人間牧場

〇大ぼらを吹く

 私は若い頃双海町の夕日を日本一だと思うようになり、何かにつけてそのことを多くの人に言うようになりました。出来もしないことをさもできそうに言いふらすことを「大ぼらを吹く」や「大風呂敷」と言いますが、時には私のことを仲間内の人は親しみを込めて、「日本一の大ぼら吹き」とまで言われてしまいました。

大ぼら吹きの吹くメキシコ人の友人から貰った角笛

 ところがどうでしょう。JR下灘駅のプラットホームで開いた夕焼けコンサートを皮切りに、次々と夕日を売り出す活動や仕掛けを作り活動をした結果、自称ながらどこにも負けないような夕日の物語が生まれ、夕日百選、恋人の聖地などの後押しもあって、オンリーワンながら今では自他ともに認める夕日のメッカとなったのです。

 何年か前、人間牧場へメキシコ人のお客さんがやって来ました。もう名前さえも忘れかけていますが、彼は私への手土産に水牛の角で作った笛をくれました。今も人間牧場の書棚に置いていますが、子ども体験塾で集まった子どもたちに夕日の物語の顛末を話しながら時々この笛を吹いて、夢を持つことの大切さを話してやるのです。

 先日一人で人間牧場へ草刈りに出かけた折、ウッドデッキで休憩しながらほら貝ならぬ角笛を吹いてみました。腹に染み入るような角笛の低い音色は周囲の山々に木霊しました。もう年齢的に大ぼらを吹く勇気も気力もありませんが、活き活きと生きていた青春時代の思い出が蘇りました。

そうそう、わが家の横の海の資料館「海舟館」にある、船舶が霧が出た時、自船の位置を刷らせるため鳴らすフォグホーンも、同じような腹に答えるような低くて鈍い音が出ます。今度人間牧場へ持って行ってウッドデッキで競音したいものです。

「わが町の 夕日を日本で 一番に したいと語った 大ぼら吹きです」

「大ぼらも 今では正真 正銘の 日本一に なっているよう」

「メキシコの 友人貰った 水牛の 角笛吹いて ほら吹き再現」

「角笛と 海舟館の フォグホーン いつか競音 デッキでしたい」

 

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人間牧場

〇苦手なZoom会議

 私は学校でパソコンを習っていない世代の古いタイプの人間なので、パソコンが大の苦手です。年齢や苦手を言い訳に、極力パソコンから離れようとしていますが、講演や役目などの行きがかり上、どうしても使わなければ前に進むことができないので、右往左往しながら仕方なくというのが正直なところです。

 ところがつい最近は、新型コロナの感染拡大の影響で、世の中は一気にオンライン化が進み、家庭にいながらオンラインで仕事をする人までいるのですから驚きです。はてさて私が代表を務める地域教育実践ネットワークえひめでは、毎年国立大洲青少年交流の家に200人程の人が集まって地域教育実践交流集会を開いて来ましたが、昨年はコロナで集まることができず、13回目にして初めてオンライン形式で行いました。

 私自身は慣れないこともあって右往左往しましたが、実行委員会のメンバーにはその道に長けた人も沢山いて、200人を超える人が参加し予想以上の成果を得ることができました。さて今年の集会をどうするか、既に執行部会や2回の実行委員会を行い準備を進めていますが、一昨日第3回の実行委員会がZoomで行われました。

 いつもながら、上手く参加できるか不安ですが、何度も繰り返しているので、少し慣れて上手く参加できるようになりました。この日は30人を超えるメンバーが参加し、1時間の予定を20分も超える議論がネット上で行われました。人の顔を画面上で見るだけの会議は消化不良気味で、私は好きではありませんが、松山までの往復2時間も必要でなく、便利といえば便利です。

昨年までパソコンの画面上についているカメラの存在する知らずに使っていた時代遅れな私ですが、この1年少しパソコンに近づいた感じですが、相変わらずパソコンへのアレルギー反応は続いています。時々中2・小6の孫や同居の息子に、パソコンの使い方を教えてもらっている、ダメな高齢者の苦難の日々は続きます。

