人間牧場

〇野菜作り(その2)

 台風6号と台風8号が相次いで発生し、先島諸島や関東・東北では時ならぬ大雨や大風に見舞われましたが、四国はその真ん中に位置しているためこの10日間、ほど全く雨の降らない猛暑が続いています。そろそろお湿りが欲しいこの頃ですが、週間天気予報ではお日様マークばかりで雨の気配は全くないようです。

 畑を見渡すと、里芋やキユーリの下葉が黄色くなり始め、水が欲しいというサインを出し始めました。わが家の菜園には井戸水を利用した配管をしていますが、井戸水にも限界があるので、流しっぱなしになっている山水を利用して灌水をすることを思いつき、ホームセンターへ出かけてホースを買い求め持ち帰りました。

 少し大きい目のホースなので25mで1万千円と割高でしたが、毎年使えるので思い切って投資しました。持ち帰ったホースを水口に繋ぎ、里芋畑へ導水しました。水量はそんなに多くありませんが、24時間流しっぱなしにしたお陰で、里芋畑の里芋は水を得てしゃんとしてきたようです。

 ピーマンやシシトウ、オクラ、キューリ、長ナスは井戸水を使って陽が落ちる夕方谷灌水しているので、畑の野菜類は例年になく元気で、今日にでもトマトの谷灌水も始めようと思っています。野菜作りは少々骨が折れますが、これも家族の健康を守る大事な仕事です。

「この10日 お湿りもなく これからも 雨のマークは 期待できない」

「野菜類 水か欲しいと 言っている さてどうするか 思案六方」

「投資して ビニールホース 買い求め 早速灌水 24時間」

「水を得て 野菜活き活き 回復し こちらも元気 回復基調」

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人間牧場

〇宝物箱づくり

 私たちが子どもの頃の夏休みはとにかく自由で、朝から晩まで勉強もせず友だちと一日中泳いだり遊びまくっていました。夏休みに入った中2の孫小6の孫2人は、新型コロナで遅れ気味の勉強を取り戻そうと出された宿題も多く、毎日何かと忙しそうです。

未完成の宝物箱

 それでも新型コロナの影響で最近家にいることの多くなった私とは会話も多く、お互いに色々な頼み事をし合って楽しんでいます。1週間ほど前小6の孫奏心から「宝物を入れる箱を造りたい」と相談されました。どんな宝物箱をイメージしているのか分からないので、とりあえず寸法を入れた設計図を画くよう言いました。

 木箱ゆえそれほど大きなものは出来ませんが、孫が画いた設計図によると長さ70㎤、巾45㎤、高さ35㎤のようでした。倉庫の端材置き場で適当な長さの板を見繕い、電動鋸でキットを作ってやりました。ところが孫奏心は昨日まで2日間、大三島少年自然の家へ研修に出かけて留守となってしまいました。

 私も色々な予定があり、孫との折り合いがつかないので、結局一昨日1時間ほどかけて釘を打ち孫に見せました。まだ粗削りで未完成ですが、孫はペーパーを掛けたり、色を塗ったり、絵を画いて仕上げるようです。どんな宝物を入れるのか、楽しみです。

「最近の 子ども何かと 忙しい 遊びほうけた 私子どもころ」

「宝物 入れる木箱を 作りたい 相談受けたが イメージ湧かず」

「設計図 縦・横・高さ 書いている 端材見つけて 採寸切断」

「大三島 自然の家へ 出かけ留守 完成持越し 孫との共作」

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〇自分の体なのに思うように動かない

 4月15日に入院し、翌16日に外反母趾の手術をしました。それまでは左足の親指外側が靴に当たって痛みを覚えてはいましたが、その他の体調はすこぶる元気で、毎日1万歩を目指して歩いたり、それなりに家庭菜園や人間牧場の細々した作業をやっていました。

 ところが手術後2ヶ月のリハビリを含めた入院を終えて退院後の家庭療養中は、肩・首・背中・腰などに不具合が次々と現れ、自分の体なのに思うように動かず、ひょっとしたら体内のどこかに別の病気が発症しているのかも知れないと、多少弱気になっていました。

 月に一度の手術した骨のレントゲン検査では異常がなく、主治医の話では傷口も順調に回復しているのに「何で?」と思って、整体院にも4回ほど通い、不具合な場所を中心に揉みほぐしてもらいました。親父が存命中言ってた「道具と体は使わないと錆びる」という言葉を思い出し、焦る気持ちを抑えきれず無謀にも草刈りなどの農作業をやりながら回復を待ち続けています。

