shin-1さんの日記

○蚊帳の装着実験

 畳20畳敷きもある超大型の蚊帳を寒冷遮を使って製作しようと試みて早くも3日間が過ぎました。多くの人の協力や手伝いもあって完成しその装着実験を行いました。水平線の家の脱煙装置を見てオーム真理教のサティアンではと勘ぐった人には、何教かは忘れましたがウエーブとかいう宗教団体が何やら白い布で施設を覆った再来かと言うに違いないと思いながらも、今週末の逆手塾に間に合わせようと夜を徹して造った労作にして大作の蚊帳なので、失敗は許されないのです。

外にしつらえたステンレスの骨組みにすっぽり被せて見ましたが、中々の出来栄えです。結果的には横幕を裁断もせずに縫い合わせていったので奥行きがほんの僅か足らなくなりました。その様子を中から見ればご覧の通り立派な出来栄えです。

 今日は孫と二人で朝から人間牧場へ出かけ、足らなくなった横幕に、昨日買ってきた寒冷遮を接ぎ足す作業をしました。家からミシンを運び、生地を裁断してかがりながら縫い合わせてゆくんです。孫は「おじいちゃん手伝ってあげる」と、頼みもしないのに様々な作業に首を突っ込み、すっかり足手まといとなってしまいました。「おしっこ」、「ウンコ」、「お菓子」、「ジュース」と親がいないことをいい事に私にねだって、結局はその都度作業が中断するのです。仕事が終わった頃関西汽船の浜田さんから一報が入り迎えて今日の作業は何とか終了しました。完成してからの装着実験はしていないのですが、多分バッチリではないかと思います。この大きな蚊帳、ステンレスの骨組みも含めるとかなり高いものになりましたが、それでも息子と二人で様々な試行錯誤を繰り返した結果出来上がったので喜びも一入です。

 中学校の家庭科で触りはしましたが、この歳になってミシンの使い方も始めて妻の手ほどきを受けましたし、久しぶりに漁師をしていた頃の網仕立てに似た作業をやりました。

 蚊や虫が来るのは自然が豊かだからと思っていましたし、今もその考えに変わりはありませんが、水平線の家の快適さを追求するにはやはり虫を寄せ付けない防備が必要なのです。一番虫の嫌いなのは孫で、先日地元の人を招待した時などは眠気をもよおしていたこともあって、虫が来る度にワアワアわめきたてるように泣きました。これで孫も少しは落ち着いてくれるものと、ミシンで縫いながら虫の話をしてやりました。

  孫の手を 借りて二人で 蚊帳を縫う 足手まといで 先へ進まず」

  「ミシンなど 見たこともない 孫の目が 縫い目追いつつ 眠気催す」

  「懐かしき 蚊帳をつりたる 思い出に 浸る私は 時代が古い」

  「ふと鏡 見ればすっかり 日焼けして 百姓顔に なってきました」

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shin-1さんの日記

○宮本常一に会ってきました

 私の友人に山崎由紀子さんというユニークな女性がいます。先日電話があって人間牧場を見学したいというのです。人間牧場の見学は申し込みが多く順番があるのですが、そんなことお構いなしにどんどん攻めてくるものですから、男性ならいざ知らず女性のことでもあるのでついつい案内しました。その日はどんな取り合わせなのか分らぬまま家具屋姫こと五十崎の成田幸子さんという旧友を伴っての来訪でした。伊予市と合併して良かったのは門田さんや山崎さん、木下さん、徳本さんなどと同じ市民になったことです。まあ山崎さんの場合は書店の経営者だけあって博学で目立ちたがり屋と思える程の活躍ぶりです。

 下灘のコミセンで待ち合わせして人間牧場へ案内したのですが、家具屋姫の成田さんは可愛い花器をプレゼントして野の花まで活けてくれるサービスぶりでしたが、山崎さんは詩のコピーを持参して楽しいお喋りをしました。

 その折、人間牧場から見える周防大島の「旅する巨人・宮本常一」の話をしたら、山崎さんはえらい興味を示しました。そして必ず周防大島を訪ねたいと言うのです。始めての話でもあるし私が半信半疑になったのも無理はないことなのでした。ところが彼女は息子を連れて母の日に早速周防大島を訪ねたというのです。驚きました。そして先日周防大島での一部始終を私の元へ送ってくれました。

 普通の女性だとここまでを便箋にしたためて送るのですが、山崎さんはデジカメ写真をプリントし、もっと驚いたのは旅の記念になるであろう乗船券や三津浜・伊保田間の時刻表などミニグッズまで同封する念の入れようでした。彼女の行動力は伊予市民の知る人ぞ知るですが、こんな行動人間は滅多にいないとあらためて再認識した次第です。この封筒に入った周防大島見聞録や宮本常一に関する資料は早速人間牧場のお宝にしようと思っています。

 このところ忙しくて早速とは行かなかったのですが、今朝早起きをして山崎さんにお礼のハガキを書きました。勿論一日三枚のハガキ実践の一枚です。実は先日山崎さんにお便りを出したのに届かず舞い戻った経緯があります。私はその舞い戻ったハガキを山崎書店へ持参しました。「番地が少し変わっているぐらいで届かないあなたも無名じゃねえ。私なんぞは愛媛県・若松進一でも着ますよ」と冗談を言ったものです。

さて今回のハガキは確実に届くのでしょうか。少し心配です。

  「憧れて 宮本常一 生きた町 訪ねた旨の 手紙届いて」

  「切符まで 旅の思い出 あれこれと 送り届ける 気持ち嬉しく」

  「まず動く そして始まる 探す旅 やがて大きな 心の糧に」

  「ハガキ書く 顔を思って まず宛名 それからよろず 思いつくまま」 


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