人間牧場

〇叔母の急死は悲しい

 12人兄弟姉妹の長男だった親父が亡くなって、早くも3ヵ月半が経ちました。それでも12人兄弟姉妹の威力は凄いもので、まだ連れ添いを含めると9人(叔父3人叔母5人)が健在です。しかし9人は私たちと同じように確実に一年に一つずつ歳をとって高齢化しつつあり、深夜等に電話の呼び出し音が鳴ると、最近親父のことがあっただけに、「もしや」と叔父叔母の安否が気になるのは当然の成り行きなのです。

 昨日まちづくり集会を終えて帰宅し、風呂に入ってテレビを見ていると11時前、一本の電話がかかってきました。妻が電話口に出ると不安的中で、下灘の叔母が搬送先の大洲の病院で亡くなったという知らせでした。叔母は最近痴呆が進み、体力も弱ったので、止む無く中山の特養施設に入って余生を送っていましたが、昨日容態が急変し帰らぬ人となってしまいました。夫に先立たれ、息子を海難事故で亡くして人生の辛酸をなめ、気丈にも余生を生きてきましたが、ここにきてついに力尽きたようです。

 早速実家近くの叔母方へ妻と二人で行き、亡骸の帰宅を待ちましたが、搬送車の手配に手間取り、帰宅は午前2時を回っていました。死んでわが家へ帰るのは淋しいもので、穏やかな死に顔はしていても、さぞ悔しかっただろうと、察して余りあるものがありました。息子は木材や建材などを販売する会社を経営していて、最近立派な自宅を新築しましたが、先日叔母を連れて帰り、家族水入らずの幸せな時間を過ごさせてあげたことが、何よりの親孝行のようでした。

 実は今週末の土日を利用して、親族一同で京都方面へ旅行に行く計画がまとまって、みんな楽しみにしていましたが、叔母の死でこの計画も急遽取り止めることとなりました。私はあいにく子ども体験塾のプログラムが予定されていて、欠席の予定でしたが、また次の機会には是非参加したいと思っています。早朝3時に一旦帰宅し仮眠を取って通夜式会場へ叔母を送り出すため、11時に再び叔母の家に行き、生まれ育ち嫁いで長年暮らした下灘の地を後にする叔母を見送りました。

  「突然に 深夜届いた 叔母訃報 親父に続き 寂しさ募る」

  「ああ悲し 早朝2時に 無言にて 叔母の亡骸 ふるさと帰る」

  「人間の 一生何て はかなきか 85才 生涯閉じる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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人間牧場

〇自然の恵み椎茸収獲

 わが家の裏は他所の土地ながら、杉と桧の木が植えられています。虫の目になって近くで見ると一本の木ですが、少し離れて人間の目線で見ると林になり、もっと離れて鳥の目になって遠望すると、森に見えるのですから不思議です。木・林・森と木を増やして書く漢字も実に理屈にあっていると、いつも感心しながら書いていますが、森になると木という個の存在が見えにくくなることも承知しなければなりません。

自分の顔と同じ大きさの椎茸を採って喜ぶ孫希心
自分の顔と同じ大きさの椎茸を採って喜ぶ孫希心
蜂に刺されないようおばあちゃんの作業帽を被って椎茸を採る孫奏心
蜂に刺されないようおばあちゃんの作業帽を被って椎茸を採る孫奏心

 林というべき杉木立の中へ、椎茸の種ゴマを植菌したクヌギのホダ木を、30本ほど置いていますが、このところの朝晩の15度を下回る冷え込みを察知したのか、椎茸が生えてきました。暫く気がつきませんでしたが、昨日の朝長男息子が、子ども二人を連れて収獲をしたようです。大きく傘の開いた椎茸を幾つも見つけた孫たちは大はしゃぎで、嬉しかったのか喜色満面で、さも自分が作ったような言い草で、私たちのダイニングへもお裾分けを持って来てくれました。

 椎茸は付け焼きにしたり料理に加えて食べますが、健康自然食品なのでこの時期は妻の手料理宜しく、よく食卓に上ります。私も大好物なので植菌が人工的とはいいながら、自然の恵みに感謝して、新米のご飯とともに食欲の秋を満喫しています。昨日は孫が収獲した椎茸を、松前に住む若嫁の母親への届けるんだと、孫たちは張り切っていました。そういえば人間牧場の椎茸も、先日公民館の隅田主事さんと段ボール箱に一杯収獲しましたが、その後見に出かけていないのでどうなっているか気がかりです。3日後人間牧場で開く、子ども体験塾の収穫祭に、子どもたちが収獲体験できることを願っています。