「最近は 苦手なパソコン オンライン 会議多くて お疲れモード」

「歳のせい 理由にパソコン 逃れたい それもできずに 毎回あたふた」

「二時間も かけて往復 するよりも 自宅居ながら 便利は便利」

「世の中の 進歩の速度 早過ぎて ロートル私 置いてきぼりに」

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人間牧場

〇シーサイド公園界隈

 暮れなずむシーサイド公園で夕日を鑑賞しながら、私が監修して造った童謡の小路に設置している歌碑を巡りました。恋人岬の突端に設置したモニュメントには「赤とんぼ」、園内道路沿いには「ぎんぎんぎらぎら」「夕やけこやけ」「あの町この町」などの歌碑が設置されていて、思わず口ずさみました。

夕日に映える童謡の小路の歌碑

 国道と公園の境斜面には、私が別名で「夕日花」と名付けた酔芙蓉の花がそれは綺麗に咲いていました。朝真っ白な花を咲かせ夕暮れになると、ピンクに花の色を変え夜真っ赤になって萎んで落ちる珍しい花ですが、多分そんなことに気づいたり、気づかせようとする意図もなく、少し雑草が伸びただ咲いているだけのようでした。

朝・昼・夕と色を変える珍しい酔芙蓉の花

 昨年挿し木して増やした真っ赤な花の芙蓉の苗木を2~3本、施設を管理している市役所に頼んで植えようかとも思っています。今年は花季が終わり剪定する時期に酔芙蓉の枝を2~3本貰って挿し木して苗を作ろうとも思っています。

「歌碑巡り 歌詞を見ながら 口ずさむ 童謡夕日 言い得て妙なり」

「園内の 斜面に植えた 酔芙蓉 朝・昼・夕と 色変え咲いて」

「25年 前に植えたる 酔芙蓉 今は知る人 殆どなくて」

「今年は 枝を貰って 挿し木する 替わりに真っ赤 芙蓉を植えよう」

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人間牧場

〇家庭菜園の中耕

 前日雑草やスイカ・トウモロコシなど夏野菜の残材を取り除き、白い石灰と黒い牛糞を万遍なく撒いていた家庭菜園を、涼しい間の朝一番に耕運機で中耕しました。夜の間に降りた夜露で石灰も牛糞もしっとり馴染み、埃も立たず作業は進みましたが、草の根や残った枯れ草が耕運機の刃に絡みつき、時折作業を中断して取り除きながらやりました。

すっかり綺麗に中耕を終えた家庭菜園

 畑はすっかり綺麗になりました。このまま4~5日土を落ち着かせ、210日の過ぎた9月に入ると畝を立て、いよいよ冬野菜の種蒔きです。大根やカブ、高菜、小松菜などの種は既に用意をしています。今年も秋分の日頃に水口種苗店に出向き、キャベツ、白菜、ブロッコリー、カリフラワーなどの苗を貰い受け定植する予定です。

収穫した完熟トマト

 昨日は伸びたサツマイモのつる返しをしたり、熟れたトマトの残りを収穫しました。少し長手のアイコという品種は、果実の表皮が固く長雨でも果実が割れたり病気になることもなく収穫でき、妻はこのトマトを使い、毎朝トマトジュースを作って飲ませてくれます。完熟トマトのジュース、それに自家加工したブルーベリーのジャムをヨーグルトに入れて食べています。お陰で夏バテすることもなくすこぶる元気に過ごしています。

「石灰と 牛糞撒いた 菜園を 耕運機にて 中耕さっぱり」

「大汗を かいて中耕 種蒔きの 準備ができて ホッと一息」

「完熟の トマト沢山 収穫す 毎朝妻が ジュース搾って」

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人間牧場

〇東京2020パラリンピックが開幕しました

 オリンピックに続き今度はパラリンピックが開幕しました。主人公のアスリートは障害を持つ人ゆえ、新型コロナの爆発的感染が続く首都圏での競技は、オリンピック以上の注意が求められていて、オリンピックに続き無観客での開催となりました。

