人間牧場

〇野菜が届く

 昨日隣の集落に住む懇意にしている友人から、「枝豆やゴーヤを食べるかい」と電話がありました。今年は枝豆もゴーヤも作っていない旨を言うと、早速沢山の枝豆とゴーヤが届きました。昨日は妻が夕方留守をしていたので、とりあえず縁側に出て藪蚊に刺されないよう蚊取り線香を焚いて、ハサミで枝豆のサヤを切り落としました。

庭先に友人が届けてくれた夏野菜

 そこへ若嫁が仕事から帰宅したので、切り落とした枝豆を半分ボールに入れてお裾分けしてやりました。わが家も若嫁も既に昨日の夕食メニューは決まっていて、枝豆もゴーヤも今日のお楽しみとなりましたが、長雨が続きわが家庭菜園の野菜類も日照不足で、思うように成長してくれないこの時期なので、嬉しい野菜のお裾分けでした。

 昨日テレビのニュースでこのところの長雨で日照不足となり、野菜の生育が悪く品薄で、野菜の値段が高くなっているようです。ご多分に漏れずわが家でも雨に弱いトマトは枯れてしまいました。そろそろ冬野菜の秋植え準備をしなければなりませんが、連日の雨で畑にも入れず悶々の日々です。今年は家庭菜園に植えなかったゴーヤも枝豆だけに有難いプレゼントでした。

「友人が 枝豆ゴーヤ カボチャなど 届けてくれて 早速豆もぎ」

「今年は 枝豆ゴーヤ 植えてない ゆえに届いた 野菜に感謝」

「長雨で 日照不足 野菜類 品薄高値 庶民直撃」

「今晩は 枝豆ゴーヤ 食卓に 今から楽しみ 夜のメニュー」

 

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人間牧場

〇お盆の行事

送り火

 自宅の居間に祭壇を飾り、迎え火を焚いてお料具膳を供えたり、棚経の和尚さんを迎えて読経を挙げてもらい線香を手向けたりした後、送り火を焚いて先祖を元の黄泉の国へ送り、やっとお盆の仏事を終えました。長男ゆえ当然のことのように先祖を祀る役割を何の疑いもなく私たち夫婦は長年担っています。自家が漁師をしていた頃は浜辺でオショロブネなどを作って海に流したり、新盆を迎えた人の霊を慰めるため盆踊りをしていましたが、それらの盆行事も自宅を上灘に移してからは、もう遠い記憶となりました。

芝さんの盆行事が新聞で紹介されました

 昨日の新聞8面地方欄に、見覚えのある松野町目黒に住む友人の芝明広さんの家で、昨年亡くなったお母さんのために、息子さんと麦わらで「精霊船」を作り、河原で燃やして見送ったという記事が載りました。芝さんとは松野町役場に勤めていた若い頃からの知り合いで、同じころお互いの町の教育長を務めていたこともあって、今も夢工房のというグループの仲間として交遊を続けていて、時折電話で音信の交流をしているので、興味深く読み、新聞記事をスクラップしました。

 今年は新型コロナの感染拡大で移動が制限されていて、盆行事も蜜を避けるため中止となったり、帰省も自粛するよう促されているため、2年続けて寂しいお盆となりましたが、このことがきっかけでお盆の行事が廃れてしまうのではないかと心配しています。葬儀も家族葬が主流となり、お墓やお寺事情も変わりつつあるようです。そんな中、芝さんの盆行事の記事は、心がほのぼのとしました。さすが私の友人です。

「新聞の 地方欄見る 友人が お盆の行事 しっかり継承」

「早速に 電話を入れて 新聞の 話題などなど 近況話す」

「最近は コロナ理由に 諸行事を 中止したがる その後心配」

「人は人 自分は自分 わが家では 受け継ぐものは しっかり息子に」

 

 

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人間牧場

〇降った雨の見える化実験

 お盆を挟んでこの10日ほど、オホーツク海高気圧と太平洋高気圧の勢力が拮抗し、その狭間にできた前線が日本列島に居座り、各地で新記録ずくめの大雨を降らせ、川が氾濫したり土石流が発生するなど多くの被害が出ていて、同じような危険地帯に住み、心配の種の尽きないわが家ゆえ他人事ながら心を痛めています。

