる時代が来るのです。加えてお寺という空間が閉鎖性の強いものですから、葬式や法要といった仏事でもなければ人は寄りつかないのです。

 私の提案第一は 「死んでからの事も大事ですが生きる事を導いてくれるお寺であって欲しい」と思いました。人間には幸せになりたい、お金持ちになりたい、健康で長生きがしたい、成功したいという4つの願望を多かれ少なかれ持っているものです。その導きや迷いを取り除きいい方向に導いてくれるとしたらお寺は救いの仏になるはずです。昔のお寺は悩みを解決して生きる道しるべを示してくれました。今の社会は心の病が複合的に重なり一億総病人と言われるような時代で、悩みは全て病院へ持って行くのです。

 第二は「目に見えない部分を気付かせてくれるお寺であって欲しい」と思いました。人間にも社会にも目に見えない部分は多いのです。目に見えない偉大な力をサムシング・グレートとといいますが、ネガティブとポジティブな力が心のありようにどう影響するのか、自分と対話した経験のある修行の中で学んだ事を生かして教え導いてて欲しいのです。心の存在は私たち凡人には分らないことだらけだからです。

 第三は「お寺が地域の拠点になって欲しい」と思いました。昔は学校、お寺、神社の森は地域の拠点でした。学校は統廃合されて消え行く運命にあります。お寺を開くということは檀家人と外の人の交流を意味します。最近はお寺で講演会やコンサートをするお寺が増えてきました。本堂の広い空間は音響もよく、人も集まれる絶好の空間です。イベントや講演会を通じて開かれたお寺を目指して欲しいものです。

 第四は「人の集まる条件を整えて欲しい」と思いました。現代のまちづくりのキーワードは楽しい、新しい、美しいですが、この条件はお寺さんにも通じます。アジサイ寺、ボタン寺などは美しさの表現だし、訪れる度に進化しているようなお寺は新しいし、お寺での催しは楽しいものです。

 頭を丸めたお坊さんが居並ぶ異様な雰囲気の中であっという間に90分の話は終わってしまいました。質問で子どもを巻き込んだ何かが出来ないか質問がありました。公民館や子ども会、自治会などとネットワークを張り巡らせてリンクすれば、子どもたちに宗教心を植え付ける絶好の機会となるであろうと結び、ハーモニカを吹きました。

 私の主宰する人間牧場はひょっとしたらその見本をやっているのかも知れないとふと思いました。私の人間牧場は平成の駆け込み寺であり、修養の場だと思いました。

  「無信心 そんな男が 坊主前 何を話すか 聞きたいもんだ」

  「道元の 言葉引用 アメリカで 日本を紹介 懐かしい日々」

  「拝まれて 手を合わせたる その前に 凡人私 面映いこと」

  「禅問答 やってみたいな いつの日か それまで修行 積んでおきたい」

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