  「わが家裏 杉の林に 置いたホダ 気温下がりて 椎茸ニョキリ」

  「孫たちは 生えた椎茸 もぎ取って 僕が作った 言わんばかりに」

  「田舎ゆえ しいたけ収獲 体験が できる幸せ 噛みしめながら」

  「3日後に 迫った秋の 収穫祭 椎茸採って 喜ぶ姿」

   

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〇夕日の綺麗な季節

 長年夕日でまちづくりをしていると、夕日にまつわる色々な人や情報が集まってきます。ゆえに居ながらにして夕日に関してさらに詳しくなるのは当然ですが、中には遅まきながら夕日でまちづくりをしたいという物好きな希望者もいて、一昨日も1人の青年が飛び込みで私のところへやって来ました。その青年は長崎の離島に住んでいて、現在ある役場に勤めているとのことで、インターネットで夕日に関することを調べているうちに「若松進一」にヒットし、居ても立ってもおれず私の元へ、アポイントも取らずやってきたと言うのです。私の若い時とよく似た境遇と行動力だと思いつつ、2時間ばかり私設公民館煙会所で彼の話を聞きました。

DSCN1194 DSCN1204 DSCN1207 聞けば夕日で町おこしをしようと、町内の人に話を持ちかけても全然相手にしてくれないというのですが、これもまた私が夕日で町おこしをしようと思い立った頃と良く似ていました。その青年は私の話を熱心にメモを取りながら聞いていましたが、納得の手合いでした。今朝帰郷した彼から長々のメールが入り、私の話を聞いた後シーサイド公園やJR下灘駅で夕日夕焼けを堪能するほど見て感動したそうですが、自分の夕日に対するスキルと実行力を高めなければ周りを説得できないことを学んだようです。メールには「何のために」「誰と」「何を」「どうするのか」、まさに5W1Hの発想で、自分の前に立ちはだかる1年・3年・5年・10年の壁を乗り越えたいと決意を述べていました。

 「双海町の夕日が綺麗」と思っても、「それがどしたん!!」と言われ、返す言葉も出ないようだったら、そこから先へは進めません。最近双海町の夕日も随分知られるようになってきました。しかし綺麗と思っているだけで何もしなかったら、ただそれだけで終ってしまいます。4年余り前この町に地域おこし協力隊の隊員として赴任し、退任後もこの町に住んでいる冨田さんは、折につけfacebookなどで、双海の美しい夕日を紹介してくれていて、この町に住み続けていても何もしない人の多い中で、頭の下がる思いがしています。これからも折に触れて夕日に関する情報を発信したいものです。

  「わが町の 夕日が綺麗と 言いつつも 何もしないと 何にもならぬ」

  「ある島の 若者飛び込み やって来て 夕日ノウハウ 盗んで帰る」

  「夕日見に 行きたいけれど いつ綺麗? 聞かれる度に 来る日が一番」

  「夕日見て 綺麗と思う 瞬間を 情報発信 親友偉い」

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〇魔法の薬

 「老化を抑え、糖尿病や肥満を改善し、ガンのリスクを下げ、認知症やうつ病も防げる『魔法の薬』がある」という書き出しで始まった昨日の愛媛新聞朝刊地軸のコラム記事が目に留まりました。書き出しに書かれた老化・糖尿病・肥満・ガン・認知症・うつ病は、私こそ今は発症していないものの、現代人が最も恐れている病気の数々で、老化もガンも認知症も、やがては自分や妻の身に降りかかってくるだろうことを予測すれば、「そんな万病に効く薬があったら早速私も・・・・」と思うのは当然です。

 その薬の名前は「一日30分のウォーキング」と書かれていて、「なあ~んだ!!」と思ったのは私だけではないと思いますが、これが英国のれっきとした科学的根拠に基づいているというのですから、これは信じて実行するしかないのです。私は毎日一万歩を歩く」ことを目標に、「一日30分のウォーキングどころか、毎日たっぷり約一時間も歩いています。ウォーキングの特徴はランニングと違い、その気になれば誰にでも出来るし、周りの自然を楽しみながらだってできるのです。しかしこんなささやかなことでも毎日続けるとなると、「言うは易く行なうは難し」で、雨の日も寒い日も、体調の悪い日もありますから中々大変です。