孫が実験で置いた発布スチロールの箱に雨水がいっぱいになりました

 この10日ほどは愛媛県でも新型コロナの第5波の感染が松山市を中心に広がり、万延防止法の適用を再び受け不用不急の外出がきつく制限され、私の関係している活動や講演会も全てキャンセル若しくは延期になるなど、長雨とコロナのダブルパンチになすすべもなく、「天に向かってブツブツ言うな、雨の日には雨の日の仕事がある」と強がってはみるものの、どこか寂しい日々を過ごしています。

 何日か前雨が長く続くという週間天気予報を見た孫は、何を思ったのか庭に発泡スチロールの深い箱を3~4個並べて置いたようです。邪魔になるし見苦しいと思いましたが、そのままにしておきました。すると発泡スチロールの箱に降った雨水がどんどん溜り、溢れるほどいっぱいになっています。つまりわが家にこれだけの雨が降ったという証明なのです。

 普通雨が降ってもどの程度降ったのかは、天気予報で聞く程度で知る由もありませんが、孫も中々粋なことをするわいと感心しました。それにしてもこれだけの降った雨水は、土が保水したり側溝を通って川や海に流れて行くのでしょうが、自然とは偉いもんだとしみじみ感心しました。

「長雨を 前に孫たち スチロール 箱を並べて 雨水観測」

「まあ凄い 降った雨水 箱一杯 これだけの水 一体どこへ」

「これ以上 降ると災害 起きるかも たまった雨水 余りに多くて」

「見える化の 実験リアル 孫たちも 中々やるわい 感心しきり」

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〇ブルーベリーのジャムづくり

 今年は家の横の畑に植えているブルーベリーが大豊作で、加えて例年野鳥の食害に遭っていましたが、ブルーベリーの上に漁師さんから貰った漁網を張ったため、野鳥に食べられることもなく、加えて例年だと水の欲しいこの時期連日の雨で水分を補給したブルーベリーの木は元気で、収穫が間に合わないほど熟れています。

収穫したブルーべリー
ブルーベリーの自家製ジャムづくり

 私はブルーベリーを食べた後口の中に残る小さな種が嫌で余り食べませんが、妻はブルーベリーに含んでいるアントシアニンが目にいいという言葉を信じ込み、毎日のように食べています。それでも食べきれずお裾分けしたり冷凍保存しているようですが、昨日妻はは収穫したばかりのブルーベリーをジャムに加工していました。

 私も夕食後焦がさないよう煮詰めるため、鍋の中をオタマで混ぜるだけですが手伝わされました。ブルーベリーは煮詰めると濃い紫色になり、これぞアントシアニンといった感じです。今日からは毎朝食べるヨーグルトに作りたてのジャムを入れたり、パンに塗って美味しく食べる予定です。

「今年は ブルーベリーが 豊作で 連日収穫 妻は喜ぶ」

「今年は 漁網のお陰 食害に 遭うこともなく 雨も味方し」

「ジャムづくり 私もオタマで 焦げぬよう 混ぜるだけだが 少し手伝い」

「今朝からは ヨーグルトに入れ パンに塗り アントシアニン せいぜい楽しむ」

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人間牧場

〇スズメバチの駆除作戦

 わが家の2階軒先に、今年もスズメバチが巣を作りました。このところ毎年のように作るので、その都度地元のスズメバチハンターである友人の岡田さんに連絡をして、捕ってもらうよう頼み先日も捕ってもらいましたが、今度は同じ2階の軒先でも息子たちの洗面所近くに巣を作っているようなので、息子が駆除することになりました。

私の作った虫網と防護用のヘルメット
蜜蜂の天敵スズメバチ

 私と二人で綿密な作戦を立てました。まずスズメバチの巣がどの程度の大きさなのか観察し、私が暇を利用してその巣がスッポリ入る輪っかに防虫ネットを縫い合わせて虫網を作りました。針金を短く切って縫い針のようなものを作り縫っていくのですが、これが中々小まめな作業で難しかったものの予想以上の出来栄えで、保存しておけばこれからも使える道具となりました。

