shin-1さんの日記

○逆手塾ルポ①

 今年の逆手塾は6月10日と11日の二日間、人間牧場で開催されました。私は昨年の逆手塾にゲストスピーカーとして招かれましたが、その折人間牧場での開催を和田さんと宮崎さんに打診されていました。しかしまだその頃人間牧場は構想の段階で、第1期工事すら着工していませんでした。でも何とかなるだろうとお受けし、この日に照準を合わせて第3期工事まで進めてきました。今回の逆手塾には四つの不安がありました。まず第1は収容人数です。間口4間半・奥行き2間半の施設ではどんなに頑張ってみても収容能力が最大40人なのです。しかもその人数が様々なパフォーマンスを繰り広げるには水平線の家と同じ広さのウッドデッキが必要なのですが、雨だと使えないし天気だと蚊や蛾などの虫類も心配でした。幸い天気に恵まれ場所の確保が出来ましたし、参加矢とスタッフを合わせて40人に納まったのです。また虫も手作りの大蚊帳で何とかクリアーしました。第2には交通アクセスです。人間牧場は隠れ家的な人目に付きにくい場所にある上道が狭く険しいのです。地図を送って下さいと言われても送れないし、地元の人に場所をしえて下さいと言われても言葉では説明できないのです。デラックスな車で来るような人を拒んだり駐車場がないと苦情を言う人なんか来て欲しくないと言ってはいますが、逆手塾を開けば参加者に来てもらわなければならないのです。JR上灘とシーサイド公園を中継点にしてフロンティアグループのメンバーが道案内することで事なきを得ました。三番目は宿泊場所の確保です。水平線の家のロフトは最大8人、雑魚寝をしても半分以上は溢れるのです。幸い歩いて5分の所に地元池久保公民館がありました。貸し布団屋で布団を借りて持ち込みましたが、夜の移動は冷や汗もの、でも皆さんは結構楽しく移動をしてくれました。最後の心配は天気と水でした。海、水平線、空、島、夕日など自慢のロケーションが雨でも降るとまったく期待出来ない梅雨時の開催ですから、雨覚悟でシートなどを多量に確保して万一に備えました。さらに水は10人の暮らしを想定しての配水ですから五右衛門風呂やトイレの使い過ぎは水不足に陥るのです。前日準備段階でその不安が的中するようなショッキングな出来事が起こりました。椎葉村から帰って間もなく準備のために雨の中でウッドデッキをボー刷りで洗っていって、最後の仕上げのため雑巾をかけようと蛇口をひねると水がまったく出でないのです。青ざめて水源のタンクへ走りましたが、タンクは空っぽでした。タンク所有者の西嶋さん宅に伺ったところ、「少しでも綺麗な水を使ってもらおうと思い、タンクを空にした」と言うのです。「明日までには十分貯まります」との安堵の言葉を頂いてホッとしたのです。

 まあこんな風に冷や汗、胆潰しの連続で当日を迎えたのです。

 当日は全国からスタッフを含めると40人が勢ぞろいをしました。東京・神奈川・埼玉・京都・島根・広島・福岡・香川・高知・愛媛と10都県にまたがって集まったつわものたちに逆手塾24回の歴史の重みと凄さを感じました。

 ウッドデッキに並べられた和田さんお手製の特徴ある木製名札を見てもまさに圧巻です。かつて私たちが年4回10年40回のフロンティア塾を開いた当時の興奮が甦ってきました。

 受付は宮崎さんの奥さん貞江さんが手助けしていましたが、今回の逆手塾には宮崎さんご夫妻をはじめ何組かの夫婦が参加していました。昔なら考えられないことで、まちづくりは男性の占有物という間違った考えがありましたが、日本もいよいよアメリカ型となり、まちづくりも夫婦で参加する時代になったと思いました。

 

 さて、プログラムが始まると、お笑い3人組の歌とトークで幕が開きました。和田さん、宮崎さん、田中さんの軽妙にして迫力のある演技は、知らず知らずの内に私たちをその気、やる気にさせるのです。普通はもう一人田中正俊さんが加わってのパフォーマンスとなるのですが、都合で欠席し3人となりました。彼らのフィールドは広島県の県北レクリエーション協会が母体ですから、歌や踊りはお手のもの、いい味をしています。ご覧下さい。左端の和田さんの陶酔した姿を・・・、これが昔私と同じ教育長とは誰も気付きはしないでしょう。さあ逆手塾の始まり始まりーです。

  「六十の 歳になっても この姿 三十年前 少しも変わらず」

  「蜂や蝶 蜜を求めて 飛んでくる 人も同じで 値打ちの場所へ」

  「歌声に 何が起きたか 地元民 見れば牧場 気違い集まる」

  「しつらえた ウッドデッキで 歌歌う バック海空 気持ちよさそう」

  

 

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