 私がウォーキングパラダイスと名付けているコースは、山坂のある少しハードなコースで、5月から9月までの夏季には大汗をかき、朝からシャワーを使わねば人に迷惑をかけたり、汗疹の原因になったりするほど歩いています。よく山登りをした折気付くのですが、坂を登る時もしんどいですが、坂を下る時も脛が笑うという表現がぴったりするほどしんどいものです。つまり上り坂と下り坂は使う筋肉が違うようで、最近そのことにやっと気がついたお粗末さです。

 近所に銀行に勤めている人がいます。毎朝犬を連れて散歩していますが、その人のウォーキングの目的は、飼っている柴犬の散歩が目的で、犬に引かれウンコを始末しながら歩いています。「中高年、犬の散歩で 犬が痩せ」はけだし名言で、思わずその言葉を思い出して、まことに失礼ながら含み笑いしてしまいました。
 最近は朝晩かなり冷え込んで、四国でも朝ウォーキングで出会う人が口々に、「寒いですね」と声を掛け合いながらすれ違います。歳をとると寒いのは苦手です。昼と夜の寒暖の差もあって、風邪を引かないようにしなければなりませんが、毎日一万歩を目指したウォーキングのお蔭でただ今健康な日々を送ってます。

  「登り坂 下りの坂と 足腰の 使う筋肉 違うようです」

  「一万歩 目指して今日も 山坂を 歩いて目標 達成しました」

  「中高年 犬の散歩で 犬が痩せ けだし名言 その人に会う」

  「朝と昼 寒暖の差が あるようで 風邪に注意と 妻に言われる」

 

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〇手づくりみかんジュース

 最近わが家では、毎朝妻手搾りのみかんジュースか、野菜と果物を使ったスムージーが食卓に出てきます。さすがにこの歳になると、昔のように何を食べても基礎代謝で消費することができ辛いので、身体にいいものを食べたり飲んだりするよう、むしろ私の健康を心配して、妻が心がけてくれていますが、ジュースやスムージーもその一環で、飲むと何処か体が元気になるような錯覚を覚えるのです。

色も鮮やかな極早生みかんの手搾りオレンジジュース
色も鮮やかな極早生みかんの手搾りオレンジジュース

 このところは、知人友人からいただいた極早生みかんを半分に輪切りし、手絞りで生のジュースを作ってくれますが、これがまたオレンジ色の目の覚めるような鮮やかさで、ビタミンC100%を髣髴させてくれます。グラス一杯のオレンジジュースを作るには、水洗いした極早生みかんを5個ぐらい使うようですが、昔のようにみかんを余り食べなくなったことを思うと、搾りかすを除いても、みかんを3個くらい食べた計算になるので、嬉しい健康サービスです。

 最近妻は黒ニンニクに凝っています。自然栽培のニンニクが出回るこの時期に、ニンニクを丸ごと専用の炊飯器に入れ、保温を15日~20日程度すると、黒く焦げた黒ニンニクが出来上がります。皮を剝いて毎朝食前に一かけら食べるのですが、市販の黒ニンニクは割高なので、妻の作った手づくり黒ニンニクを重宝して食べています。しかしこれが体の何にどう効くのか、また食べているがどう効いているのかも分らぬまま、妻の言うとおりやっています。黒ニンニクはニンニク独特の臭みもないようですが、もう少し続けてみようと、今朝もオレンジジュースとともに飲食します。

 

 

