shin-1さんの日記

○見方を変えれば

 今日は中国四国農業土木技術士会の招きで岡山県へ出かけました。あいにくの雨模様で傘を用意しての旅でしたが、岡山では雨に合うこともなく傘が恥をかいたと思っていたら、松山に降り立った時にはかなり激しい雨が降って大助かりでした。今では四国の玄関口といっても過言ではない岡山は大阪や神戸へ行く中継点としてすっかりお馴染みの街になりました。しかし岡山を訪れるその殆どは通過する街で、じっくり歩くこともなく特急しおかぜから新幹線や特急やぐもに乗り換えるのです。今日は松山から岡山行きのバスで往復しました。僅か2時間半余りのバス往復の旅は適当なうとうと睡眠と本を読むのに適当で旅費も安いしこの上ない交通手段です。本当は特急しおかぜで岡山へと今朝まで思っていたのですが、昨夜来孫がやって来ていてその孫を幼稚園に連れてゆく約束があったものですから、急遽JR松山駅みどりの窓口でバスキップを買い求め、インター口近くの友人宅に車を停めさせてもらいバスの人となりました。

 講演には80人もの参加者が来ていて、「新しい発想で生きる」というタイトルで2時間弱話をさせてもらいましたが質問も活発で知的レベルの高い団体とお見受けしました。

 バスを降り少し時間があったので会場となった岡山メルパルクへの道をあちらこちら散策しながらゆっくりと歩きました。駅前には路面電車が走っていて長閑な雰囲気が漂い、街中を流れる水辺が公園になっている緑道公園を歩いてみました。細長い公園ですがきちんと整備されていてあちこちに市民の憩う姿がありました。水量は水がやや濁ってはいるものの梅雨の影響か勢いよく流れ、涼風満点で噴水のはねる姿が初夏を演出していました。

 時間があればすぐ側の後楽園へも足を向けたかったのですが残念ながら余裕がなく止む無く断念しました。お陰で親水公園をたっぷりと散策することができ束の間の癒しを満喫しました。

 頭に描いていた岡山のイメージは訪れる度に少しずつ変化しているようです。今月は岡山へは和気町、倉敷市と今回で都合3回も訪れていますが、街の佇まいは知れば知るほど新しい発見があるようです。やはり街は自分の足で歩かねば本当の魅力は分らないのかも知れません。

 街は裏から見たり表から見たり、季節の変化や時間的な移り変わりでも実に様々な顔をしています。また路面電車も松山の電車と比較してみるのもいいかも知れません。次は地図を頼りに歩いて見たいものです。

  「泣きそうな 空を見上げて 散策す 水はゴーゴー 緑したたる」

  「新幹線 二階建てビル 走るよう まるで子の名の のぞみひかりが」

  「街中に こんなオアシス あったとは 水は文化だ 日本らしさだ」

  「えっ何で 歩いて見つけた こんなもの 写真撮ったが 暗くて写らず」


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shin-1さんの日記

○つい最近物忘れが多くて

 ある女性から「つい最近物忘れが多くて」というメールが届きました。彼女のメールには「免許証とハンコを半日探した」という告白がありました。探した結果あったのかなかったのかは書いていませんでしたが、彼女よりも年齢を経ている私としては同じような経験を何度もしているだけに、彼女の慌てぶりが想像できました。人のことではないと思いつつ少しずつ忍び寄る老いの姿を同居の親父とダブらせながら考えました。

 88歳になる親父は几帳面で沢山持っている道具類も必ず元へ戻す癖があります。ですから私が親父の道具類を持ち出そうものならすぐに分ってしまって、「鋸を使ったら元へ戻しておけ」などとよく注意をされるのです。88歳の親父に比べたらまだ青二才の私なのに、親父よりはるかに物忘れがいいと苦笑することだって度々です。先日作業をしていた親父がそこら辺を物を探すような姿でうろちょろしていました。「じいちゃん何か探しよるん?」と尋ねると、「さっきまでかけていたメガネをどこかに置き忘れた」というのです。一緒に探してやりますが中々見つかりません。結局は草引き途中で休んだ場所の麦藁帽子の中へ入れていて、事なきを得たのです。

 「歳をとるとよく忘れる」と親父もこぼします。その度親父に「じいちゃん、覚えとることを全部覚えていたら頭が爆発するぜ。忘れるから丁度ええのよ」と言ってやるのです。そう人間は忘れるから覚えるのです。

 でも忘れるからいいことも沢山あります。例えば苦しいことや辛いことをいちいち覚えていたら毎日が暗くて辛くて悲しくてやってはいけません。母の死などは最も辛くて悲しい出来事でしたが、近頃は予定表を見ないと命日さえ忘れる有様です。家族の誕生日も妻の手助けがなかったら覚えていませんし、まあこの程度の忘れ方が程よいのです。物を置いた場所を忘れないコツはやはり「元へ戻す」という親父のような訓練と整理整頓以外(以外と意外の存在を意識できるようになりました。忘れていませんよ)にはないようです。

 忘れていて得したことがつい最近ありました。名刺を整理していると名刺の中からきちんと四つ折にした1万円札が出てきたのです。何時入れていたかも定かでないほど忘れていたお金が出てきたのですから、宝くじを買ったことがない私としては「宝くじに当ったような」という表現も出来ませんが、宝くじが当ったような嬉しさでした。忘れていたための喜びの発見なのです。そんなことって誰にでもある喜びなのです。まあ忘れるより忘れないことに越したことはありませんが、人間は忘れるもの、歳をとったら忘れるものと諦めて、そんな嫌な自分と付き合うのもいい歳のとりかたなのです。

 「お父さん、昨日メモしていた方に電話をかけましたか」妻の声。「おっ、忘れていた。「お父さん、原稿が届かないと昨日電話がありましたよ」妻の声。「忘れとらん」と言葉を返すが本当は忘れていました。ああー俺も歳だな。

  「物忘れ 段々ひどく なってゆく 親父と同じ 道を辿るか」

  「一万円 名刺の中から ひょいと出た 忘れるたとも いいことあるね」

  「俺忘れ 妻がフォローの 二人連れ 妻に給料 払ってやらねば」

  「誕生日 忘れていたのに プレ届く 嬉しいけれど 何か侘しい」



 




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