開会式のシンボルマーク
花火が上がった国立競技場の様子

 開会式を家族みんなでテレビ観戦しましたが、色々な意見はあっても映像技術の進歩と素晴らしい演出には目を見張るものがありました。始まった水泳競技には色々な障害を持った人が競技に挑んでいますが、両手のない人が平泳ぎに出場し、両足を使って巧みに泳ぎ見事銀メダルを獲得した懸命の泳ぎなど、常識では考えられない動きに感動しながら見ました。

 家族で観戦しながら、パラリンピックのシンボルマークが、漢字の「心」という字に似ていると思いました。わが家に同居している長男息子が一心、中2の孫が希心、小6の孫が奏心と、心という文字に縁があり、また一昨日長年の疲労蓄積で破れた掲額を「恩」という文字に替えたばかりで、その文字にも心が使われているから余計そう思いました。

心のあり様は目には見えにくいものです。周りの人の支えを受けて出場している障害を持った人たちのこれまでの努力と、競技する姿から伝わる感動はまさに心だと思いました。短い期間ですが折に触れ寸暇を惜しんでテレビで、日の丸を背負って頑張る人は勿論のこと、世界中から集まったアスリートたちの熱い戦いを、心を込めて観戦応援したいと思っています。

「東京で パラリンピックが 開幕し 家族で観戦 声援送る」

「シンボルの マーク漢字の 心似と 勝手に思い 思い巡らす」

「手がなくて 足でキックし 背泳ぎを 信じられない 銀メダリスト」

「コロナ禍で 色々意見 あるけれど 声援送る テレビの前で」

 

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人間牧場

黄色い曼殊沙華の花と赤い芙蓉の花が咲きました

 2年前、友人の後藤田さんから珍しい黄色い曼殊沙華の球根をいただきました。庭の隅に植えていますが、このところ葉っぱに先立ち花茎が伸び、綺麗な黄色い花が咲きました。こちらでは赤い曼殊沙華の花が主流で、時折花の好きな方の庭でピンクや白い花の曼殊沙華の花を見かける程度です。近所に住む姉が連日やって来て、この花を愛でながらお茶を飲んで楽しんでいます。

綺麗な黄色い曼殊沙華の花

 田んぼの畔に咲く野生の赤い曼殊沙華の花が咲くのはもう少し先ですが、早生系の稲はすっかり色づき、長雨で少し遅れているものの、今度の土日には稲刈りが始まるようです。それにしても植物は偉いもので、雨風・気温・太陽・土・水などの自然現象を察知して、私たち人間が教えることもなく季節になれば芽を出し、花を咲かせてくれるのです。

大輪の赤い芙蓉の花

 この花を見る度に球根を送ってくれた後藤田さんの、温和な笑顔を思い出しています。もうひとつ、近所に住む池田武夫さんという方から3年前真っ赤な芙蓉の剪定した小枝をいただき、短く切って挿し木をしましたが、殆どついて10本ほど庭に定植しました。今では毎日のように真っ赤な大きな花を咲かせています。この花の苗を次男嫁の実家に差し上げたところ、庭に植えて連日花をつけていると喜びの電話がありました。花を見て人の顔を思い浮かべるのも楽しいです。

「友人に 球根貰い 庭の隅 曼殊沙華の花 見事に咲いて」

「普通赤 この曼殊沙華 濃い黄色 珍しいねと 愛でつつお茶を」

「剪定した 枝を貰って 挿し木した 赤い芙蓉も 連日咲いて」

「花を見て 人の顔々 思い出す 思わず和む 今日も幸せ」

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人間牧場

〇夏の思い出

 今年の夏はお盆を挟んで日本列島に居座り続けた前線の影響で、毎日のように雨模様の天気が続き少しうんざりしていましたが、ここに来てやっと太平洋高気圧の張り出しによる南風が吹いて蒸し暑く、第2回目の梅雨明け宣言のようです。

役目を終えて戻って来た朝顔の鉢植え

 今年は春先から長期入院で農作業などの段取りが狂いっぱなしで、未だに元に戻っていませんが、そろそろ秋の準備をしなければならない時期を迎えていて、昨日は役目を終わったスイカ畑の下草を刈ったり、果樹園の枯れた甘夏柑をチェンソーで伐採した枝を集めて運び、焼却処分をしました。