ここに来て、体調が少しずつ回復し始め、やっと自分の体が思うように動き始めました。年齢的には76歳の後期高齢者ゆえ、若い時のような回復スピードは望むべきもありませんが、健康の大切さをしみじみと思いました。「無理をせずゆっくり養生せよ」と、出会う人から戒めの言葉を嫌というほど聞いています。

「退院後 体のあちこち 不具合が 元気印の 私なのに」

「思うよう 動かぬ体 じれったい 焦りははするが どうにもならぬ」

「そう言えば 後期高齢 年齢を 忘れていました 回復速度」

「ここに来て 元気回復 し始める 無理はするなの 誰もが戒め」 

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人間牧場

〇講演の打ち合わせ

 先日内子自治センターの館長さんから講演依頼の電話がありました。新型コロナの影響で県外からの講演依頼は遠のいていますが、県内のあちこちからは新型コロナの感染防止策を講じた講演会や研修会もそこそこあって、その都度許す限り引き受けています。

 昨日は内子自治センターの館長さんと専門員さんの二人が講演の打ち合わせにわざわざわが家までお越しいただきました。わが家のゲストハウスである私設公民館煙会所にて、1時間余り打ち合わせを兼ねた雑談しましたが、内子町役場の職員さんは仕事に取り組む姿勢も積極的で、いただいた資料などこちらも学ぶことが多くありました。

講演ははまだまだ先の11月22日に決まりましたが、内子にはかつて公民館やまちづくりに関わっていた頃に知り合った知人や友人も多く隣町ゆえ、しっかりと対応したいと思っています。一警察官をしている三男が一昨年まで大洲警察署管内の駐在所に勤務していましたが、館長さんはその地区の出身のようで世の中には色々なご縁があり、大いに話が弾みました。

「コロナ禍で 県外出張 遠のいて 県内中心 お話依頼」

「講演の 依頼に対する 打ち合わせ ゲストハウスの 煙会所にて」

「世の中は 狭いもんです わが息子 赴任先にて 館長知り合い」

「最近は わが自宅にて 打ち合わせ やって来る人 あちらこちから」

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人間牧場

〇朝顔のニュース

 昨日の愛媛新聞地方欄に、息子が世話をしている町家の朝顔の話題が載りました。息子は自分の家の庭で朝顔の種を蒔き、垣をしたりして世話をし、花が咲くようになると町家へ運び、職員さんたちと町家の表に棚を作って展示をし、人々の目を楽しませています。

昨日の愛媛新聞地方欄

 新聞の記事を見て、育てた息子の名前がどこにもなく黒子に徹しきっている事を、「中々やるわい」と納得して読みました。こうした話題は得てして目立ちたがり屋になりたがる人が多いのですが、これぞ地域づくりの王道だと目を細めています。「わが子誉めるは一の馬鹿」と言われますが、まだまだ未熟な息子ゆえ褒めることなど殆どないものの、これだけは褒めてやりたい心境です。

 息子は仕事からの帰り道、毎晩町家へ立ち寄り、人のいなくなった朝顔の陳列台を見回り、花柄を取ったり余分に伸びたつるを剪定するなど手入れに余念がなく、帰宅するのは毎晩10時過ぎのようです。朝顔は花の咲く時期が長く、多分8月いっぱい続くものと思われますが、見えない場所で陰徳を積む「積小為大」は気持ちがいいものです。そう言えば東京オリンピックが開幕した7月23日は二宮金次郎の誕生日でした。

「尊徳の 教え積小 偉大なり 小さな徳を 積むこと大事」

「仕事終え 帰りに町家 立ち寄って 花柄取ったり 剪定したり」

「朝顔は 花の咲く時期 2ヶ月も 気が遠くなる 私にゃ出来ぬ」

「見守って やるしかないと わが家族 手出しもできず 気持ちで援護」

 

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人間牧場

〇人間牧場の由来(その2)

 私が代表を務め主宰しているボランティアグループ「21世紀えひめニューフロンティアグループ」では、「ふるさとを空から見る運動」を皮切りに、「無人島に挑む少年のつどい」「丸木舟建造と瀬戸内海航海」「無人島竪穴式住居造りと語り部のつどい」「ブーメランテーブル製作」「10年で40回のフロンティア塾開講」「千本桜の森づくり事業」などこれまで多岐にわたって活動をしてきました。

 

