shin-1さんの日記

○10メートル27センチのジャンボ串焼きに挑戦

 みちのくひとり旅といいながら、今回は室根青年連絡会の招きなので青年だけかと思いきや、青年支援の輪が大きく様々な人が参加していました。地域づくり講演会が夕方6時から8時までだったため、その夜は講演が終わった私を囲んで懇親会が持たれました。勿論区長さんや商工会長さん、それに生涯学習課長さんだった鈴木五郎さんは博物館の次長になっており、多忙にもかかわらず馳せ参じてくれました。嬉しい限りです。その夜の懇親会には秋刀魚のご当地気仙沼が近いとあって、珍しくも好物の秋刀魚の刺身も特別メニューで出てきました。またこのお店の蕎麦が絶品でお代わりまでしてしまいました。呑むほどに酔うほどに色々な話が盛り上がり、ついつい夜は深けて行きました。

 その夜の宿泊は岩手屋というこじんまりとした旅館で、手入れの行き届いた気持ちのいい旅籠でした。旅籠の入口、道を挟んだ向こうには材木屋の立派な蔵があり、何ともいえない風情です。また旅籠の一隅には樹齢400年ともいわれる立派なモミジの木もあって中々の風情でした。女将さんは地域づくり講演会に出席して私の話を聞いてもらっていたので意気投合で色々な話をさせてもらいました。

 私は例によって早朝4時に起きる癖があるので、電気をつけて6時まで館長さんから貰った室根神社大祭記を取り出し読書をやりました。聞くほどに読むほどに凄い神社の営みが伝わってきました。いつの日にか自慢の祭りを見学にきたいものです。

 この日は松山出身の土佐礼子選手が大阪で行われている世界陸上の最後の種目に出場するとあって、朝からテレビに釘付けで見ていました。最初からレースを引っ張っていましたが、少し脱落しそうになりながらも、最後は頑張って盛り返し、3位に食い込む健闘を見せました。郷土の人だけにその姿に深い感動を覚えました。

 さて明くる日は私たちの所ではさしずめ商工祭りとでも言うのでしょうか、商人さんのお祭りがありました。商工会長さんさんが経営するスーパーの前の駐車場がを会場として、様々な催しが繰り広げられていました。圧巻は何といっても青年たちが中心になって企画した10m27cmの長さのジャンボ串焼きの実演です。4年に一度の室根神社の祭礼が10月27日とのことで、前宣伝もかねての長さになりました。しかし私もこんな長い串焼きは見たことも食べたこともなく興味深々でした。参加希望者は手を消毒し薄い調理用の手袋をはめ思い思いに陣取って並び、両端から刺してくる材料を順番に中央まで移動させるのです。コツは串が焼けて切れないように愚材を詰めるのだそうですが、最初に刺す人は中々大変な仕事のようでした。

焼く炉はコンクリートで作った下水工事用のU工で、考えたなあと感心しました。

(さあ串刺しの始まりです)

(反対側からも串刺しが始まりました)
(まるで数珠送りのような雰囲気でした)
(私もお言葉に甘えて参加しましたが楽しいものです)
(1m27cmの串焼きです)

(さあ焼きあがりました。美味しそうです)

 やがて串刺しが終わると皆で持ち上げて記念写真、片面焼けると持ち上げて記念写真、すべて焼け上がると持ち上げて記念写真と、イベントの盛り上がりを確認して、最後は串の長さにハサミで切っておすそ分けして皆で食べるのです。

(館長さんも勇ましく太鼓を叩いていました。いやあ実に素晴らしい音色でした)

(有名な北上川に架かる橋を渡って一関駅へと送ってもらいました)

 まるで避暑にでも来たような涼しい気温の室根で過ごし、後ろ髪引かれる思いで室根を後に、新幹線、国電などを乗り継ぎながら、帰郷の途に着きました。

  「秋近し 寝起きの布団 楽しんで 旅籠の朝の 味噌汁匂う」

  「ギネスもの 十メートルを 越える串 みんな揃って 笑顔バッチリ」

  「この辺り ススキ早くも 咲き誇る 持って帰ろか 夕日に似合う」

  「また会おう 少ししんみり 別れ際 必ず会える 心に念じて」


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shin-1さんの日記

○みちのくひとり旅

 何処から何処までをみちのくというのか分らぬまま、東京から東北新幹線に乗って岩手県一ノ関へひとり旅をしてきました。わが町を発ったのはまだ8月の終りでした。僅か1日のことですが岩手県へ着いたのが9月です。肌に受ける感じはやはり秋の気配というのでしょうか、朝夕は20度を下回る爽やかさに驚いたものでした。

