shin-1さんの日記

○取材対応の一日

 私の作ったシナリオに沿って簡単な打ち合わせを行い撮影はスタートしました。撮影といってもスタッフもいない、出演者の私とカメラマン一人というものです。潮風ふれあいの館へ7時半過ぎにカメラマンを迎えに行き、わが家の私設公民館煙会所で、囲炉裏を囲んで一人語りです。今回のストーリーは、①名も知れぬ小さな町が”ふるさとの誇り”を育むために住民が総出で”学び”を核にプロジェクトを起動したこと。②それが世間に知られるようになり町への誇りが生まれ、新たな展開に進化成長したこと。③何処にでもある夕日を糸口にそれを物語化することで、人々の暮らしにリンクさせたこと。④夕日によるまちづくりは煙会所から人間牧場に貫かれた人づくりシステムがあったからこそ成果を挙げたことなどを内容としています。

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 その内容の入り口は私設公民館煙会所、出口は人間牧場なのですが、その物語のプロセスの随所に煙会所重要な役割を果たしてきました。まちづくりのスタートとなった町を語れない悔しさや、悲観的話しか出てこない現実も、また大いに夢を語ったり実践作戦を練った場所も全てが煙会所だったのです。もし煙会所を作っていなかったら、夕日によるまちづくりの物語もこうは上手く行かなかっただろうと思いながら、非日常性が少し薄らいで今は煙会所から人間牧場へ学びの拠点が移りつつあることを思うのです。

 私の作ったシナリオでは1、3、4、6、7の取材は煙会所ですが、間に2と5の下灘駅が入っています。でも移動する時間がないため、つぎはぎという違和感を感じながら一気に8時から3時間の集録を行いました。

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 10時から翠小学校を訪ねました。休日でしたが和田校長先生にお願いして取材をさせてもらいました。エコ改修の終わった2階の長い廊下で収録した後、エコデッキでビオトープや田植えが終わったばかりの早苗を見ながら急設えのオープンカフェで3人が束の間の時間を楽しみました。

 その後シーサイド公園と下灘駅、それに人間牧場でそれぞれ思いを語り、2時30分にやっと集録を終わり、追加取材をするというカメラマンの澤畠さんとお別れしました。

 前日のかなり激しい雨や霧、それにマイナス的天気予報で一時はどうなることやらと思いましたが、天気は徐々に回復し人間牧場の取材頃には天気も回復して、雨に会うこともなく終りました。


  「二十年 歩んだことを 半日で 訪ね反芻 思い新たに」

  「下灘の 駅に行く度 思い出す あの日あの時 あんな出来事」

  「あの頃は 若げのいたり 突き進む 今となっては 遅い反省」

  「後戻り 出来ないゆえに その時を 適機と捕らえ 一生懸命」


 

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○取材シナリオを作る

 地域資源学会の活動など、昔から何かとお世話になっている常磐大学の塚原先生から、茨城県桜川市の地域づくり教材として、映像テキストを作るので取材の協力をして欲しいと頼まれました。この話が持ち込まれたのはもう随分前のことでしたが、予算の都合で今年度になったと連絡がありました。せっかくなので取材に同行したいと日程調整をして6月19日ということでスケジュールを合わせていました。塚原先生は2度ばかりわが町に来られていますが、人間牧場へ案内するのは初めてとあって、私も先生も楽しみにしていました。

 前日の夕方双海に入り、宿泊先が潮風ふれあいの館なので、煙会所で打ち合わせをしようとメールを送りました。ところが到着予定の4時間前に電話が入り、目に眼底出血があって手術した結果まだ出血が止まらないとかで、「材のカメラマンが一人だけで行くからよろしく」とのことでした。

 先生からメールで事前に届いた「ふるさとに誇りをつくる”学び”による人づくる -夕日のミュージアムから人間牧場へー」のシナリオには1趣旨、2展開、3講義の方法、4日程の書かれたB4ペーパー一枚だけで、先生に殆ど任せていたので、少々戸惑ってしまいました。

 運の悪いことに到着予定の前日金曜日はあいにくのどしゃ降りと夕方から濃い霧が立ち込め、カメラマンの到着が午後9時前という最悪の連絡でした。それでもカメラマンに詳しいシナリオが手渡されているだろうと安心して、カメラマンの到着を待ちましたが、「今着きました」と宿泊先から電話があって宿泊先へ打ち合わせに行ったものの、「取材シナリオは若松さんに全て任せると塚原先生から伝言がありましたのでよろしく」とのこと、はてさて困ったと思いつつ帰宅後、シナリオを急遽作る作業をしました。先生からいただいた趣旨と展開を参考に、場面ごとに14項目を設定しました。