  「極早生の みかん輪切りに して搾る 色鮮やかな オレンジジュース」

  「菜園の 菜の葉っぱ スムージー 妻が私の 健康気遣い」

  「最近は 手づくり黒い ニンニクを 食べろと妻に 言われるままに」

  「飲食も 今では妻の なすがまま ゆえに健康 保っています」

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〇松下政経塾生の来訪

 私の友人に兼頭一司さんと小野晋也がいます。いずれも東大出身の秀才で、二人は松下政経塾の卒業生らしく、小野晋也さんは国会議員を永らく務められ大活躍をされました。また兼頭一司さんも愛媛県上島町に入り島の会社を起こし、何かと話題になっている人です。松下政経塾の卒業生は小野晋也さんのように政治を志す人が多いのですが、兼頭さんのようにコミュニティビジネスを志す人もいて、随分様変わりしてきたようです。松下電気の創業者松下幸之助さんが84歳で、理想の社会を実現するために、リーダーの輩出を目指して1979年に設立した政経塾では、今も多くの人が日々新たな気持ちで学んでいるようです。(偶然でしょうか。昨日いただいた松下政経塾の2015年版パンフレットに、先輩塾生として兼頭さんと小野さんのメッセージが掲載されていて驚きました。)

松下政経塾の皆さん
松下政経塾の皆さん

 昨日4人の松下政経塾の塾生が私の元にやって来ました。私のような一線を退いた人間の話など、秀才揃いの塾生には取るに足らないと思うのですが、請われるまま言われるまま、シーサイド公園の事務所横の一室で、1時間半ほど面談させてもらいました。今回のテーマは「観光」でした。既に午前中内子を見学されたようだったし、私や双海町のことはインターネットで調べて事前知識を持っていることを予測し、むしろ煙会所や人間牧場でやっている活動に軸足を置いてお話しましたが、はてさて私の話は参考になったかどうか・・・。

 私の元へは今も沢山の人が何故か勉強と称してやって来ます。多分夕日という物体現象を地域資源にして、地域づくりをやった奇抜さが物珍しいのでしょうが、100人のうち99人までが首をかしげたり反対した過去を思うと、熱く語る物語はいっぱいあって、喋りだしたら止まらないのです。今の私には第二ステージとなった双海町のまちづくりを後押しする程度しかできませんが、それでも自由に語り合える空間・広場として、煙会所や人間牧場を使って若い世代に、既得権益を譲る心構えでやっています。夕焼け京都塾の塾頭山折哲雄さん(元日本国際文化センター所長)は、①出前の精神、②手作りの気分、③身銭を切る覚悟の三つのことを言っています。拳拳服膺肝に銘じて生きて行きたいと思っています。松下政経塾の塾生来訪はそのことを再確認する機会となりました。

  「秀才の 呼び声高い 塾生が 名もなき吾を わざわざ訪ね」

  「何のため 吾は生きてる 自問しつ 今日も明日も 牛歩の歩み」

  「若いのに 既に悟りを 開いてる 私なんぞは 足元及ばず」

  「凡人は 非凡ぶっても 化けの皮 剥がれるゆえに 普通に話す」

 

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人間牧場

〇ホダ木に椎茸が沢山生えました

 去年の春、人間牧場で行われた子ども体験塾開講式の折、ジャガイモの収穫作業と並行して、大洲市田処の親友亀本さんの指導を受けて、椎茸の植菌作業を行いました。植菌は手間の要る作業で、前もって親友井上さんの協力を得て原木となるクヌギの木を伐採して、軽四トラックに積んで人間牧場まで運び、1ヶ月ほど木陰に寝かせた原木に、ドリルで穴を開けて椎茸の種駒を打ち込むのです。

DSCN1418DSCN1419 種駒を打ち込んだホダ木を牧場下の往還道まで降ろし、竹で作った支柱に行儀よく並べて休眠させ、1年半が経ちました。今年の秋にはそろそろ椎茸が生えるかも知れないと、植菌指導した亀本さんから連絡が入りました。先週人間牧場10周年記念事業の準備で出かけた折、ホダ場を観察すると、ホダ木に立派な椎茸が10個ほど生えていて、早速持ち帰り、つけ焼きにして試食しましたが、新鮮ゆえにとても美味しく頂きました。

 その折ホダ木に無数の白い椎茸の芽を見つけていたので、もうそろそろ出ているかもしれないと期待しながら、昨日は下灘保育園児が、人間牧場へ遠足に来た対応ついでに覗いてみました。ホダ場に通じる道はイノシシの獣道なので、そこここにイノシシが遊んだ生々しい赤土の痕跡が残っていて、草と草、草と木の間には大臣グモがクモの巣を沢山張り巡らせ、容易に踏み込めませんでした。

