人間牧場

〇地域教育実践交流集会実行委員会

 昨日は午後3時から松山市道後の友輪荘で、第3回目の地域教育実践交流集会実行委員会が開催されました。私も実行委員をしている松本さんを途中で誘い、出かけて行きました。昨日は文部科学省のコンファレンス担当者も見えられるというので、いつになく人数が多く、会議室は満席状態となりました。愛媛大学名誉教授の讃岐先生が実行委員長を務め、私は副委員長を暗黙のうちに務めているので、いつも讃岐先生のそばに座らなければなりません。

実行委員会
実行委員会
食談交流会
食談交流会

 12月5日と6日の二日間、国立大洲青少年交流の家で開かれる予定の集会の要綱は既に決っていて、昨日は微細な取り決めを、仙波事務局長の進行でどんどん決めて行きました。予定されていた目覚ましトークは、全国の発表事例が多く集まったため変更され、特別企画のインタビューダイアローグも、私の横槍で2部構成になったため、私もその一翼を担うことになってしまいました。役割が重過ぎて今年も少し憂鬱気味で参加することを余儀なくされてしまいましたが、まあ仕方がないことと諦めています。

久しぶりに会った篠原議員さん
久しぶりに会った篠原議員さんと井門さん

 私の閉会あいさつで会議を綴じ、久しぶりに懇親会に望みました。いつもながらお酒を呑まない私は、もっぱら出された美味しい秋の味覚料理に舌鼓を打ちながら、隣に座った新居浜の篠原議員さん、松山の本田議員さん、それに松山市役所の鍵山さん、前に座った徳島大学の馬場先生、井門さんと和やかな会話を交わしました。特に篠原さんと本田さんとは議会の一般質問について多いに盛り上がり、健康寿命に話が及ぶと、手持ちの木になるカバンから資料を持ち出し、失礼ながらホテルのカウンターで資料をコピーしてもらい、手渡す等してしまいました。

 人に会って交流を深めると色々な話題が飛び出します。私もつい最近人間牧場10周年事業や、テレビ愛媛の「い~よ」というテレビ番組に出たりして、少し露出が多かったり、ブログやfacebookで紹介したため、皆さんからその活躍ぶりを羨ましがられました。話題が共有できると会話がどんどん進みます。それだけ日常の活動ができている証拠だと納得しながら、2時間の交流会を終えました。呑み会予定のある松本さんを一番町付近で降ろし家路を急ぎましたが、酒を呑まなくなった私には松本さんのように、その後の発展もなかったようです。昔を懐かしみなら残~念でした。

  「行く場所が 歳の割には 多過ぎる 妻も飽きれて カバンに財布」

  「いつの間に 重責椅子に 座らされ いつの間にやら 役割重し」

  「このところ 露出が多く 皆さんに 頑張ってるね 声をかけられ」

  「一番町 仲間を降ろし 独り身に 昔は二次会 勝負に行った」 

 

 

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人間牧場

〇やるやる・くれくれ

 先日人間牧場で開いた10周年記念事業は、多くの人に集まってもらい盛大に実施することができました。それもこれも集まってもらった人は勿論のこと、準備から運営まで微細に取り計らってくれた塾頭・大番頭・小番頭・筆頭塾生のお蔭だと感謝しています。前日の準備や当日の準備、それに後片付けまで私もそれなりに関わりましたが、特に当日は朝早くから明くる日の朝まで、24時間という長丁場だったため、鉄人自認の私でもさすがに疲れて、未だにその心地良さと疲労の後遺症を引きずっています。

明け方まで多くのことを話し合った10周年の集い
明け方まで多くのことを話し合った10周年の集い

 当日は話し足らなかった友人がお泊りして深夜から朝方まで話し込みましたが、酒を飲まない私は酒を呑んでボルテージの高くなった友人の話の、もっぱら聞き役に回りましたが、みんな一言ある人なので役に立つ金言を聞くことができました。昨日蜜蜂の師匠である井上登さんが、自分のメール書き込みで、岡崎直司さんの言った「やるやる・くれくれ」について質問をしていました。眠い目をこすりながらのうろ覚えなので私も「?」的ですが、岡崎さんのお母さんが話していた言葉のようでした。

