shin-1さんの日記

○植物の根

 菊に限らず植物は、健康でいい根を持っていれば必ず地上に生えた部分が生き生きとしています。植物を育てる私たちは何故か目に見える地上の姿ばかりを気にして、病気や害虫から守ろうと努力するのです。夏野菜がスクスク育つ季節になりました。トマトもナスもキューリも植えた頃のへなへな時期を過ぎて新しい根を張り始め今のところ元気に育っています。ところがこんな元気な野菜でも、特にトマトなどは突然青枯れしてしまうことがあるのです。植物には連作障害があって同じ場所に同じ作物を植えるとどういう訳か枯れてしまいます。スイカやトマトはそのことが顕著ですが、稲は連作が起こりにくいから日本の稲作が普及したのだと思います。青枯れのトマトを引き抜いてみると根が殆ど活動していないことに気付きます。何の作物もそうですがいい実りを期待するのなら健康な土作りから始めねばなりません。いい土には必ずいい実りが待っているのですから、根を育てるを基本にすべきと考えるべきでしょう。

 このことを人間の世界に例えて見ましょう。土はさしずめ家庭でしょう。いい家庭という土壌に親という根がしっかりと根付いていれば子どもという芽はどんどん成長し花をつけ実を結ぶのです。害虫や病気は一般社会と思えば説明がつきやすく、最近は社会の病害虫が無数にはびこり、あの手この手で誘惑をしてきます。時には台風のような大風も来るでしょうし予期せぬ地震にだって遭うのです。でも土壌家庭と根親がしっかりしていれば地上の幹葉子どもはゆるぎなく育ってくれるに違いありません。

 最近家庭と親のあり方が随分昔と違ってきました。数少ない核家族家庭が増え、愛情や切磋琢磨もなく一つ屋根の下にいながら個食・孤独・孤立の様相です。生まれて間もない抱きかかえて欲しい子どもは乳児院に預けられ、子育てではなく子預けの様相です。少し大きくなると知識偏重で塾通いさせ、感受性より偏差値しか評価基準を持たないのです。やがて育った子どもは根がいかれているから、時には青枯れだって起こすのです。

 今日本の悲劇は家庭という土壌と根という親の貧困さにあります。自然は正直なもので土壌と根がしっかりしていないと育たないというシグナルを私たち人間に発していますが、聞く耳を持たない人には通じないのです。教育基本法が出来てこの国が良くなるのなら教育基本法をいっぱい作ればいいのですが、その事を考え、いい家庭いい親を沢山作る運動を今からでも遅くはないのですから始めようではありませんか。

 親が子どもを虐待する異常な世の中を見るに付、あれは日本の将来の芽を摘む行為ではないかと思うし、親殺しは日本の過去を消し去る行為だと思うのです。誰かが気付き誰かが始める、そうすればすむことなのです。

  「俺は根だ 俺が元気だ 子も元気 親父も元気 家庭も元気」

  「友だちに メールで牛糞 注文す いつでもどうぞ 返信届く」

  「百姓の 真似事始め 気付くこと 以外と多く これが実りだ」

  「世の中は 日々一年の 繰り返し 失敗だけは しないようにと」



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shin-1さんの日記

○菊の実験からの学び

 「あなたは宝くじで一億円が当たったらどうしますか」と、若い頃にあるタウン情報誌の取材を受けたことがあります。私は即座に「買ったことがないので当らない」と答えてしまいました。先日書棚の本を水平線の家へ移動するので整理をしていたら、その記事の載った情報誌が出てきて、懐かしく読んだのです。その中に「あなたの夢は何ですか」というのもあり私は「将来人間牧場を作りたい」と書いているのです。西暦で逆算すると35歳のころの想いだと思うのですが、何とこの頃には早くも人間牧場構想が頭を持ち上げていた事になるのですから驚きです。その後すっかり忘れていたその夢はやがて50歳代になって再び頭を持ち上げ、嫁の実現に向かって動き出したのですから私という人間は自分ながら相当執念深い男だとしみじみ思うのです。でも「夢はドリームでなくターゲットである」という私の造語も、人間牧場を手に入れた今となっては素敵な響きにさえ聞こえ、夢を持つことの大切さを感じました。

 私はよく講演の中で「菊の実験」の話をします。これも若い頃の話ですが公民館の花いっぱい運動の一環で菊づくりの普及活動を公民館主事としてやりました。公民館の裏には所狭しと鉢を並べて菊を作り、ホルモン処理した菊苗を立てて要望に応じ各集落へ無償で配りました。勿論私自身も見よう見まねで菊を育てたものです。その折3本立ての菊を100鉢程作りましたが、7月になると背丈も伸びて支柱を立てる作業に追われますが、その折不思議な光景を目の当たりにしました。支柱が2本不足して3本の菊の一本だけに支柱を立てて、そのうち立てようと思いながらもついつい仕事に追われすっかり忘れていたのですが、1ヶ月も経って見てみると、支柱を立てた菊はぐんぐん伸びているのに一本は無残にも元から折れ、あとの一本はへなへななのです。私はその菊をそのまま放置してみました。結果的には一本の菊だけが生長して秋に花を咲かせましたが、人前をはばかる見苦しい姿となりました。あくる年、今度は同じ事を意識的にやってみましたが、結果は同じでした。私はその実験の模様を次のように結論付けました。

 「成長の同じ高さの3本の菊に一本だけ支柱を立てると結果はその一本だけが何故か成長促進します。支柱を立てた菊は支柱で固定され風雨で折れないばかりか支柱という目標が出来、その支柱に勝とうという無意識な意識が生まれるのです。物言わぬ植物でさえ目標という支柱を与えればこのような結果になるのです。ましてや百獣の王たる人間は押して計るべきで、目標を持つことの意味を私に暗示しているのです」。

 「菊の実験」は「カエルの実験」「氷の実験」とともに私の三つの教えとして、水平線の家の高座落語ならぬ楽語話のネタにしておきます。あなたもこんな実験をやってみて下さい。

  「もの言わぬ 菊さえ支柱 立てたなら 勝とうと努力 夢を持とうよ」

  「ドリームと 思いし夢が 実現し やれば出来るさ 夢ターゲット」

  「濡れ手粟 つかむが如し 宝くじ 買う人いるから 地域振興」

  「一億円 買わぬ私は 当らない 誰に当った 分らず終い」 

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