 早速草刈機で草や木を刈り払いホダ場に着くと、まあ凄い数の椎茸が生えていました。早速公民館の隅田主事さんに連絡し、運よく近くまで来ているとのことだったので、午後一隅田さんが来るのを待って二人で収獲しました。小さいものは10月24日の収獲祭まで残し、開いたものは全て収獲して段ボールに入れました。椎茸は持ち帰って冷蔵庫に入れ、収穫祭に使う予定です。それにしても凄い数の椎茸に、二人とも少し興奮をしてしまいました。願わくば来年の春もホダ木を確保して植菌したいものです。

  「一年半 ホダ場に置いた クヌギの木 ホダ木となりて 椎茸無数」

  「椎茸が 無数に生えた 往還道 さすがイノシシ 食べずに通る」

  「キノコ狩り しているような 錯覚に なりて二人で 収獲作業」

  「10日後に 子ども椎茸 収獲を させてやりたい 気持ちになりて」

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人間牧場

〇タブレットの故障かも?

 3日前の夕方、夕日に染まった綺麗な本尊山を写真に撮ろうと、デジカメでなくタブレット端末を取り出し、スイッチを入れ庭から本尊山に向けて撮ろうとすると、画面が黒くなって撮影ができなくなりました。「エッ?!!」と信じられない感じがしました。充電は充分しているはずなのにです。撮影を諦め色々いじくりましたが、私の浅はかな知識では復旧することも出来ず、「×〇▲■」的憂鬱な気分になりました。

私のタブレット端末亜アンドロイド
私のタブレット端末アンドロイド

 早速こんな時、必ず助け船を出す娘婿にメールを送りました。「バックライトが暗くて画面が見えません。故障でしょうか?」と問い合わせたところ、早速返信メールが届き、懇切丁寧な対処方法を分りやすく説明してくれていました。娘婿は愛媛大学の先生をしていて、パソコンやタブレットにトラブルが発生すると、これまでにも再三再四対応してくれているのです。指示通り薄暗い画面の中ほどにある歯車のようなキーを二度押すと、バックライトの明るさを調整する画面が現れ、タブレットはものの見事に復旧することができました。

 私にとってパソコンもタブレットも、使いこなせるほどの有能な能力は残念ながらありません。ましてや今回のようにトラブルが発生すると、もうお手上げでどうすることもできないのです。故障と思っていたのに、ちょっとした操作でタブレットが使えるようになり、憂鬱は一転爽快になりました。人間の気持ちなどいい加減なものだと思いながら、昨夕も充電の終ったタブレットで、夕焼けに染まった西の空を写しました。

 スマートフォンを持たない私の携帯電話はガラ系です。タブレットは一ヵ月1100円の定額使用料契約です。年金暮らしのこの歳になると、無駄な出費は極力抑えた生活をしなければ日々の暮らしが成り立ちません。タブレット端末は今も使いこなすことはできませんが、ヤフー検索とアメーバブログ、ワードプレスブログを旅先で書いたり、facebookを使ったり、写真を撮ること、それに親友冨田さんが電子図書化してくれた「夕日徒然草」全編を集録していて、いつでもどこでも落伍の修業ができるのです。さあ歳をとっても私なりに進化を続けましょうか。

  「タブレット バックライトが 消えかかり 助け船出し 早速対応」

  「ハプニング 会うと私は お手上げで グリコの看板 みたいになりて」

  「故障だと 思っていたが 操作ミス 何のことなく 元に戻りて」

  「これからも 積極的に 生きようと 思っているが 限界近づく」

 

 

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人間牧場

〇舞たうん126号掲載

 えひめ地域政策研究センターの季刊雑誌舞たうんがこのほど手元に送られてきました。表紙には先日創風社30周年記念レセプションで、久しぶりにお会いした柳原あや子さんが、JR下灘駅で行なわれた結婚式の様子を画いていました。私は22・23ページに特選ブログshin-1さんの日記というコーナーに、「婚活あれこれ」というタイトルでVol.33の記事を書きました。

 浅学菲才な私ゆえ、毎号僅かな2000文字程度の短い記事ですが、「今度はどんな記事を書こうか?」と少し頭を悩ませます。それでも早書きの私ゆえ、いつも余程のことがない限り、締切日に遅れることなく書いてメール便で担当者宛に送っていますが、33回も回を重ねると、少しだけ地域づくりの最前線にいるので、書く話題には事欠かないものの、「読者はどんな気持ちで読んでくれるのだろう」と、不安のようなものが頭を過ぎるのも事実です。

