shin-1さんの日記

○小さな家

 今年の夏は私にとっても確かに暑く感じられる夏でした。夏が過ぎ九月の声を聞いても相変わらず日中は30度を越える真夏日です。今年の夏から気象庁は真夏日でも特に35度を越えた日を猛暑日と呼ぶようにしたのですが、その効果?とも受け取れるような暑さなのです。

 わが家の池の鯉が死んでから、池の鯉を処分し、池を馬立てる計画を変更してタンク形式の地下室を作りましたが、このところの暑さで池だった場所にコンクリートの広場が出来て、その照り返しの太陽に焼かれた熱風が、もろに親父の隠居家に流れ込んで、これまた親父にとっては初めて経験するような暑さだとぼやいて過ごしていましたが、これを何とか解消しようとその敷地に小さな涼み台風の東屋を作る事になりました。先週の休みの日にホームセンターへ親父をトラックに乗せて連れて行き、材料となる木材を買って帰りました。田舎のお店で買うと高い建材もホームセンターではかなり安く、親父がポケットマネーを出すのですが、思ったより結構安く、嬉しそうでした。

 私はあれから相変わらず日本全国飛び回っていましたが、昨日帰ってみるとちゃんと木組みが出来ていて、暇な時間を見て二人で建て前をしました。建て前といっても半日で仕上げる程の小さな家ですが、器用な親父にとってはかなりの労作で、親子がああでもないこうでもないと喧嘩をしながら今朝も朝早くから作業をしました。

 90歳の親父を屋根に登らせることは危険だからと、屋根の上の仕事は主に私が担当しましたが、私が電話をしている間に、スイスイと屋根の上に上がり、まるで息子の私がかすんで見えるほどでした。

 私の親父はとにかく器用です。私がこの三十年使っている自宅横の私設公民館煙会所も、海の資料館海舟館も全て親父の作品なのです。ある意味私が今日こうして大きな顔が出来るのも親父のお陰なのです。私がアイディアを出し親父が技術と金を出す、まあそんな二人三脚をこれまでずっとやって来ました。今回の東屋も二人の意見がうまく絡んでの仕事です。私はこの東屋をウッドデッキ風にしたいと思っています。親父にはまだ内緒だし、設計士の息子にもまだ話していません。でも私が新聞折込のチラシ裏に書いた略図を親父に見せているので、多分そうなるだろうと思っています。

 今日はこれから大事な会議が西予市の中央公民館であるので出かけて行きますが、帰った頃には親父の仕事も随分はかどっていることでしょう。

 ここまで書いて西予市へ11時30分にマイカーで出かけ、17時30分に家へ帰ってみると、まるでアリのような

90歳の親父の仕事でもちゃんと片付いて、完成間近なのにはいやはや驚きました。材料の不足も調達して凄いとしか言いようがありません。明日は近所の板金屋さんに屋根をトタンで葺いてもらうと張り切っていました。

 また一つわが家に親父の足跡が残ります。私も積極的に関わって、親父の爪の垢でも煎じて飲まないといけません。それにしても親父は何軒家を建てたら気が済むのでしょう。日曜大工といいながら玄人はだしの家が、わが家の周りには数え切れないほど建ちました。その一つ一つに親父の思い出が詰まっているようです。

  「また家を 建てると張り切る 親父見て 何時まで生きる 予定でしょうか」

  「俺などは 親父の種と 違うかも 不器用腕を さすりながらも」

  「危ないと 屋根に上った 俺に言う 三十年下 大丈夫だと」

  「小さくも 日曜大工で 家が建つ 夏が終わるに 涼み台とは」

 

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shin-1さんの日記

○化けの皮

 62年間生きていると毎日色々な人に出会い色々な話を聞きます。大きい話や小さい話、儲けた話や損をした話、夢や失望、悪口や褒め言葉など、対立軸をゼロにして冷静に聞くと、まるで残った電池を調べるテスターのように左に振ったり右に振ったりしながら面白い人間模様を見せてくれるのです。人間は悲しいかな少しでも自分を相手によく見せたいと思うもので、絶えずどうしたら相手に好感を与えれるか考えるものです。さすがに私のような年齢になってリタイヤしたりすると守るものや捨てるものがなくなるので、そんな言動は影を潜めますが、高い公職を持っていればいるほど、お金を持っていればいるほど見栄や虚栄心が働いてしまうものなのです。特に何かの拍子で莫大な富を得たり、名声を得たりすると過去の貧乏や失敗を隠そうとする姿が目に付いて、可哀想と思うほどの言動をとるのです。

 最近大臣の辞任が相次いでいます。「末は社長か大臣か」といわれる大臣の椅子は政治家にとって目標の一つなのですが、地元では先生と呼ばれる政治家にとって信用が売りもののはずなのに、功を急ぐ余りにメッキで嘘やボロを隠してはみたものの、国民の代弁者のような顔をしたマスコミと野党の餌食になって哀れな末路を辿っているようです。

 最近多い有名人だけでなく国民の離婚の多さも元はといえば大臣と同じ見栄や虚栄心が産んだ悲劇かもしれませんが、離婚の場合は子どもという被害者がいるだけに話は深刻なのです。結婚は少しでもよく見せようとお互いが色々な策を講じます。しかし幾ら策を練ったところで暮らしてみると直ぐに「こんなはずではなかった」と気がつくものです。気がついても誤ったり修復作業をすればいいものを、「嘘つき、インチキ」とののしり合い、結局最後は裁判沙汰や手切れ金での解決を選ぶのです。芸能人は離婚も自分の人気取りの手法と考えている人も多く、新聞や雑誌やテレビは相変わらずの手合いのようです。

 昨日まで私は岩手県に行っていました。そこの公民館職員と東京の研修会で知り合ったことがきっかけで研修会に招かれましたが、その職員の動きを見ていると何かほのぼのとするような気持ちになりました。彼は地元の学校に用務員として採用されたそうです。仕事に情熱を傾けると同時に通信教育で見事大学を卒業したそうです。今はその努力が実って短労職から行政職に配置転換されましたが、今もその努力の姿勢は変らず、公民館主事として一生懸命汗と知恵を出して頑張っていました。私も漁師から転職して公民館主事になった経歴を持っているだけに、自分の人生とダブらせながら彼の仕事ぶりを見させてもらいましたが、実によく働き知恵と汗で地元の信用も厚いようでした。

 私は彼とまだ3回しか会っていませんが、彼こそメッキなどしていない本物の役所の職員だと思いました。彼の魅力は夢を持っていることです。そしてコトコツとひたむきに働くことです。ひたむきは「下向き」ともとられますが、夢は「上向き」、しかもその夢は自分の幸せより地域の発展や地域の人の幸せに焦点を合わせているのですから、私と同じ公務員=好夢員なのです。

 夏の終りに私はいい公民館主事に会いました。彼に会って私の心に新たな進化論が芽生え始めています。それはやはり本物と真心を手に入れるための日々の努力なのです。4度目に彼に会うときはもっともっと進化をしておかねばと決意を新たにしました。

  「化けの皮 剥がれ大臣 次々と 辞める姿は どこか哀れだ」

  「メッキなど せずも生きたい 堂々と 毎日コツコツ それしかないな」

  「頑張れよ 声をかけたい 人に会う 俺の昔を みているようで」

  「信用は 日々の努力の 積み重ね 卒業証書 役には立たぬ」

 

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