 田舎は色々なものを差し上げたり貰ったりしますが、この話は差し上げないと人はくれなという例えのようです。この言葉は私も同感で、差し上げる人ほど貰う回数は多いようで、「ギブアンドテイク」なのです。貰うことを予測して差し上げることはできませんが、相手のことを思いながら差し上げると、相手もそのことを気遣っていただくことが多いようです。これは何も物々交換だけではなく、私のように人の集まることに深く関わっていると実感することです。つまり出かけておかなければ人はやって来ないのです。

 よく人が来ないと嘆く人の、嘆き節を耳にしますが、そういう人に限って出かけることが少ないようです。「やるやる・くれくれ」は「行く行く・来る来る」と同じで、行かないと人は来てくれないものと心得ることです。今年オープンした伊予市の片岡さんのブルーベリー園は多くの人を集めたようだと風の噂で聞きました。わが息子たち家族も2~3回お邪魔したようですが、片岡さんはシーズンオフにはあちらこちらに顔を出し、「行く行く」を実践しています。多分そのことが来シーズンの顧客を沢山呼び込む手立てなのです。小番頭の松本さんも暇さえあれば小まめに県内外を飛び回っていて、私もそのお零れにあやかっています。酒の席でしたが岡崎さんからいい教えを聞きました。

  「やるやると くれくれ母の 教えだと 友人語る なるほど相槌」

  「やるやるを 繰り返すれば くれくれが 転がり込んで 丸く収まる」

  「やるやるは 行く行く同じ やがて来る 人はこうして 交流するもの」

  「この教え 拳拳服膺 肝命じ ギブとテイクを 使いこなそう」

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人間牧場

〇友遠方より来るありまた楽しからずや

 私は18歳で青年団に入団して以来これまで約50年間、様々な社会活動をしてきました。そのお蔭でしょうか、町内はもとより県内県外に多くの友だちを持っています。中には伊方町三崎井野浦に住む塩崎満雄さんのように、青年団活動時代から50年近くも付き合っている人もいるほどです。また県外においても大分県旧大山町の緒方英雄さんのように一年に一度も会わなくても、会えば思い出話に花を咲かせることができる旧知の人もいます。

ギノー味噌本社の玄関先にて緒方さん、田中社長を囲んで
ギノー味噌本社の玄関先にて緒方さん、田中社長を囲んで

 先日私の名刺CMのスポンサーである、ギノー味噌の田中正志社長さんから、「近々緒方英雄さんが、商談のためギノー味噌本社に来られるので、ご一緒しませんか」とお誘いの電話が入りました。その時はスケジュールも空ていて快諾したものの、その日の朝親類の叔母が転んで、腕首の骨にヒビが入るちょっとしたハプニングが発生し、約束の午前10時に間に合わなくなってしまいました。社長さんからメールをいただき慌てて車を走らせ、結果的には一時も遅刻をしてしまいました。

 緒方さんは大分県日田市の響きの里の専務さんをしていますが、相変わらず現役で頑張っているようでした。商談に入るほどの関係ではありませんが、緒方さんとギノー味噌のご縁の橋渡しをしたこともあって、多いに話が弾みました。その後味芳という割烹料理店で、昼食をともにさせてもらう幸運にも恵まれました。緒方さんとは年齢も一緒だし、役場に勤めて同じような仕事を長年してきたこともあって、私など比でない超一級の人物なのに、今も親しくつき合わせてもらっていて感謝しきりです。