 0煙会所(まちづくりへの目覚め)、1煙会所(厳しい現実からの出発)、2下灘駅(夕日との出会い)、3煙会所(夢の語り場)、4役場(夕日を売り出す仕掛けー予讃線海岸回り存続運動ー)、5下灘駅(夕焼けプラットホームコンサートの成功)、6役場(まちづくり行政のスタート)、7役場(行政主導のまちづくりと夕日がテーマの物語づくり)、8シーサイド公園(通過する町から立ち止まる町へ)、9シーサイド公園(反対や赤字への危惧)、10花の町(夕焼けこやけラインと花の町)、11翠小学校(地域づくりの第二ステージ)、12人間牧場(自分づくりの第二ステージ)、13まとめ(自立と共生)と、まあこんなものかと頭で描きながらスケジュールを組みました。11の翠小学校の取材だけは勝手に出来ないので、早速事前に連絡していた校長先生の携帯に電話を入れ土曜日10時の約束を取り付け当日を待ったのです。


 私はこれまでにもシナリオは何度も書き、そのシナリオで作品も手がけました。また数々の人の書いたシナリオも見たり、取材番組にも出ました。しかし今回ばかりはプロデューサー不在の取材シナリオを作った訳ですから責任重大です。塚原先生の落胆を目に浮かべながら果たしてこれでいいのだろうかと、自分自身も半信半疑でカメラマンと打ち合わせをして取材に望みました。

  「プロデュース する人急に 来れなくて にわかシナリオ 作ってみたが」

  「七時間 及ぶ取材を プロデュース どんな作品 仕上がるだろう」

  「何にでも 挑戦するは いいのだが 浅学菲才 極めぬままに」

  「霧降りて 五里霧中とは このことか 何とかしよう 何とかなるさ」 

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○早朝のジャガイモ堀り

 梅雨に入り日中は25度を越す湿度の高い気温となって、わが家の羽毛布団は押入れの中に消え、いつの間にかタオルケットのような掛け布団に変わっています。眠ったり起きたりするため布団の中で過ごす朝晩は、寒くもなく暑くもなく、初老の私たち夫婦には一年中で一番いい時期かも知れないのです。

 梅雨の晴れ間だった一昨日は、畑の中に掘り残したジャガイモを掘らなければならず、親父にとっても気が気ではないらしく、再三「いつ掘る」「早く掘れ」と催促するのです。私もこのところ忙しいので無視していましたが、脱腸手術日が地被いた親父にとっては気になるようなので、結局朝早く起きて出張の前ながらジャガイモ堀をしました。

 わが家では2月にメークイン、男爵、キタアカリという3種類の種芋を植えましたが、今年は春先の天候不順でジャガイモの芽の出が遅れ、やっと出た新芽も寒波にやられ、その後回復もしないまま引きずって収穫期を迎えてしまったのです。ゆえに茎の状態から収穫量は掘る前から余り期待していませんでした。メークインもキタアカリも芋が小さかったのですが、一昨日掘った男爵は予想以上の大きさと収穫量で、先日収穫して軒に吊るしたタマネギとともに、一年分の食料は確保できホッとしています。これを見ていた親父も安心したのか、「これで心おきなく入院できる」と喜んでいました。


 新タマネギも新じゃか芋も美味しくて、このところの食卓にはタマネギとジャガイモを使った料理が、毎回これでもかというほど並ん出います。私にとってジャガイモもタマネギも大好物な野菜なので、少し食べ過ぎるほど食べています。卵より一回り小さいジャガイモは塩茹でにして夕食に出してくれます。茹でだちの熱々はホクホクしてとても美味しいです。本当はバターやマーガリンをつけて食べると美味しいのでしょうが、妻のコレステロールが少し高めなので、今は塩分、糖分、油分などを減らした食事に心がけていて、慣れれば素材の味が感じられ結構美味しいようです。明日は日曜日なので妻は傷ついたり小さいジャガイモを使ってコロッケを作る予定のようで、易尼からその味が楽しみです。