 その活動の企画や運営の知恵が生まれたのは、家の横に手作りで建設した「私設公民館・煙会所」です。勿論わが町の「夕焼けプラットホームコンサート」や「夕日によるまちづくり」の発想もここから始まっていますが、私の元に何度かやって来た東京浪漫亭の鈴木繁夫さんは、これらのことを仲間とともに楽しそうにやっている私の姿に強い興味を示していました。

 今にして思えば自分の構想していた人間牧場への思いと、私のやっている活動をダブらせていたような気もするのです。先日出会った国立青少年交流の家の次長さんは浪漫亭の鈴木繁夫さんと深い交友があったそうで、私以上に鈴木繁夫さんの人間牧場構想を知っている数少ない人のようでした。私はこれまでの活動をしながら、鈴木繁夫さんと約束した人間牧場をどのようにしたらできるか考え、退職前準備した構想と資金を基に、教育長を最後に退職したと同時に実行に移しました。

 16年前その構想は曲がりなりにも実現し、今に至っていますが、次長さんとの出会いのお陰で、忘れかけていた鈴木繁夫さんの存在と遺志を継ぐ約束、そして人間牧場構想の発端を思い出すことができました。このことは私の遺志を継ぐであろう息子にもしっかりと伝えておかなければならないと思いました。今年は外反母趾の手術で長期入院を余儀なくされて草刈りもままならず、人間牧場が草に埋もれてしまいましたが、少しずつ元気を取り戻しつつあるので、折に触れ草刈りなどを行い、人間牧場にスイッチを入れ直し再起動して、今は亡き鈴木繁夫さんに元気な姿を報告したいと思っています。

「牧場を 造ってあれから 16年 すっかり忘れて いた人存在」

「今年は 長期入院 あれやこれ 草に埋もれて 初心すっかり」

「忘れてた 記憶スイッチ 再起動 次なる人に 伝えなければ」

「いい人に 巡り合わせて くれました 元気回復 心の持ちよう」

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人間牧場

〇カブト虫の無償配布(その2)

 子どもたちが夏休みとなったこの時期に、カブト虫を無償配布するイベントは一昨年までは松山空港のロビーを利用していましたが、新型コロナの影響で松山空港が使えなくなり、やむなく昨年からは、商業施設町家郡中と道の駅中山クラフトの里に変更しました。使わせてもらう両施設への恩返しとして、両施設で買い物をした親子に無償配布するようにしているため、少しながら売り上げに協力する格好になっています。

ミニコミに載ったイベントの告知記事
久保さんのカブトムシミニ講座
カブトムシを持って得意顔の子ども
初お目見えのカブクワハウス

 会場の一角に、ディスプレイ用のクヌギの鉢植えを持ち込んでカブクワハウスを造り、カブト虫の生息の森を再現したり、カブトムシやクワガタに自由に触れる大型ストッカーも用意し、帯広畜産大学出身の動物に詳しい仲間の久保さんがカブトムシやクワガタについてレクチャーするなど、毎年進化の跡がうかがえる企画を打ち出し、それなりの効果があるようです。この日のために用意した無償配布用のカブトムシの入った虫かごは、1日目の町家用100箱、2日目の道の駅中山クラフトの里用100箱、合わせて200箱のようでした。

 今年はこの催しのことがミニコミで紹介されたため前人気も上々で、配布時間目には長い親子連れの行列ができたようで、配布を始めてから20分ほどで100箱は全てなくなり、もらえなかった子どもも沢山いたようでした。2日目の道の駅中山クラフトの里も大人気で、用意した100箱は全てなくなったようです。会場に持ち込んだディスプレイ用のクヌギの木の植木鉢や使った小道具だけが東屋に帰って来ています。これから片づけをしてまた来年に向けた新しい作業が始まるようです。

「200箱 あっという間に なくなった 今頃子ども 見ながらワクワク」

「ミニコミの 効果抜群 目論んだ 以上の反響 驚きながら」

 

 

 

 

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人間牧場

◯木になる名刺入れ

私はこの30年余、自分のトレードマークとでも言うべき木でできた「木になるカバン」と呼んでいいるアタッシュケースを持ち歩いていて、今では若松進一=木になるカバンのイメージがすっかり定着しています。

世の中は物好きな人がいるもので、こんなカバンを持ち歩いていると「珍しいカバンをお持ちですね」と声をかけ、「持たせてください」とか、「中を見せてください」とねだられます。その都度「いいですよ」求めの応じています。