 「縁は異なもの味なもの」で、私が教育委員会で社会教育を担当していた頃、わが町の人づくり10年計画、つまり日本一の町へ毎年10人の青年を派遣して、日本一を体験した青年を、10年間で100人育てるという遠大な構想を打ち上げ、第1回目の研修先に選んだのが、当時日本一のコミュニティの町大山町でした。その研修受け入れを担当してくれたのが教育委員会の緒方さんだったのですから、凄い出会いをしたものです。「人は人によりて人となる」の言葉通り、私は緒方さんから多くのことを学び、時には競い合いました。古くても長い付き合いのできる人には、優れた人間力があります。私ももっともっと人間力を磨かなければと思った嬉しい再会でした。

  「私には 県内外に 友ありて 音信今直 途絶えず嬉し」

  「青年を 連れて大分 乗り込んだ あの時以来 お互い意識」

  「裏が味噌 CM名刺 ご縁にて 豊予海峡 越えて結び目」

  「お互いが 老域戸口 いい歳と 言いつつ握手 温もり感じ」

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人間牧場

〇人間牧場10周年記念年輪塾公開セミナー&10周年の集い(その8)

 このほど開いた記念事業は、これまでの10年を振り返ると同時にこれからの10年を考えるいいきっかけになりました。人間牧場10年を2本、公開セミナーや集いを7本のブログにまとめてみました。書いても書いても書ききれないくらいの話題がありますが、今日の(その8)で一応終わりにしたいと思います。(その8)はこぼれ話です。

3日後に黙々と掃除をする浜田さん
3日後に黙々と掃除をする浜田さん
辻さんが画いてプレゼントしてくれた年輪塾の誓い
辻さんが画いてプレゼントしてくれた年輪塾の誓い

 ①辻さんが扇子に画いた年輪塾の誓い
 今回の中江藤樹をテーマにした2年間の学習で大きな成果をあげることができたのは、何といっても大洲藤樹会の会長である辻喜千治さんの微細な指導でした。辻さんは元小学校の校長で、中江藤樹についての造詣が深いばかりでなく、軟硬合わせ持った凄い人で、この2年間つかず離れずではなく、離れず離れず指導をしてくれました。辻さんは芳酣という号をもつ書家であり画家でもあるのです。私も五事を正すという中江藤樹の代表的な言葉を桐板に書いてもらいましたが、墨字の素晴らしさに感心しています。また修学旅行の折中江彰さんに辻さんが書いてプレゼントしていた掛け軸を、中江彰さんが私たちにプレゼントしてくれたましたが、いやはや立派でした。
 今回の記念事業に、皆勤で頑張る西田さんと上田さん、それに運営で功績のあった松本小番頭を表彰する事になりましたが、辻さんにお願いし、扇子にその表彰状を書いてもらい3人に喜んでもらいました。また年輪塾の誓いも扇子に私の似顔絵まで書いてプレゼントしてもらいました。

 ②ゴミの分別
 10周年記念事業を終えた明くる日、大量に出たゴミを私のトラックに積んで、いつものことながら処分するためわが自宅に持ち帰りました。ペットボトルやアルミ缶、瓶などは分類してくれていましたが、生ゴミはさらにプラスチックゴミと分類しなければならず、妻は生ゴミの袋を嫌がりもせず開けて、悪臭のする生ゴミを分類しゴミに出してくれました。元来人間牧場ではかまどで炊いたご飯と味噌汁、漬物と梅干し以外は出さないことにしています。環境に優しいことを考えエコ的な振る舞いをしようと思っているからです。しかし今回は10周年ということもあり、少しオードブルや酒類を出すことにしましたが、酒類も驚くほどの空き缶・空き瓶、オードブルも酒を飲む人は余り食べないのか残ってしまいました。

 ③後片付けと掃除
 後片付けと掃除は、施設を持った人間の宿命です。人間牧場の諸施設がまあまあ綺麗に保たれているのは、定期的にワックスや防腐剤を塗ったりするメンテナンスのお蔭だと、あらためて浜田さんの日常的支援に感謝しています。今回の10周年記念事業も、やる前とやった後に浜田さんから後片付けや掃除の申し出があり、その言葉に甘んじてしまいました。記念事業が終った3日後、私と浜田さんは人間牧場へ行き、会場を広くするために倉庫に移動していた食器類を元に戻したり、借りていたホワイトボードを返しに行ったり、また使った座布団を押入れに整理をして終い、掃除気をかけてやっと一段落の作業を終えました。