  「早朝の 二時間ばかり ジャガイモを 掘って汗だく シャワーを浴びて」

  「このところ 食卓飾る ジャガイモと タマネギ多く お通じ抜群」

  「バターなど 使わぬ料理 慣れました コレステロール これで改善」

  「一年分 食糧確保 倉庫には ジャガイモ眠り 軒にタマネギ」


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○壊れたかも?知れない電光掲示板

 この3年近く、私を最大限にPRしてくれた電光掲示板が突然「NONE]というエラー文字を表示して、3日前から動かなくなってしまいました。原因はデジタルに弱い私には知る由もなく、ただ今悶々の日々を過ごしているのです。元々この優れものの道具は、年輪塾のメンバーであるNPO元気!プロジェクトの加藤徹さんから、塾頭清水さんを通じていただいたもので、私がPR役として一役買うため落伍人型パネルとセットで、ちょっとしたチラシにまで登場しているのです。

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 こんな顔の利かない私でも日本全国回っている、と引き合いや問い合わせも何件かあって、加藤さんの所へ商談を持ち込みましたが、はてさてこの電光掲示板が壊れたかも知れないので、加藤さんや清水さんに連絡して、ちょっとした騒動を起こしてしまいました。何せ「動く広告塔」を自認する私にとって、この電光掲示板は珍しいこともあって行く先々で話題を振りまいていたのですから、それがなくなると思うと少々寂しい気もするのです。道具には人間と同じく寿命があって、壊れるのは当たり前なのですが、優れものだっただけに酷使したことを少々恥じています。

 この電光掲示板がデビューしたのは宇和島を主会場に開かれた全国地域づくり団体交流大会でした。私が実行委員長を務めていたこともあって、宇都宮民アナウンサーとともに大会パネルディスカッションのコーディネーターを努めた折、この電光掲示板をネクタイにつけて出たため、大きな反響がありました。またこれをつけて大阪道頓堀をおもしろ半分に歩いていたら大阪のおばちゃんに呼び止められて、それがご縁でそのおばちゃんたち10人が、夕日見学ツアーにはるばる双海町まで一泊二日でやって来る事業効果まで出ていたのです。


 故障なのか、修理可能なのか、はたまた廃棄処分なのか、まだ原因と結果が分かりませんが、早急に対応して結果を出し、また電光掲示板を活用して動く広告塔として活動したいと思っています。人間は不思議なもので、空気でもあればその存在に気付かないし、家族だっていつも鯖にいるからその存在意味さえ感じなくなって日々を過ごしているのです。空気や家族とは多少意味が違いますが、私にとって電光掲示板は最早なくてはならない持ち物になっていたことを、ここにきて初めて気がつきました。


  「三年間 私の武器で 活躍す 電光掲示の 文字が消えたり」

  「なくなりて 初めて分かる 有難さ 早急対応 復旧せねば」

  「電源は 訪ねる爺に 心電図 笑い飛ばした 日々が懐かし」

  「灯が消えた 意気消沈の 私見て 神や仏は 何を思うか」

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○綿を作るという変わった人

 私は田舎に住んでいるリタイア人間の割には全国に友人が多いのですが、私の友人には言動の変わった人が多いようです。多分その人たちはある意味世の風潮に流されず個性的な生き方をしているためまともで、むしろ世の風潮に流されていることにさえ気付かず生きている人たちのほうが変わっているのかも知れないと、時々思うことがあるのです。まあ人から見れば私も多少換わった生き方をしているので、人様のことを「変わっている人」などととやかく言うことはないのです。

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 一昨日の夜遅く、松前に住む橋本侘人さんから電話がかかってきて、早急に逢いたいので時間を作って欲しいと私の予定を電話で訪ねられました。昨日は審査会で一日留守にするし、今日は午前中健康診断、午後は打ち合わせ会、夜から土曜日にかけて常磐大学の塚原先生の取材と予定がびっしりと話しました。そこで引き下がらないのが彼らしく、「朝早くだったら何時がいいか」と聞くので、少しふざけてはいましたが「朝6時なら」と言ってしまいました。

 「じゃあ朝6時に自宅へ伺います」ということで彼は朝6時にわが家のチャイムを鳴らすのです。聞けば綿花を作りたいため、翠小学校の学校農園だった土地を、地主さんや学校の了解を得て借りることになったので、借用書に後見人として私の名前を署名して欲しいらしいのです。