先日紳士風の人に声をかけられ、このカバンに似合う木でできた名刺入れをいただきました。木でできた名刺入れは私も持っていますが、名刺の枚数が余り入らないので日常的には使いませんが、それ以来木でできた表紙のメモ帳とともに、カバンの中に忍ばせ持ち歩いています。

今日も午前中外出の途中で出会った人と木になるカバンや木になる名刺入れ、木になるメモ帳は、私以上の存在感で私をピーアールしてくれています。

「30年 余りの間 存在を 誇示し続け 木になるカバン」

「今日もまた 見知らぬ人に 木のカバン 珍しいですと 呼び止められて」

「木のカバン 似合うだろうと 先日は 木でできている 名刺入れ貰う」

「木のカバン もう30年も 使ってる すっかりイメージ 定着してます」

 

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人間牧場

〇ブルーベリーの収穫

 わが家の裏の畑にブルーベリーの木を何本か植えています。元々は大きな植木鉢に植えていましたが夏の水遣りが大変で、時々水を遣り忘れて折角なった実が駄目になったこともありました。そこで考え付いたのが路地植えでした。強酸性の土壌を好むと聞いていましたが、裏の畑のペーハーを測ることもなく無理やり植えた格好でした。

 それでも自然は偉いもので、2~3本はその地に適合し成長し始め、大きい木は私の背丈以上にもなり、今年も沢山の実をつけてくれました。昨年は忙しくて網かけをしなかったため、その殆どの実を野鳥に食べれれてしまいました。今年はそれだけは何としても食い止めようと思っていましたが、あいにく長期入院でそれも叶わないはずでしたが、とりあえず一本の木に漁師さんから貰った網を被せたお陰で、実が熟し昨日収穫しました。

 収穫したブルーベリーの実は大粒でとても甘く、妻はブルーベリーのアントシアニンが目に良いと信じ込んで、食卓の上に置いて朝・昼・夕の食事後のデザートとして食べています。私は食後口の中に残るブルーベリーの小さい種のようなものが気になって余り食べません。今年はかなりなっているのでブルーベリーでジャムを作ろと妻は言っています。

 去年まさきいいとこ見つけ隊の友人からブルーベリーの苗を数本いただきました。今のところ順調に育っています。人間牧場に植えているブルーベリーと合わせれば20本程あるので、上手く管理すれば自給自足の産品に加わります。楽しみです。

「裏畑 路地に植えてる ブルーベリー 漁網のお陰 食害遭わず」

「目にいいと アントシアニン 信じ込み 妻は食べてる 本当だろうか」

「食べた後 小さな種が 気になって 余り食べない 妻は好んで」

「ブルーベリー わが家の自給 品目に 加わりました ジャムの加工も」

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人間牧場

〇少し寂しい家族葬

 新型コロナの影響もあり最近私たちの町のような田舎でも、少人数だけの家族葬が増えてきました。家族葬と言いながら義理や人情もあって、結局は家族葬にならないことが殆どですが、今回義兄の葬儀に当たり、姉の強い要望もあってその葬儀を家族葬でやって欲しいと懇願され、その取り仕切りを任されました。

 亡くなったのが午後11時50分ということもあり、葬儀社、お寺などとのとの打ち合わせは午前2時過ぎとなり、とりあえず遺体の保存のためドライアイスなどの手はずが整に、あくる朝9時から葬儀社と隠密裏に綿密な打ち合わせを行いました。午後6時30分からの通夜式のため、午後3時に遺体を葬儀場まで運び、昨日は8時30分から納棺、午前10時から葬儀、15人定員の火葬場、その後初七日の法要まで家族や身内15人だけのほぼ完璧な家族葬を行うことができました。

 姉も希望通りの家族葬ができて満足の手合いでした。多分これからは、いやひょっとして、「私がもし死んだら、こんな葬儀になるのだろうか?」と、思いながら少し寂しい気持ちになりました。義兄の父親は101歳まで生きた人です。義兄は父親の人生に比べたら少しもな足らない81歳の生涯でした。私は交友関係も広く人が大好きな人間なので、願わくばこれまでのような多くの人に見送ってもらうような葬儀が望みだと、妻や息子に話しましたが、私が死ぬまでに新型コロナはどうなっているのでしょうか?。

「コロナ禍で 家族葬とか 増えてきた 初めて体験 義兄の葬儀」

「姉希望 家族葬でと 頼まれて 仕切って見たが これが中々」

「火葬場 定員までも 決められて コロナ禍ゆえに 従うほかない」

「完璧に やっては見たが 葬式は やっぱり賑やか 私の場合」

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