蜜蜂が入居した蜜蜂の巣箱

 息子は家にあるすっぽりかぶる単車用のヘルメットを被り、分厚い服を着た上に雨合羽や厚手のゴム手袋をはめ、まるで防寒スタイルでスズメバチに刺されないよに準備をしました。スズメバチガスに戻る午後8時過ぎを見計らって屋根に登り、ジェット噴射のスズメバチ専用の殺虫スプレーを噴射して、虫網を被せて引っ張り巣を落とし作戦通り中に入れました。寝込みを襲われたスズメバチはさほど抵抗することもなく、さらに追い打ちをかけてスプレーで察処分しました。素人ながらものの4~5分の早業で終わりました。

 わが家の周りには、私が蜜蜂を飼育するようになって、幾つかの巣箱が置かれています。今年は分蜂の時機に私が長期入院して世話ができなかったため、只今蜜蜂の入居は1箱のみですが、毎年お盆が過ぎるこの時期になると、天敵であるスズメバチがやって来て、蜜蜂を食べてしまうのです。いわばわが家はスズメバチの餌となる蜜蜂を飼っているようなものなので、スズメバチが巣を作るものと思われますが、イタチごっこならぬハチごっこは養蜂を止めに限り今後も続くようです。

「今年も わが家2階の 軒先に スズメバチの巣 2つもできる」

「わが息子 スズメバチの巣 駆除すると 作戦練って 親子で対応」

「わが息子 作戦通り 屋根登り あっという間に 駆除を行う」

「蜜蜂を 飼って10年 毎年の ように悩み ながら今年も」

 

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人間牧場

〇人間牧場の行く末(その2)

 50代の若い頃、私は人間牧場を造りたいと思い始め、あらん限りの知恵と苦労して貯めた1千万円の資金を使って、瀬戸内海を一望できる山の上に念願の人間牧場を造りました。そのことについては16年余り経った今でも後悔はしていませんし、むしろ退職後始まったわが後半人生を大いに豊かなものにしてくれています。

倒木の片付け作業を手伝う息子
人間牧場の将来を憂う息子
人間牧場から見えた雨過天晴の昨日の瀬戸内海の眺望

 昨日倒木の片づけを手伝ってくれた同居の息子と作業をしながら、人間牧場の今後の在り方について色々な話をしました。息子も人間牧場を造った当時は乗り気で、設計の仕事をしているので息子は私の想いを聞きながら、無償で人間牧場の設計をしてくれました。その後もそれほどの比重ではないにしても折に触れ、人間牧場の運営や利用について二人三脚のような形で、つかず離れず手伝ってくれています。

 しかし、私の年齢が後期高齢者となった今、これまでのように人間牧場の世話ができにくくなっている現状を考えれば、たとえ私から息子に人間牧場の管理や権利を全て譲っても、息子も「仕事との両立は難しい」というのです。私が車に乗れるであろうこれから10年間は、まだ何とか管理運営ができますが、それ以後は「どうする?」と問われれば、「そこまでは考えていなかった!!」というのが正直なところです。

 私はその事を見越して少し資金を蓄え、その資金を使って自分ができなくなるであろう草刈り作業などを、外注する運営方法を考えています。今は港の見える丘にクヌギの森を作るためそちらの草刈りや下刈りにかなりの労量をかけ、息子も手伝ってくれていますが、あと5年もすればクヌギの森の木が大きく成長して手間が省けるとも腹積もりをしています。はてさて人間牧場を造って16年、また厄介な問題を抱えようとしています。

「唐突に 息子私に 突き付けた 今後どうする 自信がないと」

「夢実現 したかに見える 牧場も 新たな火種 将来構想」

「形ある 物は壊れる 世の常と 分かっちゃいるが 中々分からず」

「なるように なるかも知れぬ ならぬかも 知れない将来 少し不安だ」

 

 