 後見人になるほど私は立派な人間ではありませんが、彼の説明を聞くと断る理由もないので、後見人としての責任もあるのでしっかりと意見を述べて署名捺印しました。

 橋本さんはお茶屋さんらしく、時々珍しくも美味しいお茶を時々いただきますが、何処でどんなお茶屋を営んでいるのか、私も聞きもせず彼も話もせず、私的なことには不可侵を貫いていますが、経済が確立していない人の行き方は駄目だと、常々諭しているので彼もそのことを時々話題にしますが、彼は鼻ひげを蓄え、坂の上の雲ミュージアムで明治の軍人の格好をしてみたり、手のひらサイズの俳句誌を出してみたりまあ変わっていて、「得体の知れぬ人」というのが実態のようです。


 彼は借り受けた狭い農園で綿を作るのだそうです。私も何処かの公園や農園で綿の木を見たことがありますが、切花にしたり綿を採集して座布団を作ったり、まちづくり流にいえば面白い展開が期待できそうなのですが、果たして変わり者の彼が果たして夢を叶えることが出来るのか、それも正直な話彼には失礼ですが半信半疑なのです。でも着想の面白さにだけは感じています。一点突破主義は夕日に狂ったかつての私に似ているような気もしています。「私が恥をかくのは結構だが、周りの人や学校に迷惑が及ばないように」と念を押し、彼は帰って行きました。頑張って下さい。

  「綿作る 土地後見に なってくれ 言われ早朝 門を叩いて」

  「変わり者 かく言う私 変わり者 妻に言わせりゃ 五十歩百歩」

  「小さくも 夢を持つ人 輝きて かつての自分 見ているようで」

  「綿の木に 綿が出来るは 当たり前 普通の人は 見たこともなし」

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○久しぶりに松山の堀の内を訪ねる

 必要の論理が成立しない所へ人間の足は中々向かわないのか、この一年近く堀の内へ踏み入れることがありませんでした。愛媛新聞の友人から時々ご好意で届く美術館での美術展チケットも、何故か見に行くことが出来ず、市民会館で毎年一回開いていた次男が所属する劇団の演劇も、コミュニティセンターへ会場が変わったり、息子が仕事の都合で演劇の第一線から身を引いたため観劇に行かず、はたまたひんぱんにNHKテレビに出るため、NHKへ行くこともこの1年なくて、まあそんな具合で足が遠のいていたのです。

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 昨日は県庁県民活動推進果のご依頼で審査員として、NPOのプレゼンテーション審査会が県立図書館であり、県庁第二駐車場に車を駐車して歩いて出かけました。第二駐車場の守衛さんには前もって連絡が行っているので訳も聞かれずすんなり誘導してくれました。車から出ると今年一番の暑さとカーラジオが言っていたとおり、梅雨特有の湿度の多い外気が体を包み込みました。

 目を転じて辺りを見渡すと、濃くなった松山城の緑に映えて二の丸の石垣が見えました。また堀の内に足を踏み入れると、かつて競輪場やガンセンターなどがあった場所は、発掘調査の後の公園整備も無事終わって、かなり広い芝生の公園が見えてきました。

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 松山は県庁所在地といいながら地方都市です。でも住みたい街ベストテンにランクインするほど美しくて住みやすい城下町なのですが、堀の内公園はむしろ無駄な施設や設備をなくしただだっ広い芝生だけの公園なのですが、背後に松山城、回りに堀の内の緑があって、とても素敵な公園に生まれ変わっているのです。まるで他所の町へ行っているような錯覚を覚えました。

 公園にはまだ太くはありませんが桜が沢山植えられていて、今に桜の名所となるに違いありませんが、道後公園のような雑多な花見客での賑わいだけはある意味避けて欲しいと思いました。気に入ったスポットはやはり公園の中ほどに植えられている大きな木で、梅雨の晴れ間の日差しを遮って作っている緑陰にはベンチが置かれ何人かが昼休みの休憩を楽しんでいました。

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 昨日の審査会は打ち合わせ会に続いてNPOへの助成のためのプレゼンテーションが10団体行われ、その後担当課の補足説明会、そして審査会と5時間もの長丁場になりました。私も委員長に就任してとりまとめをすることになったため、少々疲れましたがまあ充実した午後となりました。でも帰り際、夕闇迫る堀の内の雄大な風景に癒され少し元気を回復したようにも思えました。

