shin-1さんの日記

○アメリカにも金次郎の銅像があるそうです

 人間牧場で二宮金次郎こと二宮尊徳の勉強を始めるようになって半年余りが経ちました。年輪塾を主宰しているからなのか、最近は何処へ行っても二宮金次郎のことがやたら気になるのです。先日は新玉小学校の図書館で子どもたちと一緒に本を読んでいる室内の金次郎を見つけましたが、8月20日のえひめ新聞に海外の二宮金次郎銅像の話が小さく埋草のような形で紹介されていました。

若松進一ブログ

 ②「二宮金次郎像 ロスではチョイぽちゃ」という見出しで以下のような記事が載っていました。

 ロサンゼルス・リトルトーキョーの交差点に立つ二宮金次郎像。「米国育ちで肉を多く食べているから、日本の像よりちょっとぽっちゃりしている」とは現地在住の日本人のジョーク。ところで、米国人は日本人の勤勉の象徴である金次郎の知っているのだろうか。近くのバス停で待つ人に尋ねたところ「ノー」。像を指差して「Do you Know him?」との質問の意味が通じたかどうかは自信がないのだが。

 はてさて、アメリカ人が「ノーというのは当然として、もし西海岸を旅行している日本人に同じような質問をしても、「ノー」と答えるかも知れません。だって戦後65年間、日本人は二宮金次郎のことを誰からも教わっていまいし、教えてこなかったのです。

 「本を読みながら歩いて、交通事故にでも遭ったらどうするの」と揶揄されるのが落ちなのです。内村鑑三が「代表的日本人」の一人として取り上げ、ケネディ大統領にも大きな影響を与えた二宮尊徳を、日本教育の基本としてももうそろそろ教えても良さそうなのですが・・・・。


  「アメリカに 金次郎さん あるという 誰が建てたか  それが知りたい」

  「アメリカの 金次郎さん 肉喰って 少し肥え気味 新聞ジョーク」

  「金次郎 日本人さえ 知らぬのに アメリカ人は ノーと言うはず」

  「色々な 所で話す 金次郎 知ってはいるが 殆ど知らず」

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shin-1さんの日記

○戻ってきた一本の赤いボールペン

 私はリタイアしてからも色々な雑誌や事例集などの原稿を依頼されることが多く、その度に拙文ながら原稿を書いています。私が後方を書いていた一昔前、原稿書きはもっぱらシャープペンシルと消しゴム、それに原稿用紙でした。それがいつの間にかワープロがパソコンになり、シャープペンシルも消しゴムもこの一年殆ど使わな九手もすむようになったのです。また書いた原稿も封書で送っていましたが、デジタル化された原稿は写真と共にメールで送れるようになったのです。

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 しかし送り返してきた校正のためのゲラ原稿は、プリントアウトして赤いボールペンで修正加筆、あるいは削除作業をしてゲラ原稿を手直しし、相手に再び送り返すのです。その時使うのは赤いボールペンです。私が使っている赤色のボールペンは、退職後全ての原稿校正の重要な役割を果たしてきました。ところがいつの間にか自分の机の上から姿を消して、会議用の4色ボールペンについている赤いボールペンで、不便だと思いつつも代用していたのです。

 ところが先日、一枚のはがきが私宛に届きました。私が建築委員を努めていた天一稲荷神社のぐうじさんからで、「先日の監査会で赤いボールペンを忘れていませんでしたか」という問い合わせのはがきでした。 思い当たるふしがあったので早速電話で返事をし、宮司さんは妻の勤める歯科医院に丁寧にも届けてくれたそうです。


 今時の時代はボールペンやライターなどは使い捨てする消耗品なので、別に気にもしていなかったボールペンが宮司さんと妻の手によって、持ち主の私に戻ってきたのです。数奇な運命といえるほど大げさなものではありませんが、それでも私はこのボールペンで早速昨日エッセー原稿の校正をしたのですが、しっくりいきました。

 たかがボールペン一本くらい紛失しても探そうともしないし、よしんば今回のように出てきても「ああ」くらいで終わるのでしょうが、一事が万事これからは大切に使いたいと思いました。私は赤いボールペンが大好きで、赤インクで書いた線引きや文字は、私の想いのようなものが込められています。戻ってきた一本の赤いボール面のインクの残量がどれ程あるか分かりませんが、これからも最後の一滴まで使いたいと愛おしく思いました。


  「失くしてた 赤いボールペン 帰り来る 愛用だけに 嬉しくなりぬ」

  「この歳に なっても赤ペン 貴重品 原稿校正 その度使う」

  「ボールペン あなたのじゃない はがきくる 既得な人が いればいるもの」

  「このごろは 使い捨てする 世の中に 失せて気付かず 失せて探さず」   


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