 ④60枚の座布団
 今回は申込者が60人近くになりました。当日都合でこれなくなった人も何人かいたので、60人分の座布団は何とか自前で賄うことができました。人間牧場の水平線の家にはロフトがあります。収納式の階段を引き出して2階に上がると、左に畳1畳半の細長い屋根裏小部屋があります。ここは私専用の寝部屋にしていますが、普段は奥の方へ座布団や寝具類を入れています。座布団は親友の前神さんたちが20枚、友人の大阪天王寺に住む桜井さんという知人女性から20枚、そして家から運んだのが20枚あり、全部の座布団を使うのは今回が初めてのようでしたが、座学ゆえに座布団が大いに役立ちました。

 ⑤伊勢海老の味噌汁
 私の最も古い友人に旧三崎町井野浦の塩崎さんがいます。青年団活動を通じて知り合ってから40年以上もずっと変らず付き合っていますが、今回も塩崎さんは三崎町特産の伊勢海老を持ち込み、かまど小屋で味噌汁を作って参加者に振る舞ってくれました。塩崎さんは58番札所仙遊寺で永らくお接待を続けている奇特な方で、頭が下がる思いがしました。味噌汁は大好評で大きな鍋いっぱいに作りましたが、鍋の底には一滴の味噌汁も残らず完食でした。

 ⑥追記
 今回も多くの人から様々なご芳志をいただきました。裏が味噌の自作名刺すっかりお馴染みとなったギノー味噌さんからは全員にインスタント味噌汁を頂きました。皆さんありがとうございました。

  「シリーズで 書いたブログに 書き切れず 最後はさわり こぼれ話で」

  「今回も 多くの人に 支えられ 人間牧場 物語でき」

  「いつもだが 掃除と片付け 骨折れる 修業のつもり 小汗流して」

  「さあ次は 早くも月末 収穫祭 子ども沢山 歓声聞こえ」 

 

 

 

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人間牧場

〇人間牧場10周年年輪塾公開セミナー&10周年の集い(その6)

 年輪塾公開セミナーと人間牧場10周年の集いは、私の夕日亭大根心の新作落伍独演会で目出度く幕を閉じました。渡辺さんの祝辞に始まり、河野さんの絵の贈呈、井上さんのほら貝披露、塩崎さん、和田さん、亀本さん、溝渕さん、松本さん、門田さん、西川さん、梅村さんの心に染みるショートコメント、それに息子一心の話、水産高校の大先輩玉井さんの話も余韻を引き継ぎました。

蚊帳の中での交流会
蚊帳の中での交流会
蚊帳を張ったウッドデッキはまるで源氏物語の世界です
蚊帳を張ったウッドデッキはまるで源氏物語の世界です

 さあ楽しい交流会の幕開けです。まずウッドデッキに特製の大蚊帳が、多少戸惑ったものの息子の指導で張られました。蚊帳を張ると先ほどの研修風景とはまた違った異空間が生まれました。5つのテーブルを置き、周りにみんなが座って早速乾杯しました。テーブルの上には松本さんが注文用意してくれた美味しそうな料理が並び、皆さんがお祝いに持ち寄ってくれたお酒類を呑みながら楽しく食懇談しました。呑むほどに酔うほどにボルテージが高まったところで、馬路村の木下さんがマジックを披露してくれました。木下さんのマジックも今では玄人並みで会場を大いに湧かせてくれました。

バームクーヘンを使った6段飾りのバーズデーケーキに孫たちもビックリ仰天
バームクーヘンを使った6段飾りのバーズデーケーキに孫たちもビックリ仰天
松本さんが用意してくれたオードブル
松本さんが用意してくれたオードブル

