shin-1さんの日記

○お接待の心

 我が家の入口付近の道上に小さな祠があり、石の仏さんが祀ってあります。俗世からすっかり忘れられたような存在ですが、近所のお年寄りを中心に散歩の途中で立ち寄って祈りを捧げる人もいて、結構お参りがあるのです。30数年前にこの地を買い求め移り住んでから、路傍の雨風に晒されていたお地蔵さんのために祠を建て、わが家でお祭りをしてあげるようになりました。毎月21日を定めて幟を立て、茶菓線香を手向けるだけの簡単なことなのですが、妻はこの日をお接待の日と定めお赤飯を炊いて、お接待と称しせっせと近所や親類に配るのです。配る範囲はその時によってまちまちですが、15年前に民生児童委員になってからは、自分の持ち場の独居老人の家に配るようになり、毎月21日は朝から大忙しです。前日小豆を水にかし、もち米を加えたお米で赤飯を炊き上げるのです。今朝も炊き上がった赤飯の匂いが台所一面に立ち込め何ともいえない爽やかな朝です。炊き上がった赤飯は丸い桶に入れて冷まし透明のパックに入れて各家庭へ配るのです。

(透明のパックに詰められたお接待用のお赤飯)

 配る役目は及ばずながら私が務めます。一軒一軒主に独居老人の家を訪ねます。「おはようございます。お体の具合は如何ですか」と挨拶し、「今日はお大師様の日でお赤飯を炊きました。お接待ですのでお昼にでも食べてください」といいながら手渡しするのです。これといった用事もなく日々を過ごす老人にとって私の来訪は心待ちの様子で、ある老人などは手を合わせて「ありがたやありがたや」というのです。

 妻は今季限りで長年務めた民生児童委員を辞める事になりました。1期のつもりがついつい頼まれて5期の長きになり、女性部長という要職も2度務め、もう充分と判断したのです。既に後任の方も決まっていて、後2ヶ月余りの残任期間を一生懸命務めているようです。私は区長という仕事を既に終え、妻が民生児童委員を終えるのでやっと肩の荷が降りた格好です。区長や民生児童委員というボランティア活動にも似た仕事は、傍目に見えるほど楽な仕事ではありません。学ばなければならないし、耳や目や口を利用して活動をしなければなりません。それにも増して大切なのは社会弱者に対する優しい心を持たなければならないのです。

 夫婦揃って優しい心を学べたことは役をしてしか出来なかった大きな副産物なのです。さっき200メートルほど離れた所に住むおばあちゃんが、不自由な足を引きずりながら手押し車の助けを借りながらお大師さんにお参りにやって来ました。そしてわが家に立ち寄られ「いつも心に掛けてもらってありがとう。今朝のお赤飯は美味しかった。これは少しばかりの御礼です」お菓子をいただきました。断ることも出来ずいただいてお地蔵様に供えさせていただきました。

(わが家の入口付近の道上にあるお地蔵様)

 90歳になる親父は庭木の手入れをする手を休めて、お地蔵さんに通じる細い道沿いに今朝も縁日を示す手づくりの幟を何本か立てました。この仕事もやがて近い将来私の手に委ねられることでしょう。

 30年余り続いているお接待は振り返れば気の遠くなるような回数です。21日が来ると何のためらいもなく、まるで無意識のようにせっせとお赤飯を炊いてお接待する妻の姿が、今朝は少しばかり輝いて見えました。

  節介を 承知で配る お接待 今朝も単車に 赤飯積んで」

  「お彼岸が 来たよと咲きし 彼岸花 縁日幟 少しはためき」

  「お地蔵に 祈る老婆の 髪白く 背中かがめて 念仏唱え」

  「間もなくに 親父の仕事 受け継ぎぬ やれるかどうか 少し不安が」 

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shin-1さんの日記

○夕日寄席をやるか

 人間牧場の中心施設水平線の家に高知県魚梁瀬杉の切り株を利用して親父が作ってくれた台座があります。普通はテーブルにして使っているのですが、昨年6月広島県過疎を逆手に取る会のメンバーと共同で開催した逆手塾の折、沢山の参加者に何か工夫をととっさに思いついたのがこの台座に座布団を敷いて話をすることでした。この話が大受けで、その後水平線の家での研修会の度にこの台座の上に上がって話をするようになりました。これを見たえひめ地域政策研究センターの清水研究員が「あの台座の上で落語をやったら面白いかも知れない」と提案し、面白そうなので「よしやろう」と二人で菱かにその時期を狙っていました。南海放送のもぎたてテレビで人間牧場が紹介された折、ディレクターの三瀬さんにその話をしたら、落語用に使って欲しいと日本手拭と扇子をいただき、いよいよその夢は膨らんできました。