 今年の夏は息子が大量に朝顔を育て、伊予市街の商業施設町家に展示していましたが、約一ヶ月間の役目を終えた朝顔の鉢植えがわが家に戻ってきました。息子はこの1ヶ月仕事から帰りに町家へ立ち寄り、剪定したり花柄を取る作業に明け暮れ、中腰作業で腰の痛みを訴えるなど、かなりハードな日々だったようです。

 何人かの町家利用の常連客から、「毎日ご苦労様でした。今年は朝顔の花を存分に楽しませてもらい、ありがとうございました」と何人もの人から言われたそうで、そんなささやかな一言がたまらなく嬉しいと目を輝かせて言っていました。さてこれらの戻った朝顔の鉢植えの片付けもまた大変なようで、少し手伝ってやろうかとバカ親ぶりな心が動いています。

「二回目の まるで梅雨明け 今日からは 真夏日暑く なりそな気配」

「今年は 狂いぱなしの 農作業 そろそろ秋の 準備に入る」

「朝顔の 鉢植え役目 終え帰る お礼を言われ 息子喜ぶ」

「朝顔の 鉢植え片付け また大変 馬鹿げた息子 バカ親手伝う」

 

 

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人間牧場

〇バイクの修理完了

 このところ日常的に乗っていた、私のバイクヤマハメイトの調子が悪く、車体のあちこちに20年以上使った錆も出て、そろそろ寿命で廃車にしようと思っていました。先日軽四トラックの修理を頼んだ地元の修理屋さんに、バイクのカタログを貰いましたが、お目当てのバイクは25万円もするそうで、それも仕方がないと妻と話し、注文一歩手前まで来ていました。

修理を終え水洗いしてすっかり綺麗になった私のポンコツ単車

 ところが先日若嫁が孫たちの自転車の修理を毎回頼んでいる松前の小さな自転車屋さんに、単車の修理もできないか頼んでくれたそうで、とりあえず息子がダメ元で軽四トラックに積んで持って行ってくれました。それから10日ほどが経った昨日、仕事に出かけた若嫁から電話が入り、単車の修理が終わったので取りに行くようにとのことでした。

「えっ、あのポンコツ単車が治った?」と半信半疑でしたが、トラックに乗せる人手として、夏休みで居合わせた小6の孫を助手席に乗せ、松前町まで出けました。自転車屋の店員さんはアルミ製のアユミを掛けいとも簡単にたった一人でまるで軽業師のように荷台に積み込んでくれました。ロープを掛けて持ち帰りました。帰りの車内で孫が、「おじいちゃんは単純じいちゃんじゃねえ。治った単車を見て大喜びをしていた」と見透かされてしまい大笑いをしました。

 帰宅後家にいた中2の孫の力を借りて3人で単車を降ろし、ついでに水洗いをして埃を取りました。水を拭き取り早速試乗をしました。とりあえず翠小学校近くまで走ってみましたが、エンジンの調子も抜群で、不具合だったウインカーもしっかり機能していました。孫に見透かされたように私は単純人間で、早速草刈り作業を終えた夕方夕涼みのつもりで、海岸国道を走ってにましたが、受ける夏の風は涼しくとても快調でした。

古い道具を見限って、新しいものに取り換えることは簡単です。でも新しいものを売りたい相手は、「もう古い、部品がないので治らない。そろそろ新しのに買い換えては!!」と誘います。今回は予定していた25万円の新車購入代金を支出することもなく、少ない修理代だけで出費を抑えることができました。後期高齢者となった私のように、何年持つか分かりませんが、それでも物を大事にすることの大切さを学んだ一日でした。

「古単車  そろそろ寿命と 思ってた ところが若嫁 修理頼んで」

「もう多分 修理できない 言われると 腹をくくって いたが朗報」

「軽四の トラック積んで 持ち帰る 単車洗って 試乗してみる」

「古いけど 長年使い 愛着が もう暫くは これで我慢す」

 

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人間牧場

〇ゲストハウス「煙会所」に案内しました

 先日マスコミ関係の若い記者がわが家へやって来ました。第一線を退いて16年も経っているので、それほど目立った活動はしていないと思うのですが、まちづくりの過去の経緯や夕日の話題になると、合併して双海町という自治体が地図上から消えたため、どうしても私の元へやって来るのです。

