shin-1さんの日記

○北斗七星と北極星

 今年の夏は暑くて寝苦しい夜が続いています。寝ていてもパジャマが濡れるほど汗をかくので、ついつい寝そびれて寝不足気味になる人も多いのではにでしょうか。そんな夜は思い切って外に出て、天空一杯に広がる空を見つめ、星の観察をするのも楽しいものです。私が住んでいる双海町は田舎ゆえ街路灯も少なく、夜になると懐中電灯がなければ歩けないほど暗いため、逆に暗闇の彼方に浮かぶ星は、まるで天体ショーを見るように綺麗に見えるのです。

 特に夏の星座は星座版などを使って星を探せば、星座にまつわる伝説なども思い起こされ、孫たちに話してやるといつまで経っても中へ入ろうとしないのです。夏の星座の中で一際目立つのは来たの空に浮かぶ大熊座の北斗七星です。熊の背から尾をつくる七個の2等星がひしゃくの形に見える姿は、子どもの頃から見上げて育ちました。

若松進一ブログ

 しかし肉眼ではっきり見えるこの星たちを自分のカメラで撮影することはまず不可能なのです。何度か挑戦してみましたが、出来上がった写真は全て真っ黒なのです。最近は高感度のカメラも出回っているようですが、写真に撮れないだけにまたミステリーも多いのです。

 私は漁村に生まれ育ちました。ゆえに北斗七星を基軸にした北極星の探し方を随分教わりました。ひしゃくの先の2つの星を結びそれを約5倍延長した所にあるのが北極星です。というのも小熊座のアルファ星は天の北極、つまり真北(地球の自転軸を北側に延長した方向)を指し示す星だから、この星さえ覚えておけば、船乗りは方位が分かると教えられて育ったのです。漢名は北辰、英語はポラリスといって、いつも真北に位置する星として随分あがめてきました。

若松進一ブログ

一方カシオペアのWやMから見つける方法も教えられました。両端の2個ずつの星を結びそれぞれ延長してその交点と真ん中の星を結んでそれを約5倍延長すると北極星があるのです。

若松進一ブログ

 私はかつて宇和島水産高校の実習船愛媛丸で遠洋航海をしました。赤道を超えた南の海にマグロを追い、満船帰国の時は北極星を頼りに来る日も来る日も北を目指して航海しました。ロランや衛星ナビのなかった時代でしたから、六分儀で太陽や北極星の高度を測り、船の正確な位置を計算する航海術によって無事日本の港に帰ることが出来ました。今思うと星や太陽の高度で船の位置が分かるのですから、先人たちの知恵は凄いものだと感心していますが、その後陸に上がったカッパとなったため、その星を利用することはなくなりましたが、北極星は今も自分の心のロマンとして目指し続けている星なのです。

 「星影のワルツ」や「星は何でも知っている」という歌も、星とスターがこんがらがった現代も、もう遠い記憶となりました。でも今夜も寝苦しいようだったら思い切って外に出て、満天に輝く天の川や星を見ながら、遠い昔に思いを馳せたいと思っています。


  「久方に 天を仰いで 星を見る 北斗七星 ロマン漂う」

  「あの星を 結んで五倍 先にある 北極星は 憧れの星」

  「田舎ゆえ 星が綺麗に 見えるぞと 強がり言って 自慢のネタに」

  「あの星を 目指した昔 懐かしく 思い出される 青春の日々」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○迎え火と送り火

 お盆をふるさとに帰省して過ごす殊勝な人もいれば、お盆の休みを利用して国外国内へ脱出してレジャーを楽しむ人もいてまちまちな過ごし方をしているようですが、先祖祀りの義務を背負った人たちはどちらにも縁がないと諦め、迎え火を焚きお料具を炊いて茶果・線香を供え、年に一度あの世からやって来るご先祖様と対話しながら過ごすのです。その作法は宗教宗派によってまちまちですが、結婚して40年の間に妻が祖母や母から教わったわが家流儀にのっとって、昨日までの2日間ご先祖様と一緒に過ごしました。妻はもう手馴れたもので、お料具作りも迎え火も手馴れたもので、私にも否応なしにテキパキと命令し、今ではすっかりわが家の年中行事に定着しているのです。

若松進一ブログ

 内心はもうそろそろ長男の嫁に仏事に作法を伝授しなければならないのでしょうが、子どもがまだ小さいので線香とお茶を供えるくらいなことしか出来ませんが、間もなく始まる同居生活ではしっかりと学んで次の世代への橋渡しをして欲しいと願っています。

 昨日は夕方孫たちも加わって、親父と共に家族で送り火を焚きました。家の西に当たる畑の隅にお供え物を備え麻殻に火をつけました。僅か二日間の逗留でしたが、ご先祖様も孫たちの賑やかな声に多少驚かれたことと思いますが、無事見送ることが出来ました。「来年もまた来て下さい」と祈る家族に夏の暑い夕暮れ時の日差しが照りつけていました。

若松進一ブログ

 無病息災を祈りながらもこの一年、91歳の親父が鼠径ヘルニアで入院手術をしたくらいで、家族はまずまずの健康を保っています。心配したその親父も手術の結果完全治癒して元気に過ごしています。来年まで家族全員が過ごせることを願っています。その親父もあと二週間ほどで92歳の誕生日を迎えますが、何とか元気で過ごして欲しいと願っています。

 気がつけば私たち夫婦もいい歳になりましたが、お盆が来る度に長男の嫁ゆえのさがを背負って何処へも行けず、ただ黙々と仏事をこなす妻に感謝をするのです。

 今日はお盆の最終日、子どもたち家族も土産と思い出を貰ってそれぞれの所へ帰り、また日ごろの生活に戻ることでしょうが、今日は妻の休日にしてやりたいと、殊勝にも感謝しながら朝を迎えました。

 (今日は次男の誕生日です)


  「迎え火と 送り火焚いて 盆行事 あくせく過ごす 長男の嫁」

  「いつの間に すっかり板に ついたのか 仏事仕切りて 頼もしい妻」

  「この次は 俺の番だと いう親父 ヘルニア治り 元気回復」

  「お供えの ブドウ一粒 ちゃっかりと 口にほうばる 孫に思わず」


 

[ この記事をシェアする ]