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人間牧場

〇体調未だ回復せず

 左脚の親指外側が履いた靴に当たり、歩行中痛みを覚えていたため、病院で診て貰い重度の外反母趾と診断され手術をしました。全身麻酔による手術だったのであっという間に手術もが終わり、傷口もそんなに痛まず順調そうだと鷹を喰っていましたが、その後転院して約2ヶ月間リハビリを続けたり、退院後も自己流でリハビリを続けていますが、左足だけなのに体中の歯車が狂い、これまで長年鍛えてきたつもりの体全体の調子がおかしくなっています。

 じっと我慢して養生すればいいものを、家庭菜園や人間牧場の管理といった目先の雑事に追われ、「無理をしないで」といながら、「あれしてこれして」と妻に頼まれ、少々無理をするものですから、元気そうに見えても体調は今一で、特に衰えた筋肉はまだ元に戻らず、時々体のあちらこちらに不具合が生じ、その都度行きつけの整体院へ通ったり、湿布薬を貼ったりしながら日々を過ごしています。

 筋肉は年齢に関係なく鍛えれば強くなれると聞いていますが、体内に600もあるといわれる筋肉のどこをどのようにして鍛えるか、色々と考えながらやっていますが、一度壊れた体のシステムを回復するには時間と努力が必要なようです。体内にはよく働く筋肉とよくサボる筋肉があるそうです。筋肉や関節などは炎症が起きた時、必ず委縮して衰えていく生理現象があるようで、厄介なのはしぼんだ筋肉は単独で鍛えないと強くならないという特徴を持っているようです。「〇〇だそうです」「〇〇のようです」と生かじりの知識は増えていますが、はてさて未だ回復しない筋力や体調を今後どう鍛え直すか、難問に直面しています。

「入院や 手術を終えて 治ったと 思っていたが 歯車狂う」

「あれこれと 知識を得たり 実際に やってはみるが 成果まだまだ」

「いいという ことは進んで やってみる 逆の効果で かえってマイナス」

「元気しか 取り得の無かった この私 今じゃ無用の 長物なりぬ」

 

 

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人間牧場

〇海の幸山の幸

 私の住んでいる双海町は漁業と農業の町です。ゆえに海の幸と山の幸に恵まれ、人間が生きていく上で一番大事な食べ物に恵まれています。このところ停滞する梅雨前線の影響で足繁く雨が降り、普通だと盛夏ゆえ朝晩水遣りに忙しいはずですが、それも小休止でピーマンやナス、キューリ、オクラなどが生き生きと成長し、食べきれないので近所や知人友人にお裾分けして喜ばれています。

収穫したブルーべリー

 昨日雨が小康状態になった家庭菜園を見渡すと、ブルーベリーが黒く色づいていました。昨年は無防備だったため野鳥に食べられ殆ど収穫できませんでしたが、今年はブルーベリーの木の上に漁網を被せたため野鳥の食害を免れ、連日収穫してこれも少しお裾分けしています。妻はブルーベリーに含まれているアントシアニンが目にいいと信じ込みよく食べていますが、私はブルーベリーの小さな種が口に残るのが嫌で余り食べません。

漁師さんから美味しい魚が届きました

 昨日はお盆が近づいたので、お盆休みに入る前の漁師さんが、鯛やイシモチなどを発泡スチロールの箱に入れて届けてくれました。退職以来魚の粗調理は私の仕事と決められているので、早速外の流し台で調理をしました。魚料理も嫌だと思ったら嫌になるので、包丁を研いだりしながら粗調理に挑戦しています。お陰様ですっかり上手くなりました。鯛は3枚におろし、イシモチは丁寧に頭と内臓を取り、綺麗に水洗いをしてトレーに入れ、ラップをかけて魚専用の冷蔵庫へ収めました。昨夕は妻の仕事の関係で少し夕食時間が遅くなりましたが、海の幸山の幸をふんだんに使った料理が並び、満腹の手合いでした。

