shin-1さんの日記

○写真に写りたがらない年代たち

 最近ブログに載せるためデジカメ写真を小まめに撮っていますが、妻曰く「私たちの新婚旅行さえ二人で写した写真が一枚も無いのに、何で今頃?」と不思議がっていうのです。ご高説はいちいちごもっともと過去を詫びても過ぎ去ったことなので仕方がありませんが、今朝食卓で新聞を読んでいると面白い記事に出会いました。最近の50代60代のいわゆるおばさん世代の人たちは目立ちたがり屋と思いきや、以外や以外写真に写りたがらないのだというのです。その記事は作家小川由里さんの書いたものなのですが、食卓でこの記事を食事をしながら妻に読んでやると大笑いをされてしまいました。

 「そういえばここ数年、友人たちと旅行しても久しぶりに集まっても、だれもカメラを持参しなくなった。かなりの写真好きだった友人もばったり撮らなくなっている。『いつ、何があるか分らないもん。写真は本人の思い出、山ほど残されても家族が処分に困るだけ、景色は心に残しておけば十分』『未整理の写真を入れた菓子箱が積んである。もういらない』。そしてもう一つ、『写真は正直にトシを見せつけてくれる。嫌い』。若づくりしているのに若くも、綺麗にも、カワユくも写らないという面白くなさがある」。

 「ところが夫は違う。男ばかりの同窓会。同好会の飲み会などでもまめに写真を何枚もとり合い、送りあっている。どうもおじさんたちはおばさんほど先のことや老いを深く受け止めていないのではあるまいか」。・・・・・・・・だとさ。

 妻が大笑いをするはずだと同感しましたが、それは多分世の男性を見ての大笑いではなく、私のことを直感しての大笑いだったのかも知れないと、この文章を読み返しながら思ったのです。そういえばカメラに夢中になって、二人で短い旅をしても、嫌がる妻を入れてハイポーズなどと写真を撮っている私の姿がありました。新婚旅行さえ写真を撮らなかった私のこの変貌ぶりを滑稽に思ったのは当然かも知れません。

 女は化粧や着るもので随分化けることができますが、男は禿ても白髪になってもアデランスや白髪染めというのは若い頃の作業であって、還暦を迎えた私どもの年齢になると、特に男ばかしの集まりなどは特に、髭さえ伸ばしたおじん臭い格好でやって来るのです。でも妻が言うには「幾らお化粧しても、いい洋服や光物を身に付けても首の老化は年齢相応に見えるもの」だというのです。そういえば首の若返り手入れなんてものは聞いたことがないと、女性の首筋を観察して納得したりするのです。

 男も女も若く見えることは大きな喜びです。61歳の私だって「幾つに見えますか」の質問に「55歳ぐらい」なんて返事が帰ってくると、悪い気はしないのです。でもその後で「精神年齢」なんて悪ふざけた言葉が小声でかえってくるとがっくりするのです。

 まあ人間は歳相応の生きればいいのです。別に若いといわれてもそこら辺の若者には適わないのですから・・・・。

   「俺の歳 何ぼと聞くは 野暮なこと 若く言われて 精神がっくり」

   「首だけは 若くなるコツ ないそうな 首を隠せば いいではないか」

   「写ってる 正直者の この写真 みんな同級 みんなそれなり」

   「写真嫌 だって若くも ないんだもん でもこれ以上 若くはならず」

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shin-1さんの日記

○残暑見舞いにゴーヤの絵ハガキ

 私の文通仲間に中島町の竹下千鶴子さんがいます。彼女のことは舞たうんにアナログ時代とハガキについて原稿を書いた折、本人の了解を得て永六輔さんとともに実名をあげて文章で紹介しました。彼女とは中島町の婦人会総会に講演に行ったことが縁で知り合い、それからずっとハガキのやり取りをしています。やり取りといっても竹下さんが主で私が従なのです。というのも竹下さんから季節の便りが届くと私がそれに応えて返事を書く程度なのですが、これがまた肩の凝らない文通とでも表現できる長続きの秘訣のようです。

 今月の絵ハガキは多分農家の方ですから自家菜園で獲れたゴーヤを素材に書いたのでしょうが、これがまた瑞々しくて今にもハガキから飛び出してくるようなタッチで書かれており、同じように昨日近所からいただいたゴーヤを妻が料理して食べたにもかかわらず、その表現もしないまま終わっている自分との落差を嘆いてしまいました。「竹下千鶴子さん。毎度毎度季節の贈り物をありがとう」と心の中で叫んでいます。

 「私は文字も絵も下手」と自分で勝手に決め付けています。ですからそれがもろに出るハガキは私にとって悩み多き代物なのですが、私のように人と出会うことの多い人間は「文字と絵が下手」でも書かなければならないのです。私は「書かないハガキは届かない」「たとえ字がまずくても真心は必ず伝わる」をモットーに毎日1日3枚のハガキを性懲りも無く19年間も書き綴っているのですが、その無謀とも思える姿勢が多くの人との縁を得てきたのです。

 竹下さんの絵は豪快で、絵をはさんで「ゴーヤのパワーで夏のりきりました」と書いていました。私もゴーヤは大好きですが、最初沖縄でゴーヤを食べた時、「こんな苦くて不味いもの食えない」と、失礼ながら思わず吐き出してしまいました。しかしちゅらさんや安室なおみさんなどの影響で沖縄が有名になってゴーヤチャンプルなどが紹介され始めると、ゴーヤは健康食品として一躍有名になりました。年齢のせいもあるのでしょうが不思議なもので、あれほど不味かったゴーヤが今では癖になるほど美味しく食べられるのですからこれまた私の賞味なんかもいい加減なものだとつくづく思うのです。わが家でも今年は近所からいただいた2本のゴーヤの苗を植えましたが、残念ながら夏の忙しさと雑草にやられ、見事に収穫ゼロに終わってしまいました。それでも妻が友人から度々ゴーヤのおすそ分けが届き、昨日の夜などはゴーヤの佃煮などまで登場して、息子の不評をかっていました。

 私が元気で夏場を乗り切れたのはゴーヤとスイカとカボチャとナスといった夏野菜であったのかも知れないと思っています。

 残暑もピークのようで、早くも秋雨前線の気配です。親父に頼まれえ蒔いた大根の芽は2~3日の雨で全て出揃いました。余り早く蒔くと病気や台風の強い風にやられる心配もありますが、まずはいい蒔き時を選んだとホッとしています。

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 秋茄子も随分実って近所におすそ分けです。今朝は秋茄子の塩もみで茶漬けといきましょうか。春に収穫し漬け込んだ梅干しも紫蘇で染めて綺麗に出来上がりお茶漬けの上に乗せたいものです。

  「紫の ナス朝露を 身にまとい 秋が来たぞと 主張してます」

  「大根が 芽を出し並ぶ 行列は 行儀いいぞと 褒めてやりたし」

  「二葉から 始まる大根 冬の旅 すられ煮られて 胃袋満たす」

  「もう夏も 終わるか畑 衣替え 隣せっせと 稲刈り響く」 

 

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