 来月国土交通省四国運輸局企画観光部観光地域振興課が主導して、わが町で観光カリスマ塾が開かれる予定になり、観光カリスマ百選の末席を汚す私がその講師役を務めるのですが、その折をとらえて夕日寄席の初舞台を考え少し準備を進めようということになり、清水研究員と松本研究員を巻き込んで準備が始まりました。

 そんな夢を持つと人間は何か心に希望がわいてくるもので、あれもしたいこれもしたいと考え行動するものです。落語には小道具が必要です。早速演目をお客に知らせる「めくり」なるものを考え、一昨日松山へ行ったついでに西村ジョイに立ち寄り、ヒノキの角材を買って帰り、私の図案化しためくり図を親父に見せ、作るよう依頼をしました。器用な親父のことなので一もニもなく引き受けてくれ、何とたった2日で昨日完成してしまいました。見透かしたように昨日清水さんが南予への出張の帰りにわが家へ立ち寄り、これを見て驚いた様子でした。

(親父の作ったヒノキのめくり、この台に演目を貼って捲るのです)

 昨晩清水さんと他愛のない夢を語りました。清水さんには清水さんの秘策があるようでまだマル秘ですがどうやら音の世界も考えているようで、これはまだマル秘の話なので公表は市内で起きます。清水さんが絡むと必ず経済の話になります。この寄席をどう運営するか、「500円のワンコインで運営しよう」と二人の話が既にまとまっていて、そのため参加者に提供する話のネタ本を売る事にしました。これも善は急げとばかりに昨日の早朝3時に起きて色々考え、とりあえずイメージを膨らませるためその原稿を2~3書いてみました。落語となると笑いですから中々難しいものです。文章の中に必ず笑いを入れる事を基本にしながらも、田舎のほおって置けない話も同情話として載せたいと思っています。

 私はこれもとっさの思いつきですが、台座の年輪が150年を数えているので、「150の小話」としようと馬鹿な話の大風呂敷にしてしまいました。しかしいきなり150もの原稿を書くことは出来ませんから、とりあえず30話を11月16日の初演までに間に合うようすることで清水さんと折り合いをつけました。それにしても馬鹿げた事を考えたものだと自分ながら自分の考えと行動を笑っているのです。

 私の芸名は二転三転の末「夕日亭大根心」と決めました。水平線の家の高座が「夕日亭」、芸名が「大根心」です。夕日を地域資源にして来た私を客観的に見て清水研究員が考えました。芸名の「大根心」ですが、これは私の古いペンネームなのです。教育委員会で公民館主事をしていた若い頃、町の広報を10年間担当し月2回、合計240号の広報を作りましたが、その折「こちら編集局」というコラムに「大根心」というペンネームで書いているのです。大根は葉っぱだけでは駄目で、本当の値打ちは土の中に埋まった白肌の大根、つまり心なんだと訴えるため、このペンネームをつけて書いたのです。当時は私の事を町民は=だいこんしん=さんと愛称で呼んでくれていました。ちなみにこのコラムは42歳の厄年を記念して「町に吹く風」というタイトルで一冊の本にまとめられ出版しているのです。

 小林旭の「昔の名前で出ています」ではありませんが、「大根心」という古くて新しい名前の復活です。面白くなりそうです。ワクワク・ドキドキします。

  「夕日寄席 奇妙な事を 考える ワクワクドキドキ 夢は広がる」

  「切り株の 上に座って 落語する 落伍しないで やれればいいが」

  「そういえば 昔の名前が あったっけ 大根心とは いい名じゃないか」

  「はや既に 動き出したる 夕日亭 小道具せっせ 親父巻き込み」 


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