shin-1さんの日記

○水に学ぶ

 水ほど不思議な物体はないと時々思うことがあります。風呂に入って水(お湯)を広げた手で押すと水は左右に分かれて後ろへ逃げてゆきますが、逆に手を広げて後ずさりすると水は手についてくるのです。昔親父と風呂に入った時、この水の不思議を手で動かしながら話してくれたことが今でも頭の片隅に残っているのです。私は社会教育13年、教育長2年とあわせて15年もの間教育の現場に身を置き、様々な教育活動に携わって来ましたが、手と水の関係はリーダーの在り方を見事なまでに示しているのです。私たちは教育の現場で相手に何かを教えようという心が働き過ぎて、幾らやってもその気持ちが空回りすることがしばしば見受けられます。それは水を手で押す動作に似ています。一方相手を尊重し自主性に任せて自分が一歩下がれば相手の心はこちらの懐へすり寄ってくるのです。これも手を引くと水が追いかけてくる様に似ていて、私たち指導者に無言の教えをしているのです。

 今日風呂に入って考えました。私の容量が入ると風呂の余ったお湯は湯桶から溢れ出ます。これも当然のことですが不思議といえなくもありません。妻と二人が交互に入るから次男が入るお湯が保てているのです。二人が入って満タンになった気分のお湯は二人が出た後は見るからに惨めな量なのです。湯桶の量を前もって知ることは見定めとしては大事なことだし入力と出力のバランスにもつながります。

 昔「水五則」なる教えを聞いたことがあります。「水は方円の器に従い人は善悪の友による」とか「雲や霧や霰や氷になってもその性を失わざるは水なり」などだったと記憶していますが、水の不思議を考える度に水に教えられるのです。水は分け隔てなくあらゆるものを浄化し、活気を与えてくれます。水は自由に恐れることなく、あらゆる物の表面から奥深くまで浸透します。水は流動し敏感に反応します。水は自由で軽やかです。

 これらの特性をリーダーに当てはめて理想のリーダー像を考えてみると、「いかなる場においても不平を言わず、いかなる人とも手を携え、いかなる問題からも逃げず、全員の利益のために行動し、報酬の多寡を問わずによく奉仕する人」、「簡潔かつ正直な言葉で語り、光を注ぎ、調和を生み出すために問題に介入すう人」、「水の動きを見つめることによって、行動においてはタイミングが全てであることを学ぶ。水のように圧力に対して柔軟である人」だと思います。

 水は何故かつかめません。水はすくうものです。だとすると心もつかめません。心は汲み取るものなのです。今水の星といわれる地球が環境汚染によっえ危なくなっています。この水の星に暮らす人々の行いも戦争や迫害によって難民生活を強いられる人が沢山いるのです。もうそろそろそのことに気付き水の如き穏やかな暮らしを取り戻したいものです。そのためにも水のような力を備えたリーダーを目指さなければなりません。

  「水なくば 動植物とて 生きられぬ 水の恵みに 汚さず感謝」

  「水のよな 人になれよと 教えられ 未だなれずに 苦悩三昧」

  「この身とて 殆ど水で 出来ている 汚れなき水 飲める幸せ」

  「リーダーの 心得水が 教えてる 大河の流れ 元は一滴」 

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shin-1さんの日記

○城ヶ島の雨

 昨日は大雨の中を岡山県和気町商工会の招きで合併記念セミナーの講演に出かけました。往復500キロのマイカーでの長旅で、帰宅時間は午前0時を回っていました。雨の中の走行なので妻は相当心配したらしいのですが当の本人は元気そのもです。今朝はその疲れもあってか多少気だるさが残り、書斎の窓越しに雨に濡れた庭を見ています。普通の人は雨を嫌がるのですが、お百姓さんや漁師さんにとってみれば久々の休みでほっとしているのではないかと思います。最近は田植えも早くなり、田休みなどの風習もすっかり捨てれてしまいましたが、昔は公民館に集まって田休みの酒盛りなどが年中行事として行われていました。

 庭の隅に植えられているアジサイが雨に濡れて一際美しく見えます。雨をうっとうしいと思うのか、雨を楽しむのかは人それぞれでしょうが、雨を見る度に思い出すのは「城ヶ島の雨」という北原白秋の歌です。城ヶ島は神奈川県三浦三崎にありますが、愛媛県立宇和島水産高校の練習船の基地が三浦三崎だったのです。私は18歳の頃この愛媛丸に乗船して南太平洋へこの港から出航しこの港へ再び帰って来ました。出港準備の忙しい中を私は友人とともに渡海船に乗って晩秋の城ヶ島へ渡りました。島の一角に北原白秋の歌碑が建っていました。

    「城ヶ島の雨」

   雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の 雨がふる

   雨は真珠か 夜明けの霧か それとも私の 忍び泣き

   舟はゆくゆく 通り矢のはなを 濡れて 帆あげた ぬしの舟

   ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる 唄は船頭さんの 心意気

   雨はふるふる 日はうす曇る 舟はゆくゆく 帆がかすむ

 この唄を作った北原白秋が神奈川県三浦半島の突端にある三浦三崎に住んでいたということを知ったのは随分後のことなのですが、森繁久弥さんが哀調を込めて歌う城ヶ島の雨という歌にはこんな私の少年の頃の思い出があるのです。