煙会所にて若い女性記者と面談

 この日も事前に電話予約をしていた11時きっかりに、その女性はやって来ました。わが家にはゲストハウスが3ヶ所あります。一ヶ所は親父が暮らしていた隠居家です。7年前親父が亡くなったのを機に片づけたり少し改造してゲストハウスとして使っています。詳しい話や少し長い時間が必要な場合は隠居家の座敷に座って話し込むのです。

 2カ所目はご存じ4畳半の囲炉裏を切った「煙会所」で、殆どの来客はここを使います。囲炉裏の自在鉤に大きな鉄鍋が掛けてあったり、天井にかつて無人島でキャンプした頃の看板類が、親父の手によってインテリア風に保存されていて、骨董類も置かれている古風な設えに来客は一瞬目を疑いますす。それでも絣の座布団に座るとどこか落ち着いて話ができるのです。

 3ヵ所目は東屋です。ここは日常的に色々な作業ができるようになっていて雑然としているものの、特に夏場は自然の風は心地よく吹き抜け涼を求めることができるし、靴を脱がなくてもいいので便利で、知人友人との打ち合わせによく使います。今は息子がカブトムシや朝顔などの世話に忙しい活動期で、専有されて中々使うようになりません。

 この日若い女性記者を案内したのは「煙会所」でした。1時間ばかりメモをしながら取材をして帰りましたが帰り際、「ところで若松さんはお幾つですか?」と歳を尋ねられました。「幾つに見える?」と聞き返すと、「65歳くらい?」と返ってきました。マスクで顔の半分を隠しているため、残念ながら私の年齢を見誤ったようです。「76歳の後期高齢者」と言うと、驚いた様子でしたが、若く見られることはいいことです。コロナと長雨で沈みがちな心が少し弾みました。

「マスコミの 取材来客 女性記者 ゲストハウスの 煙会所案内」

「囲炉裏部屋 天井見上げ 驚きの ご様子でした いつものことです」

「3ヶ所の ゲストハウスを 使い分け 問われるままに 熱帯び話す」

「何歳と 歳を聞かれて 逆質問 若く見られて 嬉しくなりぬ」

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人間牧場

〇8ヶ月ぶりの孫との再会

 私たち夫婦には5人の孫がいます。一番上は18歳の大学生、一番下が4歳の幼稚園児です。中2と小6の内孫は同居をしているため毎日顔を合わせ会話を交わしますが、後の3人は松山に住んでいるため、1週間に1回程度私たちが出かけて行き顔を見る程度でした。しかし新型コロナの感染が広がった昨年からはそれもままならず、今年の春大学生となって京都に移り住んでいる孫とは、受験の忙しさやコロナ感染防止のため、正月以来一度も会っていないのです。

大学生と中2になった外孫2人

 幸い現代はスマホという優れものがあるお陰で、大体月に一度の頻度でビデオ通話を行いお互い画像で会話を重ねています。孫は現在夏休みを利用して帰宅しています。県外移動のためコロナ感染を避けるため、2週間の自宅待機を課して自宅に籠っていて、出会うことができませんでしたが昨日はその期間も明けたので娘の家に出かけ、久し振りに孫と対面し、マスク越しながら色々な積もる話を、中高一貫校に通うもう一人の孫と一緒にしました。

 初孫だった彼も早いもので大学生です。初孫ということもあり、また母親が助産婦として勤務していたので、私たち夫婦も力が入りよく面倒を見てやりました。ゆえに人一倍可愛がりましたが、今ではもう手の届かないところにいて、顔さえ合わせることもままならなくなりました。老いる私たち夫婦と進化する孫との距離は今後も遠くなるばかりです。願わくば夏休み帰省の期間中にもう2~3度顔を見たいと思っています。

「コロナ禍と 受験重なり 顔を見る こともできない 大学生の孫」

「帰省した けれどコロナの 感染を 心配自宅 待機が長く」

「やっとこさ 自宅待機が 明けました 9か月ぶり 大学生孫」

「あれやこれ 積もる話 孫たちと 懐かしきかな 顔見て話す」

 

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