「田舎ゆえ 海・山の幸 恵まれて 毎日ご馳走 質素ながらも」

「昨年は 野鳥に食べられ 悔しくて 今年は漁網の お陰豊作」

「目にいいと 妻はせっせと 食べてるが 本当にいいか 分からぬままに」

「何気ない 日々の暮らしに 満足し 今日も元気で 暮らせる幸せ」

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人間牧場

〇海の資料館「海舟館」に展示している戦争遺物

 時ならぬ夏の大雨と、新型コロナ感染者の増加で、今年のお盆は身動きが取れない状態となっています。それでも息子と若嫁は仕事を休むことができず松山の職場へ出かけねばならず、妻もパートで勤めている近所の歯科医院へ仕事に出かけました。留守番はサンデー毎日の私と、夏休み中の中2と小6の孫2人です。孫たちは夏休みの宿題もあってそれぞれ適当に過ごしていますが、私は予定していた台風による人間牧場の倒木片付けもできず、今日は家の横の海の資料館「海舟館」の片付けでもしようかと、思いついています。

 

終戦記念日が近づくと、戦争の遺物を展示している「海舟館」には、それらを見たいと何人かの人が訪れます。昨日も西村京太郎のサスペンス「愛の伊予灘ものがたり・紫電改が飛んだ日」がらみの話がきっかけで、海舟館に展示している海から引き揚げた紫電改の機銃を見たいと、ある人から電話連絡がありました。私はまだその本を読んでいないので分かりませんが、取り寄せて読んでみたいと思っています。

 海の資料館「海舟館」には酸素魚雷のエンジンとプロペラ、紫電改の機銃、大砲の薬きょうなど、戦争に使われた武器が戦後網にかかって海底から引き揚げられ、その度に親父は何日もかかって錆や付着したカキを取り除き、塩抜きをして油を染み込ませた布で磨いて展示をしているのです。太平洋戦争では親父は2度大陸に出生し様々な体験をしていましたが、生存中は戦争のことを余り語ろうとしませんでした。7年前に亡くなり今となっては聞くこともできませんが、親父が遺してくれたこれらの戦争遺物を不戦の誓いとして、しっかりと受け継ぐの私の役目かも知れません。戦後76年目の終戦記念日が間もなくやって来ます。私は奇遇にも只今その年数と同じ76歳なのです。

「自宅横 海の資料館 海舟館 戦争遺物 魚雷に機銃」

「記念日が 近づくころに 人が来る 76年 経った今でも」

「大雨と コロナ身動き 取れぬゆえ 資料館でも 掃除しようか」

「この私 76歳 なりました 偶然ですが 戦後の年数」 

 

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〇元気で咲き続ける朝顔

 今年は同居の長男息子が、何を思ったのか朝顔作りに挑戦し、150鉢もの朝我をを育てて伊予市内にある商業施設町家の軒先に展示しています。しかし展示後の世話が大変で息子は毎日しgと音が終わった帰り道、展示先に立寄ってその日の朝咲いて萎んだ花柄を取ったりしながらこの1ヶ月忙しそうにやっています。

 花柄を取ったり剪定をしたりするのが中腰作業のようで、少し腰が痛いと訴えるようになりました。76歳の私なら腰が痛いのも分かりますが、まだ50歳にも届かないのに腰を悪くすると一生の病気になると、妻も若嫁も気が気ではなく、湿布を張ったりあれやこれや腰にいいことをやる様勧めていますが、どうやら落ち着いたようでまずは一安心です。

 何日か前新聞の折り込みに「町家」のチラシが入りました。その片隅に「郡中まち元気推進協議会だよりVol.8」に、関連コメントが載っていました。一口に地域づくりといっても様々な手法がありますが、やったからには続けなければなりません。続けることの大切さは長年地域づくりに関わっているだけによく分かりますが、「何でそこまで」という気持ちもあります。

 私の書斎の前に息子と作った朝顔のグリーンカーテンも、順調に伸びて毎朝綺麗な花を咲かせ目を楽しませてくれています。8月7日に立秋が過ぎましたがまだまだ夏の暑い日は残暑となって続きます。今年は朝顔の種を取って来年に備えようかとも思っています。

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