shin-1さんの日記

○「以外と意外」意外な指摘

 人間の思い込みは人から指摘されるまでまったく気付かぬままやり過ごしてしまうことが多いことに今朝のメールで気付きました。知人から「あなたのメールを読んでいると以意が以外になっている。以外は意外の間違いではありませんか」と指摘がありました。一瞬ハッとして体に小さな地震のようなものが走りました。自信がないので地震の震源を探して広辞苑を捲りました。

 「以外」はそれを除くほかのもの、そのほか。「意外」はおもいの外、案外。うーん参りました。手紙に手書きで書く時は多分使い分けてたと思うのですが、私のパソコンで最初に変換される文字が「以外」だったものですから何の疑いもなく「以外」も「意外」も全て「以外」と打っていたようであり、知恵の浅はかさをあらためて知らされました。

 パソコンを始めて気がついたのですが、パソコンは文字の変換ミスが多く早とちりの私などは毎日が冷や汗ものなのです。普通は「いやあパソコンの変換ミスで済みません」と返すのですが、「パソコンはその失敗をくり返す道具である」ことを肝に銘じ、失敗をパソコンのせいにしないようにしたいと改めて思った朝でした。

 昔ある先生から「無知によって生ずる不幸は知る事によって避けられる」という言葉を聞きました。「聞いていたら、知っていたらこんな過ちは起さなかったのに」と後で後悔するのは人間の常です。人間は悲しいかな明日のことを予測できても確実なことは何一つ見えないのです。失敗するよりは失敗しない方がいいことは分っていますが、失敗を悔い改める謙虚な気持ちを持てば、失敗経験が大きな人生の力になることもまちづくりの現場で何度も体験しました。

 私たちまちづくり人が日常よく出入りする場所に「えひめ地域政策研究センター」という所があります。そこから「舞たうん」という機関紙が年4回発行されていますが、機関紙の編集に携わる人たちは「うるさい」と思うほどに原稿の校正を行います。多分5校ぐらいやるのでしょうが、私などは送られた原稿ゲラをさっと目を通し、2校目は手直し部分のみの校正で終わってしまうのです。「文字は一度印刷されたら直らない」し、「印刷されたら発行者の責任」であるということも、長い広報づくり(町の広報を10年間、毎月二回、240号を出した)の経験で知っています。「知ることは知識にしか過ぎない」。「知識を知恵に変えねば役に立たない」と口にする私の意外な一面を見たいい朝でした。メールを届けていただいたあなたに感謝します。

  「それ違う 指摘あるまで 疑わず 赤恥かいて 心引き締め」

  「パソコンの せいにしたがる 変換ミス 責任逃れ しては駄目です」

  「意外にも 以外と間違い 以外書く 意外はこれから 以外と書かず」

  「念を押す 気持ち忘れず ブログ書く 筆が鈍って 今朝はゆっくり」


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