 やがてこれがサプライズというのでしょうか、大きなケーキが会場内に運び込まれました。何と何とバームクーヘンの支柱を組み立てた6段飾りのバーズデーケーキでした。実はこの日10月3日は私の71回目の誕生見でした。ゆえに年輪に見立てたバームクーヘンを歳の数71本を使ったようですが、その奇抜なアイディアには、さすがの私も驚ろきあっけにとられてしまいました。やがて灯りが消され71本のローソクではなく、7本のローソクが灯され、誕生日の歌を歌った後、一息でローソクを消しました。私はこれまで70回誕生日を迎えていますが、こんなのは勿論初めてでした。

楽しかった宴会
楽しかった宴会

 その夜は帰る人、泊まる人に別れ、泊まる人も借りていた池久保集会所と水平線の家に別れ、私は深夜2時まで15人を越える泊り客の相手をしました。酒を飲まない私と酒を呑み過ぎるほど呑む仲間たちとの波長は、合うはずもなく苦慮しましたが、これも私のために駆けつけてくれた仲間たちへの、ささやかな大サービスだと心に決めて対応しました。15人の仲間はそのうち酒と睡魔でダウンし雑魚寝と相成りましたが、まあ凄いいびきで、結局私はウトウトしたものの一睡もできませんでした。朝6時みんなを起こし後片づけをしてそれぞれがそれぞれの目的地に、何事もなかったように帰って行きました。

  「交流会 ウッドデッキに 蚊帳を張り 異次元世界 始まり始まり~」

  「呑むほどに 酔うほどみんな ボルテージ 最高潮で 賑やか酒宴」

  「サプライズ 私のために 特製の バームクーヘン ケーキを準備」

  「虫の音に 負けずに仲間 いびきかく 凄過ぎ私 一睡できず」

 

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人間牧場

〇人間牧場10周年記念年輪塾公開セミナー&10周年の集い(その4)

 講義と鼎談を終え、15時からは南向きにしていたステージをがらりと替え、馬路村産魚梁瀬杉の切り株台座をウッドデッキに運び出し、北向きにしました。南向きは私の蔵書が雑然と置かれた学習風情でしたが、北向きは瀬戸内海の海と青空がバックです。前と後をセットし替えただけで、こうも雰囲気が変るものなのかと思わせるほどの驚きでした。10周年の集いはセレモニー、人間牧場での活動報告、リレートーク「人間牧場主を語る」、夕日亭大根心師匠の新作落伍と4本立てでした。

人間牧場10周年を報じた昨日の愛媛新聞朝刊
人間牧場10周年を報じた昨日の愛媛新聞朝刊
活動報告をしてくれた冨田さん
活動報告をしてくれた冨田さん

 筆頭塾生の浜田さんが進行役を務めましたが、かつて私も代表運営委員を務めたえひめ地域づくり研究会議の渡辺浩二さんがお祝いに駆けつけ、祝辞を述べていただきました。その後人間牧場での活動報告では、双海子ども教室スタッフの赤石雅俊さんが、子ども体験塾を中心に話をしてくれました。赤石さんは前年度まで公民館主事として7年間子ども教室の事務局を担当しました。異動で福祉課へ移っていますが、子どもの成長もさることながら赤石さん自身も人間牧場で多くのことを学んだようでした。地域おこし協力隊の冨田さんは都会からやって来て、慣れない異郷の地で大いに活躍してくれ、このほど4年間の任期を終えました。現在は双海町日喰に民家を借り受けて定住し、元気い~よプロジェクトを立ち上げ、活発に活動していますが、自分のこれまでの活動を総括しながら、人間牧場や私とのかかわりを話してくれました。

 リーレートーク「人間牧場主を語る」では、浜田さんが参加者の中からピックアップした人が次々前に出て、私の犬も食わず猫も見向きもしない悪口(大笑い)を、大いに言い合ってくれました。歯が浮くような美辞麗句を並べられると喜ぶ人もいますが、私にとっては嬉しいトークとなりました。気がつけば退職して早10年、だけどたかが10年されど10年、多くの人に生かされて生きていることを、実感するようなお話でした。私はこれからも目標としている85歳まで行き続けなければなりません。よりよき人生を生きるためには、私の人生の窓口である青年団活動で得た、①仲間、②主張、③ふるさと、④感動、⑤夢という5つの道具を使わなければなりません。とりわけ大事な多くの仲間と共に、楽しい学びと交流を続けたいと心に誓ったひと時でした。