 さて今回のテーマは婚活でした。若い頃から537組もの結婚披露宴の司会をした経験を持っているので、それなりのことは書けると思っていましたが、最近の婚活事情となると筆を進めるのに中々苦労しました。舞たうんは126号というロングセラーの季刊誌であり、県内各市町の役所や機関に送られるので、愛読者がかなりいて読者の方から毎回読んだ感想が、メールやハガキで送れれてきます。幸せなことに批判や反対意見はこれまでまだ一度も届いたことはありませんが、その人たちの顔を浮かべながら書くこともしばしばです。

 舞たうんはえひめ地域政策研究センターの出向研究員が持ち回りで担当するため、編集会議で決るテーマも様々ですが、担当者が変るのでマンネリが防げているのかも知れません。次号127号の執筆依頼はすでに届いていて、そろそろ暇を見つけて取り掛かろうと思っていますが、記事を書くには地域づくりの第一線ならぬ第二線くらいで頑張らなければなりません。舞たうんが人と情報のネットワークであることを肝に銘じて、次号も頑張りましょうか。

  「舞たうん 季刊雑誌に 頼まれて 記事33回 書きも書いたり」

  「早書きは 私の得意 締め切りの 期日気にせず あっけらかんと」

  「舞たうん 送られくるなり メール等 感想文が 毎号届く」

  「もう少し 地域づくりの 第ニ線 頑張らなければ 記事など書けぬ」

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〇煙会所へやって来た親子連れ

 昨日は季節の変化を感じさせる、肌寒い天気でした。それでも地元小学校の運動会が開かれたので、午前中家族みんなで小学校二年生になる孫希心の運動会の参観に出かけました。少し早い昼食後、私は来客予定があったので帰宅し、テレビを見ながら午後1時30分の約束時間を待っていると、時間通り親子連れはわが家へやって来ました。お父さんは私の長年の親友A先生です。先生は地元の中学校の先生ですが、地元高校に通う高校3年生の息子さんが受験のようで、受験のヒントになればと私を訪ねてきたのです。

 

高校生と囲炉裏を囲む
高校生と囲炉裏を囲む

私の元へは毎年この時期になると、2~3人の高校生が受験のためにやって来ます。昔のように偏差値一辺倒の受験でなく、最近は学校から推薦を受けて、面接やプレゼンテーションで受験する方法を採用している大学もあり、特に地元の大学では地域活性化に貢献するべく、地域づくりについてのコースもあり、年々その傾向が強くなっているようです。私の話など余り役には立たないかも知れませんが、これまでは私の援助も少しは役に立ったのか皆さん合格して、一生懸命学んでいる学生もいるのです。

 A先生は地元の学校に勤めているゆえ、自分の子どもを例え優秀であっても、ただでさえ生徒数の少ない地元の高校を足蹴りにして、他市町の高校へ通わせることはできず、地元の高校へ進学させていますが、将来は家業の農業を継ぎたいという希望もあって、農業系の進学を目指しているとのことでした。四畳半の囲炉裏の部屋に囲炉裏を囲んで三人で座り、積もる話を2時間ばかりしました。50歳以上も年齢が離れている私の話が、18歳の高校生の心の扉を開くことができたかどうかは疑問ですが、生徒会長も務める礼儀正しい立派な高校生は、必ずや目標を掴み取ることができるものと期待しています。

 人は誰でも何がしかの目標を持ち、私の人生がそうであったように、その目標に向ってチャレンジするものです。時には辛いこともあるでしょうが、しっかりと前を向いて生きていって欲しいと願っています。私の4人の子どもも学業を終え、社会人としてそれなりの人生を、もがきながらも歩んでいるようです。親は助言や手助けはできても結局その難関を切り開いて行くのは本人しかできないのです。さあもう一分張り親も子も頑張ってください。陰ながら応援しています。

  「煙会所 囲炉裏囲んで 三人が 思いつくまま 人生語る」

  「高校生 受験の季節 やって来た 将来見据え 夢に向かって」

  「五十歳 以上も開き ある私 若者心 扉を叩く」

  「住む町に 思いを寄せて 生きてゆく これから先も 田舎誇りに」

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