 今日から再び梅雨の長雨が続きそうです。


  「久しぶり 堀の内なる 公園に 足を踏み入れ 心癒され」

  「そういえば 一年近く 来ていない 記憶辿るも 蘇らない」

  「緑陰に 置かれたベンチ 何人か 涼しげ休む 気持ちよさそに」

  「審査会 延々長い 時間にて 少々疲れ されど癒され」

 

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○学びて時に之を習う

 わが書斎の壁に、今年の春九州佐賀県で開かれた地域づくり大会に参加した折、分科会場となった多久市で買い求めた論語のカレンダーが吊るしています。あれ以来論語に興味があるのですが、残念ながらまだ論語を読み解く暇がないので、日めぐりカレンダー形式になっているので、折に触れ捲っていますが、そのカレンダーがやっと三巡しました。

 1ページに帰ったので今朝はその言葉を少し大きな声で輪読してみました。隣の部屋にいた妻が「何事か?」「主人は気が変になったのかもしれない」と思ったのか、覗きに来てしまいました。

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 今朝はその一番目のページを読みながら書斎で過ごしています。間もなく朝6時にお客さんが来る予定なので、それまで束の間を論語について考えてみました。

 今朝のお題は「学而時習之 不亦説呼乎」(学而第一)です。「学びて時に之を習う。亦説(よろこ)ばしからずや」と読みますが、論語には日ごろ使わないう而(しかして)・亦(また)・説(よろこ)・乎(かや)など、読み方さえも分からない漢字が沢山出てきます。パソコンで漢字を入力するには画数か偏やつくりなどで調べますが、私の場合そんなパソコン操作の基礎コースを学んだこともないので、たまたま触っていて見つけた感じなので最初は苦労しましたが、何とか探す方法を見つけて入力できるようになったのです。

 さて入力も読み方も一応分かりましたが、意味をどう読み解くのか、凡人の私には論語の深い意味は分かるはずがありません。でも何となく分かるような気がするのも論語です。学ぶという意欲を持てば人の話も読む本も、また見るものも全て学習の対象になります。そうした学びへの心の開きが意外な発見に結びついたり、その蓄積が自分の進化につながるということは、私自身が一番感じているところです。

 人間は学べば学ぶほど学びたくなるものです。その結果学ばない人と学んだ人の差はどんどん広がって行くのです。私は幸せなことに学ぼうとする意欲を持った人に囲まれて暮らしています。その人たちのレベルは高く私など足元にも及びません。山や海を含めた等高線も、気圧の高低を示す等圧線も、物が高い方から低い方へ滑り落ちたり、気圧の高低が風を吹かせるように、人間はそれとは逆に分科の低きから高きを求めて動くのです。


  「論語読む 論語知らずの くせをして ただ何となく 分かったふりする」

  「学ぶから 少しだけれど 進化する 忘れることも 多いけれども」

  「人の道 論語いっぱい ちりばめて もう少し早く 学んでいれば」

  「十有五 学志す 俺遅い やらないよりは やる方まだまし」


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○梅雨の晴れ間はありがたい

 梅雨に入ってまだ2~3日しか経っていないのに、昨日は中の晴れ間の好天気に恵まれ、人間牧場での草刈に挑戦しました。昨日草を刈った場所は石ころの多い斜面なので、今年になって変えてない替え刃を替えずにガンガンやりましたが、さすがに切れが悪くなり、工具箱を取り出し日陰へ持ち込み途中で替え刃を替えました。

 昔使っていたような二枚刃や三枚刃をグラインダーで研いで使うことは、石ころを飛ばして怪我の原因になることから、今はノコ刃のような使い捨ての刃を使うことが主流となっていますが、安いものだと2枚組で1200円程度です。1枚3000円するようなものもありますが、私は比較的安い2枚1200円のものを使っていますが、やはり値段は?をつかず安いものは直ぐに切れ味が鈍るし、茨や小枝を切ると替え刃は途端に悲鳴を上げて刃がこぼれるのです。