 それにしても、雨を見て利休鼠の雨おは凄い表現力です。利休鼠とは灰白色にやや緑かかった色をいいます。城ヶ島の緑が雨に濡れていたのでしょうが、利休鼠は焼き物の色としても使われます。私が自著「昇る夕日でまちづくり」の本の序文に書いた「雨過天青雲破処」もやはり焼き物の色なのですから、実にいい表現だと、あらためて北原白秋の感性の豊かさに驚いています。

 ここ2・3日は梅雨のぐずついた天気が続くようですが、今日は久しぶりに窓の外の雨を眺めながら、雨を楽しみたいと思っています。

  「早苗田に シトシトシトと 音もなく カエル鳴く声 傘が演出」

  「昨日雨 今日も明日も 雨雨雨 ツバメは低く 元気に飛び交う」

  「この雨を 利休鼠と 白秋は 唄に歌って 心和ませ」

  「塩漬けの 梅をまぶすや 昼下がり 匂う香りに ツバを飲み込む」


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shin-1さんの日記

○勧奨退職の決断

 この歳になると私の元へは色々な人生相談が持ち込まれます。夫婦の折り合いが悪い離婚騒動とか、体調が悪く病院に行ったらうつ病と診断されて休職したいとか、はたまた仕事を辞めたいとか、一見幸せそうに見える人が深い悩みの淵に立って悩んでいるようです。私には離婚の経験もうつ病になったことも、仕事を途中で辞めたこともない未経験者なので、本当にその人の気持ちを汲み取ることは出来ませんが、それでも一緒に悩み一緒に解決しようと、糸口を探すくらいなら出来ると思い相談に乗るのです。

 何年か前、子供のいない役所に勤める晩婚女性からある相談を受けました。その女性の夫が脱サラして新しく募集している公共施設で食堂を開きたいと言うのだそうです。それなら私も一緒に夢を追おうと役所を退職したい旨の相談でした。夫の会社は民間で小さく退職金などなく、女性の退職金をつぎ込んでの出発になるとの話や、公共施設の目指す目標・集客などがはっきりしない今の決断は危ないから、私の友人にリサーチを頼んでみる事でその場は別れました。友人のFS調査によると目標や集客数値予想は惨憺たるもので、残念ながら赤字になる結論が出たのです。私のこの資料に女性は驚きましたが、その夫はの意志は固く結局その方向に走ってしまいました。しかしその女性は「夫こけたら妻こけるでは元も子もないからあなただけは今の仕事を続けなさい」という私の忠告を守り職場に踏みとどまり、土日や祭日に裏方として援助をしているようです。先日気になってその女性に会ってみました。開口一番「あの時若松さんの言葉がなかったら私は職場を辞めていたでしょう。今の夫の仕事は若松さんの調査どおりの結果で、夫も今は後悔していますが、かなりの資金を借金で投資したこともあって止めることは出来ません。土日も祭日もない働きがどれ程大変か、今になって分りました。でもそのことが随分人生勉強になり今の仕事に生かされていますので、まあそれが救いでしょう」と胸を撫で下ろしていました。

 「若松さんのような自由な人生が送りたい」と今の私を見て誰もが言います。私は今の自由な人生に満足し自由な人生を見せびらかせていきているのですから、周りの人はそう思うに違いありません。しかし今の自由を手に入れるまでには35年間の涙ぐましい努力があったことを知る人は少ないのです。何かの壁にぶち当たると人はその場から逃げ出したくなったり辞めたくなったりするものです。その時「ちょっと立ち止まって」自分を見つめたり、親しい人のアドバイスを貰うことは道を誤らないで済むことになるのです。

 行政が人余りの手段として打ち出した「勧奨退職制度」は少なからず行政に働く人たちの間に波紋を投げかけています。小さな田舎町の役場で親方日の丸で過ごしてきた人が、平成の大合併という思わぬ黒船来航によって心が乱れ、「本庁で仕事をしなければならなくなったり、難しい職責に頭を悩ますのだったらいっその事辞めたい」と思うのは無理からぬことです。でも給料が安いと不満を言ったって役所の給料を別の働く場所で稼げるほど世の中は甘くないことをしっかりと認識しなければならないと思うのです。

 先日「あなたの日給や時給はいくら」と役所の職員に尋ねたら「月給なので分らない」とう答えが返ってきました。今社会では時給800円から1000円程度でしょうか。800円だと8時間で日給6400円になります。1ヶ月に20日働くとして月給128000円です。勿論ボーナスも退職金もなく休めばお金は貰えません。年収を12ヶ月で割ると月給が、月給を30日で割ると日給が出てきます。時間中にお茶を飲んだりタバコを呑んだり、休みも給料として出ていることを思えば、何と恵まれた環境にいるかお分かりでしょう。

 さああなたはこれでも勧奨退職で別な道を進みますか。

  「恵まれた 場所にいるのに 恵まれぬ 不平不満は 次から次へ」

  「給料と あなたの仕事 シーソーに 乗せてください 重いのどっち」

  「辞めたいと わがまま言う奴 すぐ辞めろ あなたの変わりは 幾らでもいる」

  「あの時の あのアドバイス なかったら 私辞めてた よくぞ辞めずに」

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