  「10周年 色々あった 出来事を 振り返りつつ 生き方探る」

  「悪口を ジョークに替えて 話す友 胸にジーンと 込み上げてくる」

  「目標は 85歳と 人生を 決めて生きてる 後は字余り」

  「牧場に 愉快な仲間 集まりて ワイワイガヤガヤ 蜂の巣のよう」

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人間牧場

〇人間牧場10周年記念年輪塾公開セミナー&10周年の集い(その2)

 人間牧場で開いている私塾年輪塾は、ただ今四期目を迎えています。宮本常一、二宮金次郎、ジョン万次郎と続いた先人の学びを、四期目は近江聖人中江藤樹としています。今年の夏年輪塾の修学旅行に出かけた青木晴美さんから、お土産に全紙タイプの和紙に書かれた藤樹書院発行の、「近江聖人中江藤樹先生の教え」をいただきましたので、おさらいのつもりで紹介しておきます。

 近江の国(滋賀県)でお生まれになった中江藤樹先生は、郷土の人や藤樹書院に集まってくる人々と共に、人間として大切な道を学び、その道を実行し、近江聖人とたたえられました。先生は次のようなことを教えてくださっています。

青木晴美さんから年輪塾修学旅行のお土産にいただいた藤樹先生の教え
青木晴美さんから年輪塾修学旅行のお土産にいただいた藤樹先生の教え

 致良知(ちりょうち)
 人は、だれでも「良知」という美しい心を持って生まれています。この美しい心は、だれとでも仲よく親しみ合い、尊敬し合い認め合う心です。ところが人々は、次第にみにくい、いろいろな欲望が起きて、つい良知をくもらせてしまいます。私たちは、自分のみにくい欲望に打ち克って、良知を鏡のようにみがき、その良知に従い行いを正しくするよう日々努力することが大切です。

 孝行(こうこう) 
 私たちの心や体は、父母からうけたものであり、父母の心や体は、先祖からうけつがれたものであります。それはもともと、大自然から授かったものです。孝行とは、父母を大切にし、先祖をとうとび、大自然をうやまうことです。そのためには自らの良知をみがき、身体をすこやかにし、行いを正しくし、家族やまわりの人々と仲よく親しみ合うことが大切です。さらに、子どもをあたたかい心でしっかりと育てることも孝行です。

 知行合一(ちこうごういつ)
 人々は、学ぶことによって、人として行わなければならない道を知ることができます。しかし、学んだだけで、それを行なわなければ、ほんとうに知ったことにはなりません。物事をよく理解し、実行してこそはじめて知ったことになります。

 五事を正す(ごじをただす)
 五事とは「貌言視聴思」を言い、それを正すことは、なごやかな顔つきをし、思いやりのあることばで話しかけ、澄んだ目でものごとを見つめ、耳を傾けて人の話を聴き、まごころをこめて相手のことを思うことです。ふだんの生活やまわりの人々とのまじわりの中で、自ら五事を正すことが、すなわち良知をみがき、良知に到る大切な道です。

                              藤 樹 書 院

  「親友の 女性旅行の お土産に 和紙に書かれた 藤樹の教え」

  「おさらいの つもりで四つ 教え読む 良知・孝行 知行合一」

  「五事正す 加えた四つ なるほどと 心に刻み 毎日実践」

  「四百年 前に生きたる 先人の 教え陳腐化 せずに斬新」 

 

 

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人間牧場

〇人間牧場開設10周年(その2)

