shin-1さんの日記

○24の瞳の稲刈り

 今日は朝から快晴です。西条市の吉岡公民館高齢者大学に招かれていて午後1時までには会場へ入らなければならないので、行く前に立ち話の口約束をしていた翠小学校の和田校長先生に会いに行きました。先日双海総合支所で開かれたエコ改修検討委員会の席上、翠小学校の二宮金次郎の話をした後、私は大分県佐賀関へ出かけるため、持っていた大学という古書を和田先生に預けて立ち去っていたのです。「また行くから」と捨て台詞を残して去ってしまい、私の後に話す予定の和田先生の話を聞かずじまいだったことも心の隅に引っかかっていたのです。

 学校の校門を入った運動場に車を止め、学校の中へ入ると何やら学校が騒々しいのです。聞けば今日は学校の裏にある実習田の稲刈りだそうです。校長先生は既にPTAの役員さんと田んぼへ出ていて、教頭先生が窓越しに声を掛けて呼び戻してくれました。忙しい時に悪いと思いつつ、お約束の二宮金次郎の解説文をと引き換えに、私が預けていた大学の古書を受け取りました。立ち話もできず校長先生が「まあ子どもたちの稲を刈る姿も見てください」といわれたので、裏の田んぼに回りしばらくの間見学させてもらいました。子どもたちは宮岡先生の馴れた指導で稲を刈り始めたのですが、その早いこと、綺麗に刈ること、いやはや驚きです。子どもたちは稲刈り専用の鎌を持参していて、どの子どもも馴れた手つきなのです。今年の稲は近年にない出来だそうでした。子どもたちへの教育の一環ですから安心と安全が一番で、農薬など使わないため収量はそんなに高いとは思いませんが、それでも初秋の日差しが優しく包む田んぼには、赤トンボやアカネトンボが飛び交い、実りの秋を実感しました。

(稲刈りをする前の実習田、学校の校舎の影が秋を表現しているようです)
(手伝いに来てくれたPTAの役員さんにお礼を言いました)

(宮岡先生が鎌の使い方について指導をしていました)

 ひい、風、みい、よう・・・・・・・・と数えてゆくと、子どもの数は12人でした。多分鎌を使える上級生でしょうが12人の瞳は24の瞳だとひとり子どもの姿を目で追いながら、壺井栄の二十四に瞳を連想していました。双海町の小学校は3校あるのですが、この学校が一番少ない学校です。でも私は児童数の少ない小規模校だからできることはいっぱいあると思うし、それを地でいっているのが翠小学校だと思うのです。まさに子どもが主役の学校です。翠小学校のことは間もなく発刊予定の10月号の舞たうんにも書いていますが、とても素敵な学校なのです。やがて秋が深まれば、校庭の気になる木であるギンモクセイに花が咲き、四方八方に芳しい香りを届けてくれることでしょう。

(さあ稲刈りです)
(子どもの数は偉い、またたく間に稲が刈られます)

 双海町には小学校・中学校合せて任の校長先生がいますが、翠小学校の和田校長先生は他の先生に比べたら双海町では新米ホヤホヤ、まさに今日刈り取った稲を脱穀精米して焚いたご飯と一緒なのですが、春先から今日まで懸命に働いているようです。前任の鹿島校長先生もそうでしたが、町内の小学校の子どもたちを相手の少年少女おもしろ教室にも度々顔を出され、子どもと一緒に汗をかいています。教育の基本は子どもとの共有共感共鳴と自立促進です。新米校長は顔を校長ならぬ好調で紅潮させながら全力投球、端から見ても気持ちがいいです。(子どもの頃から知っている山田教頭先生がこっそり私に「若松さん、近頃ブログの記事がかなり厳しいですね」と言われました。そこで少し柔らかくしたのではなく本心です)。

 学校が面白い。学校が楽しい。それは教師の生き方から読み取れるようです。

  「稲を刈る 二十四瞳 生き生きと 小さい学校 だからできるの」

  「校長の 顔紅潮し 絶好調 子ども輝やき 学校輝く」

  「稲を刈る 子どもの中に 左利き 何故か気になる 危なかしくて」

  「この米で 又新たなる 作戦が 次々飛び出す 学校行事」


 

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shin-1さんの日記

○みんな歳をとりました

 先週の日曜日、わが家では母親の七回忌の法要を行いました。命日は10月4日なのですが法事は早めにということで和尚さんを呼んで仏壇の前と墓前で読経をしてもらいました。住職さんは八十歳を超えた方なのですが、最近は腰の具合が悪いとかで変って息子さんが来られました。弱々しい住職さんの読経に比べると若い和尚さんの読経は声も張り中々の勢いを感じました。ここにも世代交代の波が押し寄せているようです。

 九十歳になる親父は12人兄弟姉妹の長男ですが、既に男2人女2人が他界しています。それでも8人兄弟は今も健在とはいえないが生きています。末っ子の叔母は私より一つ年上ですから、全ての兄弟が60歳を越えているのです。今回の法事にも4人の叔父や叔母が体の都合で欠席をしました。母の兄弟姉妹全て亡くなっているので、息子さんが三人出席してくれました。

 法事の会場は久しぶりに出会ったため蜂の巣をつついたような賑やかさで旧交を温めましたが、話題は意外と淡白で、母の七回忌にもかかわらず母の思い出話は余り出ず、家族のこと、自分の健康のこと、年金暮らしのことが話題の中心のようでした。それでも私が食事時に母親の思い出話を含めて挨拶代わりに話すと、正気に戻ったのか母親の話題にスイッチが切り替わったように話し始めました。でもやっぱり健康不安の話に戻るのです。みんな歳をとりました。読経が流れる中仏壇の前に進んで焼香するのですが、まず何人かの叔母は急に立ち上がれないのです。たとえ立ち上がってもふらつく感じで危なかしくて見ていられませんでした。私や妻が手助けをしてやっとの思いで焼香を済ませるのです。座布団に正座することもできないので、食卓用の椅子を座敷の隅に並べましたが7席全て超満員ですし、中腰用の20センチ足らずの椅子も三つ全て出払い、座布団は空いた席が目立ちました。でも足腰が弱った分口に栄養が回ったのか口だけは喋る、食べる、飲むは衰えないとものだと感心しました。

 奈良の弟が帰る時、「もうお前とは生きている間にはよう会わんかも知れん」と弱気な発言をする父も既に90歳です。塀越しに帰る弟の車が見えなくなるまで見送る父の背中は泣いているようでした。長男の私がこの家にいるのですが、いつも見慣れた私の顔など見ずに、異郷の地で暮す弟の身を案じるのは親の優しさなのでしょう。母が死んで6年余りを同じ敷地といいながら隠居で一人寂しく暮す父の寂しさを垣間見ました。私も心を入れ替え折に触れ親父と言葉を交わしたいと、殊勝なことを考えました。体の具合が思わしくなく今回の法事を欠席した叔父や叔母の見舞いにも行きたいと思っています。

  「歳とりし 叔父や叔母見て 思うこと 若き頃見た 元気な姿」

  「ああ俺も 二十年すりゃ ああなるか 今のうちにぞ やらねばならぬ」

  「高齢化 目の当たりにて 見え隠れ 何処か侘しい 下り坂道」

  「孫たちを 抱いてあやして くれる叔母 わが子ダブらせ 抱きし日々」

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