 仕事の都合で今年になって一度も刈っていない場所が少しありましたが、ここは硬い草が伸び放題でもう藪のようになっていて、悪戦苦闘しましたが、何とか綺麗になりました。実は昨日草刈したのは訳があるのです。今度の土曜日常磐大学の塚原正彦先生が、夕日のまちづくりの取材にやって来るのです。先生とはまちづくりで知り合い、先生の著書「ミュージアム戦略」にも「しずむ夕日が立ち止まるまち」というキャッチフレーズなどを通してかなり詳しく紹介していただいているのです。先生が中心になって設立されている「地域資源学会」にも名を連ねていて、再開を楽しみにしているのです。天気が気になるところですがせめて草ぐらいは刈っておかなければと思っていますが、早く刈った草はもうこのところの雨でまた草が延びているようです。まあ普段着を見ていただければと諦めていますが、先生の目にはどう映るでしょうか。

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(完熟した梅の実は今日梅干に漬け込みます)

 昨日草刈をしていて梅林で取り残した梅の木を見つけました。品種は大粒の梅なのですが、どうやら先日時間切れで取るのを忘れていたらしく、すでに完熟を思わせる黄色味を帯びた色になって、落果しているもの見受けられました。本当は梅の木の下に網を張って自然落下した完熟梅を収穫すれば美味しい梅干が出来るのでしょうが、そんな暇も余裕も、ましてや投資も出来ずむしろ取り忘れて完熟したことを喜びました。

 梅の収穫には布で出来た収穫袋が必要ですがそれも用意してないため、結局倉庫の米袋を用意して収穫しました。収穫には木が高くて一時間余りもかかってしまいましたが、米袋いっぱいのいい梅を20キロ近く収穫することが出来ました。


 この日の作業目的はブルーベリーの畑に百円ショップで買った支柱を立てる作業だったため、弁当を持参することもなく、結局は昼食を忘れて3時過ぎまでお茶だけで作業をしてしまい、妻に内緒で出かけたため随分厳重注意を受けました。

 昨日は梅雨で出た肱川の水潮がせめぎあいながら登って行く珍しい潮目を人間牧場から観察することが出来ました。また少しかすんでいたものの沖合いに浮かぶ青島や由利島、遠くは周防大島まで手に取るような素晴らしい眺望が開け、ウッドデッキで一人過ごす休憩は飽きもせず見とれていました。

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(珍しい潮目現象)
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(大洲市青島と山口県周防大島の遠望)
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(松山市由利島と愛媛県・広島県の島々の遠望)

  「飽きもせず 眼下広がる 海を見る 遠く近くに 島影見えて」

  「珍しい 潮目現象 他の人に 見せたいけれど あいにく一人」

  「取り残し ゆえに完熟 梅の実を 梅干用に もいで袋に」

  「麦わらの 帽子を被り 黙々と 汗拭きながら 農の作業を」


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○スランプ・トラブルで厄日の一日でした

 駄文・拙文ながら毎日パソコンを使ってブログや原稿を書いていますが、残念ながら進歩・進化の跡が見られず、子の2週間ほど少し滅入っていました。というのも人間牧場・水平線の家に置かれている高知県馬路村産魚簗瀬杉の切り株と約束をして始めた、150話の落伍ネタ本が地の書・水の書と発刊したものの、71話から90話までを集録する火の書原稿執筆の筆が中々進まないのです。地の書・水の書の編集に関わってくれた清水塾頭から催促はないものの、少し遅れ気味である心の焦りがスランプに拍車をかけているようなのです。


 私は原稿も早書きの性分で、原稿依頼が届くと余り考えもしないまま即座に書く癖があります。2000年に出版した自著本「昇る夕日でまちづくり」などは、276ページもの原稿を僅か15日間で書いたし、「今やれる青春」という本も胆のうポリープ摘出手術で10日間入院した県立中央病院のベッドの上で書き上げたのですから即書きは得意とするところなのです。ところが今回はどういう訳か僅か30話の執筆に10日間もかかってしまい、自分の能力のなさをしみじみ嘆きましたが、それでも自分に貸したノルマなので何とか仕上げることが出来ました。


 そんな原稿なので多少ならず大いに悔いが残っていますが、書き上がった原稿をプリントアウトしたものとデーター入力したDVDを、とりあえず昨日は大雨の中を清水塾頭と出会って手渡しして、編集作業に入ったのです。150話を地の書・水の書・火の書・空の書・風の書に30話ずつまとめて発刊する作業は、これで90話まで書き終え発刊の運びとなりましたが、はてさて後の60話は、今の段階でいうのも気が引けますが、考えただけでもぞっとするのです。