 人間牧場を造ってからこの10年の間には、色々なことが沢山ありました。幸い私が健康だったため、過酷とも思える草刈り作業も運営も無難にこなして来ましたが、気がつけば私も昨日で71歳です。車に乗って人間牧場へ作業や活動に行くためには、おおよそ80歳くらいが限界かなあと想像していますが、だとするとあと10年程度で息子にバトンタッチをしなければなりません。息子はただいま42歳です。仕事に熱中しなければならない年代なので、そうそう私の満足するような手助けはできませんが、そろそろ色々なことを伝授し始めないと、私の身が持ちません。

建前当時の人間牧場
建前当時の人間牧場
水平線の家の屋根葺き作業風景
水平線の家の屋根葺き作業風景

 幸い息子は人間牧場の諸施設の設計を担当したので、折に触れウッドデッキに防腐剤を塗ったりしながらメンテナンスもやってくれています。10周年記念事業をするに当たって息子は、外壁のあちこちにキツツキによって無数に開けられた穴を、見苦しいからと大工さんに頼んで潰してもらっていたようです。また少し不具合のあった囲炉裏の蓋も修復してくれていました。さらに昨日は10年前水平線の家のウッドデッキを造った際、若嫁の協力を得て防虫ネットで作った蚊帳を、ステンレス製パイプを取り付けた上に被せて、交流会の雰囲気作りや藪蚊対策をしてくれたお蔭で、とてもいい雰囲気の交流会が持てました。

 私と激しくぶつかったロケーション風呂も、息子の意見を通して2階建てにしたところ、豊田漁港の眺望とともに足湯ができる設計は、来訪者に大好評で、息子に軍配が挙がりました。またツリーハウスも息子が「樹に付加を掛けることは如何なものか」と対立し、息子の意見で樹を抱かかえるようにしたことも今にして思えばもっともなことでした。ツリーハウスは私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループが資金面のスポンサーになってくれ、素敵な施設となりました。その後増えたかまど小屋やピザ釜を加え、今年の春自分でブロックをついて造った腐葉土ストッカーも来年はカブト虫の養殖場として生まれ変わる予定です。

 10周年を迎えたつい最近、多くの人から「あなたの人間牧場での次の目標は難ですか?とよく聞かれます。資金があればまだまだやりたいことはいっぱいありますが、気力と体力の衰えつつある年齢のことを考えると、そろそろこれが限界かな?とも思っています。息子は貪欲で時々、「お父さん〇〇をしたらどう?」と持ちかけられますが、息子と私のブレーキ役はもっぱら妻と若嫁の女性群で、「これ以上造るとお父さんの体の健康が心配だ」と二人の前に大きく立ちはだかるのです。人間牧場を氷に例えるなら私の理想とする人間牧場にまだ10パーセントしか出来上がっていません。親父が存命中作ってくれた作業小屋もそろそろ手狭になってきました。

  「オーナーの 私が資金 息子ただ 知恵出すだけで 汗まで私」

  「親よりも 子どもの意見 最もと 今頃気付く 愚かな親父」

  「これ以上 やらないように 妻が言う 若嫁までも 立ちはだかって」

  「あと10年 車に乗れなく なる日まで 一生懸命 頑張り抜いて」

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人間牧場

〇誕生日のプレゼント(その2)

 昨日は今日開く予定の、人間牧場10周年&年輪塾公開セミナーの準備で慌しい一日でした。午前中鼎談の組み立てや準備物をチェックして軽四トラックに積み込み、午後2時に地域事務所で落ち合った清水塾頭、松本小番頭、浜田筆頭塾生と私の4人で、人間牧場へ向かいました。

今日の講師中江彰先生
今日の講師中江彰先生

 昨日は爆弾低気圧で吹き荒れた風雨も収まり、少し風は強かったものの、ウッドデッキに張っていたブルーシートも多少めくれてはいましたが、吹き飛ばされず残っていました。みんなでブルーシートを片付け、早速準備に取り掛かりました。掃除をしたり2階の倉庫から50枚もの全ての座布団を取り出し、ウッドデッキで枚数を数えながら風を入れました。