 一ノ関へは昨年11月27日にお邪魔していますので、1年足らずの間に二度もお邪魔するのです。きっかけは東京にある国立社会教育研修所の公民館講座に私が講師として招かれ、参加した人の中に室根村の金森勝利さんがいて、深いご縁をいただいたのです。東京の凄さは東京から学ぶことも多いのですが、東京に集まった日本全国の地方の人と出会えることです。東京での研修がご縁で全国へ広がった例は枚挙に暇がないほどです。前回は一ノ関市全体の研修でしたが、今回の研修は室根青年たちが企画した研修だけに、何としても伺いたいと思っていました。今年の春早々金森さんから打診があった時は9月の第一日曜日だったので一もニもなく引き受けたものの、1ヶ月前になって急遽土曜日の開催と一日繰り上がってしまいどうしようか悩みました。というのも9月第一土曜日は私が23年前に始めた夕焼けプラットホームコンサートの日なのです。青年たちがバトンをつないでくれているのに私がいないのも少し変だと思いましたし、私の知人友人には既にメールやチラシを送って宣伝に一役買っているのですから、知人友人からはブーイングなのです。

 私は一ノ関の金森さんが結婚するその披露宴に出席することを口実に出かけました。友人いわく、「一ノ関の結婚式から帰ったら引き出物のお開きをしよう」というのです。そして一ノ関の地酒を買ってくるよう頼まれました。帰り際すっかり忘れていたのに金森さんは引き出物と称して地元の銘菓「白あんぱん」を持たせてくれました。わたしも我に帰って新幹線一ノ関駅の売店で地酒を3本買い求め重いのに手持ちで長旅を続けました。家に帰ると妻が「まあお父さんがお土産を買うなんてどういう風の吹き回し?」と不思議がられました。帰る早々友人に出会い、「岩手県の結婚式はどうだった」と声をかけられました。「ああよかったよ。近いうちにお土産の地酒でいっぱいやろうな」とお茶を濁しておきました。

(森は海の恋人運動で木を植えている山)
(室根山から見える気仙沼湾)

 今回の研修会には楽しみが二つありました。まず一つは室根という地名から宮城県気仙沼唐桑の漁師さんたちが山に木を植えた話の現場を見たかったことです。岩手県室根といっても、室根山に降った雨水は宮城県気仙沼湾に流れ込みます。唐桑の名産牡蠣を育むのですが、その事を知っている漁師さんはその感謝を込めて山に木を植える運動を起こしたのです。環境問題への関心も高まってその運動は今や全国に広がっています。「森は海の恋人」というキャッチフレーズは何という響きのよい言葉でしょう。その舞台となった室根山に公民館長さんの案内で登る幸運にも恵まれました。



 
(室根山の8合目にある室根神社の石段)

(室根山の山頂で)
(発祥の地となった牡蠣の森の標柱、もう20年も前のことだそうで、その時植えたブナなどが立派に成長していました)

またもう一つの楽しみは4年に1回開かれる国の重要無形民俗文化財に指定されている室根神社を見てみたいという思いでした。勿論祭礼は閏年の翌年陰暦9月19日なので、ミリことは出来ませんが、前回一ノ関へ行った折その話を聞いていたので何としてもと思っていたところ、偶然にも小山館長さんがその一番詳しい方で、これまた偶然にも室根山の山腹に神社があって、ダブルなラッキーに恵まれました。室根神社の大祭については書くことが余りにも多いため、次の機会に委ねたいと思います。

 さて今回の地域づくり講演会は合併して一関市になったけれど、旧室根村の青年連絡会が企画してくれました。合併してもこうした青年たちの発想を大切にしたいという市長さんの肝入りで実現しました。また合併をしたけれど旧室根村長さんは区長としてかなりの仕事を任されるシステムになっていて、区長さんも参加したり商工会長も参加する大掛かりな取組が行われていました。青年たちも一生懸命取り組んでいたようです。

 青年が地域づくりの表舞台から消えて久しいこの時代に凄いと思いました。この仕掛けの裏には金森公民館主事さんが着かず離れず指導をしており、かつて公民館に勤めていた頃の私の姿を見る思いでした。

 室根山の山腹から、あるいは頂上から見える室根の家並みはイザベラ・バードが「日本奥地紀行」に書いた「桃源郷」とも表現したい山村の佇まいで、住んでみたくなるような原風景でした。

 私の仕事は彼ら若者の心に火をつけることですし、青年の企画した「地域づくり講演会」に参加した人に、青年の心意気を伝えることですから、約100分の与えられた時間、大いに語りました。一夜の宿をお借りした岩手屋さんの女将さんともすっかり打ち解けてお話しし、三度目の正直が来る事を願って村を後にしました。

  「イザベラが 桃源郷と 言ったのは この村風景 同じ東北」

  「青年が 輝き生きる 室根村 公民館に 支援主事有り」

  「唐桑の 漁師が山に 木を植える 室根の山に 今もその木は」

  「まるで避暑 朝夕肌に 風涼し 再び残暑 ふるさと目指す」


 


(地域づくり講演会の会場となった室根曲ろくふれあいセンター)

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