 私は自分の能力の低さを知っているので、安直ながら幾つもの小さな目標を掲げてそれに挑戦する悪い癖があります。毎朝3時間シーサイド公園を掃除すると決めて実践した12年間はピリオドを打ちましたが、毎日3枚のはがきを書く日課は20年以上、ブログを毎日2本ずつ書く日課も5年間、今も私の日課として続けているのです。多少無理と思える付加をかけないと成長や進化をしないと思い少しだけ頑張っているつもりですが、気力の減退や限界を少し感じるのです。


 物忘れが酷くなったのか、パソコンに入力している原稿をデーターとしてDVDに入力する作業が分からなくなり、赤石公民館主事さんと長男息子に手助けをしてもらう羽目になったり、もう散々です。昨日は日常的に使っているミニの電光掲示板まで私の心を見透かしたように、「NONE」という文字が出て、まったく使えなくなってしまい、加藤さんにメールで助け舟を出してしまいました。加えて昨日は9月に予定されている講演会のトラブルも加わり、私にとっては予期せぬ厄日となってしまいました。

  「トラブルや スランプあって しかるべき 今まで順調 過ぎたのかもね」

  「ああ俺も やっぱり歳か 思いつつ 進まぬ筆を 嘆いてみたり」

  「ポテンシャル 枯渇の不安 乗り越えて これまできたが ついに限界」

  「こんなこと 誰にでもある 出来事と 笑って済まそう 次に期待し」

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○ポレポレ共同参画セミナー

 私は仕事柄色々な人に出会い、色々な話を聞きますがますが、どうも世の中には4種類の人間が存在しているように思います。4種類とは①難しい話を難しく話す人、②難しい話を分かり易く話す人、③分かり易い話を難しく話す人、④分かり易い話を分かり易く話す人などですが、私が一番偉いなあと思う人は②の難しい話を分かり易く話す人のようです。さしずめかくいう私は浅学菲才ゆえ難しい話を難しくいうことが出来ず、④の分かり易い話を分かり易く話す人間だと自負しているのです。

 私の場合は頼まれて色々な場所で色々な話をしますが、講義は別として特に一般人に話す時は、低脳だと足元を見られようが極力分かり易く、しかも面白くをモットーにしないと、聞く側の勝手で無視されて眠られてしまうのです。私が常々心がけているのは、どんな立派で高尚な話も人が居眠りをして聞かなかったら、元の木阿弥だということです。普通講演は1時間から2時間、圧倒的に多いのは90分ですが、昨日のように少し年齢が高い人が加わるったり2時間という長丁場になると、途中で休憩を取らなければ持たないのです。

 小学生の授業は45分程度、中学生は50分程度、高校生は60分、大学生は90分が話に集中できる目安ですが、一般人はせいぜい30分が限度のようです。にもかかわらず一般人の場合圧倒的に多いのは、小学生以下の集中度なのに大学生並みの90分が多いのですから、当然主催者の目論見と参加者の期待度は最初からずれていることになるのです。それを承知で話さなければならない講師も、講師の話を聞かなければならない聴衆も、ある意味迷惑な話のようです。

 果てさて昨日は愛媛県女性総合センターの招きでエンパワーメントカレッジ・ポレポレ共同参画セミナーに出かけました。「進化しつづける夢見人(ゆめみすと)」という素敵なテーマがつけられていて、内容は「『夕日』でまちを活性化、20年間まちづくりに奔走してきた講師の新しいステージとは?、家族、夫婦関係を見直し、地域そして自分自身とともに生きる大切さを考えます」でした。人間牧場主という肩書きが用意されていたので、人間牧場構想の背景や自分の人生論を大いに話しました。

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 参加した人は殆どが女性でしたが9名ばかり男子もいる50人ほどの講座でした。受講者はアフリカのスワヒリ語(ケニア、タンザニア、ウガンダの公用語)から引用したポレポレの、「気楽に」「ゆっくり」らしく、熱心な方が多く、終始和やかな会となりました。

 これまでにも女性総合センターへは何度か足を運んでいますが、久しぶりの登壇となりました。顔見知りの所長さんや門田さんとも久しぶりに出会い、いい一日を過ごすことができました。

  「ポレポレは 気楽ゆっくり スワヒリ語 そんな人生 歩んでいます」

  「難しい 話はとても 出来ません 低脳ゆえに まるで漫才」

  「夢見人 いい別名を いただいた 夢ドリームで 終わらせないよ」

  「『お名刺を』 玄関追いかけ ねだる人 嬉し反応 喜び渡す」

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