子どもたちからプレゼントされた書斎椅子
子どもたちからプレゼントされた書斎椅子

 受付や当日の運営を確認したり、イノシシに荒らされた畦畔の土を跳ね上げる作業で汗を流しました。私と清水さんはその足で、今日の講師である滋賀県から招聘した中江先生と打ち合わせをするため松山に向い、市駅に程近い蔵という居酒屋で簡単な夕食会を持ちました。私は6月に実施した年輪塾の修学旅行と親父の死が重なったため参加できず、中江先生とは初対面なので、同席した清水さんの力を借りてお話をしました。

 食談会を終えて松山から帰宅してみると、私の書斎机の前が何やら違っていました。椅子が新調されているのです。これまで使っていた椅子は次男が初めての給料で買ってくれたものでしたが、安物?だったのか破れて少しくたびれていました。子どもたち4人がお金を出し合って私の誕生日に合わせプレゼントしてくれたのです。

 この椅子に座り、これからも私は様々な空想を張り巡らせ、パソコンを使って文章を書いたり読書にふけることでしょうが、私の知的コンテンツはまだ伸しろがあるのでしょうか?。椅子に座ってみましたが、座り心地も満点で大いに満足しました。願ってもない誕生日のプレゼントに、ルンルン気分で71歳の誕生日を迎えた朝でした。

  「今日の日の ために仲間が 集まって 準備おさおさ 怠りなきよう」

  「松山の 小さな居酒屋 3人で 食事を囲み 打ち合わせする」

  「帰宅して 書斎に入り 机前 椅子プレゼント されて嬉しや」

  「今日からは 気を引き締めて 頑張ろう 決意も新た 71歳」

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人間牧場

〇カボチャ・かぼちゃ・また南瓜

 「ああ、今年もそんな時期が来たのか!!」と思わせるように、先日北海道佐呂間町のパンプキン武田こと武田温友さんから、今年も沢山の観賞用カボチャが宅配便で届きました。早速孫と一緒に荷を開けると、中からまるでオモチャの玉手箱のように、沢山のカボチャが出てきました。孫は「僕に頂戴」とお気に入りのカボチャを一個選び、さっさと自分の部屋に持って行き机の上に飾っていました。

北海道から送られてきた珍しい観賞用カボチャ
北海道から送られてきた珍しい観賞用カボチャ
カボチャでおどける孫奏心
カボチャでおどける孫奏心

 さてこのカボチャは、毎年道の駅のじゃこ天のお店の店先に飾った後、10月の下旬に人間牧場で開かれる子ども体験塾の折、ウッドデッキに展示して、最期は子どもたちとジャンケンゲームで競り市をする予定です。毎年のことなので子どもたちもそのことを楽しみにしているようで、先日子ども体験塾の子どもたちに会ったら何人かから、「今年もカボチャをくれるの?」と聞かれました。

 はてさて今年は明日、人間牧場10周年の記念事業があって、沢山の人がやって来る予定なので、今日の準備に合わせて人間牧場へ持って行き、棚に展示をしてはどうかと思案をしています。珍しい形や色のカボチャなので持ち帰られる危険性もありますが、折角北海道から送ってもらったカボチャなので、ディスプレイに使う方が話題性があるのかも知れません。そうしようと急に思いつきました。

 北国の北海道はもう紅葉の秋も進み、高い山では初冠雪があったと報じられています。春が遅く冬が早い厳しい自然の中で大切に育てられたに違いないカボチャを見ながら、武田さんの顔を思い浮かべました。武田さんとは私が佐呂間町へ講演に出かけた時、たった一度しかお目にかかっていません。しかし世の中は便利になったもので、静止画像ですが見ようと思えば、facebookで武田さんの温和な顔はいつでも見ることができるのです。武田さん、今年も沢山のカボチャありがとうございました。

  「今年も 観賞カボチャ 宅配で 届いて嬉し 孫も喜ぶ」

  「段ボール 箱の中から 次々と カボチャ出てきて まるで玉手箱」

  「このカボチャ 明日のイベント ディスプレイ 使いたいけど 危ないかもね」

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