shin-1さんの日記

○ハクビシンの奇妙な行動

 わが家は田舎だけあって周辺にはイノシシ、キジなどの野生動物が時々出没します。キジはいたずらししないのですがイノシシは私たち人間を笑うが如くサツマイモ畑を荒らすのです。そのために親父は漁師さんから貰った魚網を畑の周りに張り巡らせ、まるで人間が網に囲まれて暮らしているような錯覚さえ覚えるのです。先日訪ねた中国山地の波型トタンや電気柵程ではありませんがわが家もそれに近い万里の長城を築いているのです。

 わが家の庭に最近奇妙な動物がお目見えし始めました。多分ハクビシンだと思うのですが、私の書斎の掃きだし窓の透明ガラスの向こうに頻繁に現れて中の様子を何の警戒もせずにうかがうのです。最初は緊張のあまりに顔を見せ窓越しに目が合うとそそくさと逃げていましたが、驚かしもせず、ましてや危害を加えないことが分ってからは、朝な夕なやって来ては顔を見せるのです。先日は庭を我が物顔に歩くハクビシンを見て親父が餌を置いていたところ一晩のうちにきれいに平らげていたという話を親父から聞きました。

 ハクビシンは本来夜行性で昼間には殆ど顔を見せませんが、わが家に出没するハクビシンは何故か真昼堂々と姿を見せるのです。しかし残念な事にその姿を写真に撮ろうとすると中々シャッターチャンスには恵まれませんでした。

 今朝のことです。「ゴミ出しに行った妻が「お父さんハクビシンがほらそこにいる」というのでカメラを持って急いで外に出ました。確かにハクビシンだと思い逃げ足の速いハクビシンに振り向いてもらい写真撮影に成功したのです。

 このハクビシン少し弱っているのか逃げ足はそんなに速くなく、プランターの下に潜り込んで頭かくして尻隠さずといったところで私の被写体となってしまいました。

 私の記憶によると「ミレミアム2000年・その日私は」という自著本の中に、「ハクビシンとお地蔵さん」というタイトルでハクビシンの話を民話風に書いた記憶があります。その本を開けてみると2000・2・5の記事が載っていました。我が家の入り口に通じる坂道の上に小さな祠があって、お地蔵さんを祀っているのですが、その祠にハクビシンが住み着いた時期がありました。あの時のハクビシンではと一瞬思いましたが確たる証拠はないのです。でもこのハクビシン見るからに老域に達しているような弱々しさです。

 このハクビシンにちなんで続編のハクビシン民話を近々創作したいと思います。乞うご期待といったところです。最近はハクビシンの世界も動物が介在して起こる鳥インフルエンザや肝炎ウイルスなどの病気原因のひとつとして新聞のネタにされたり車で引かれて無残な死に方をするなど受難続きのようです。ハクビシンには何の罪もないと思うのですが、やはりこれも人間のエゴがもたらした悲しい出来事なのでしょう。私のハクビシンとの出会いが朝早かったため、思わず撮ったデジカメのフラッシュが自動的に光ってしまいました。ハクビシンは驚く様子もなくのっそりと裏山に消えてゆきました。

  「真昼間 堂々顔出す ハクビシン  自然界にも 何か異変が」

  「愛くるし 顔をしている ハクビシン ガラス戸向こう 私に興味が」

  「六年も 前に出てきた ハクビシン よくぞ今まで 何処でどうして」

  「お地蔵の 化身かも知れぬ ハクビシン 何を伝えに 来たのでしょうか」

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shin-1さんの日記

○「以外と意外」意外な指摘

 人間の思い込みは人から指摘されるまでまったく気付かぬままやり過ごしてしまうことが多いことに今朝のメールで気付きました。知人から「あなたのメールを読んでいると以意が以外になっている。以外は意外の間違いではありませんか」と指摘がありました。一瞬ハッとして体に小さな地震のようなものが走りました。自信がないので地震の震源を探して広辞苑を捲りました。

 「以外」はそれを除くほかのもの、そのほか。「意外」はおもいの外、案外。うーん参りました。手紙に手書きで書く時は多分使い分けてたと思うのですが、私のパソコンで最初に変換される文字が「以外」だったものですから何の疑いもなく「以外」も「意外」も全て「以外」と打っていたようであり、知恵の浅はかさをあらためて知らされました。

 パソコンを始めて気がついたのですが、パソコンは文字の変換ミスが多く早とちりの私などは毎日が冷や汗ものなのです。普通は「いやあパソコンの変換ミスで済みません」と返すのですが、「パソコンはその失敗をくり返す道具である」ことを肝に銘じ、失敗をパソコンのせいにしないようにしたいと改めて思った朝でした。

 昔ある先生から「無知によって生ずる不幸は知る事によって避けられる」という言葉を聞きました。「聞いていたら、知っていたらこんな過ちは起さなかったのに」と後で後悔するのは人間の常です。人間は悲しいかな明日のことを予測できても確実なことは何一つ見えないのです。失敗するよりは失敗しない方がいいことは分っていますが、失敗を悔い改める謙虚な気持ちを持てば、失敗経験が大きな人生の力になることもまちづくりの現場で何度も体験しました。

 私たちまちづくり人が日常よく出入りする場所に「えひめ地域政策研究センター」という所があります。そこから「舞たうん」という機関紙が年4回発行されていますが、機関紙の編集に携わる人たちは「うるさい」と思うほどに原稿の校正を行います。多分5校ぐらいやるのでしょうが、私などは送られた原稿ゲラをさっと目を通し、2校目は手直し部分のみの校正で終わってしまうのです。「文字は一度印刷されたら直らない」し、「印刷されたら発行者の責任」であるということも、長い広報づくり(町の広報を10年間、毎月二回、240号を出した)の経験で知っています。「知ることは知識にしか過ぎない」。「知識を知恵に変えねば役に立たない」と口にする私の意外な一面を見たいい朝でした。メールを届けていただいたあなたに感謝します。

  「それ違う 指摘あるまで 疑わず 赤恥かいて 心引き締め」

  「パソコンの せいにしたがる 変換ミス 責任逃れ しては駄目です」

  「意外にも 以外と間違い 以外書く 意外はこれから 以外と書かず」

  「念を押す 気持ち忘れず ブログ書く 筆が鈍って 今朝はゆっくり」


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