shin-1さんの日記

○貰った2冊の本

 昨日妻が職場から2冊の本を貰って帰ってきました。「西郷隆盛日本人への警告」と「危機に立つ日本」という2冊の本です。定価1400円と1200円の本で、書店の棚に並ぶような立派な本なのです。大体本というのは自分で買うか図書館で借りて読むか、また知人友人から贈呈されるかくらいなものでしょうが、2冊合わせて2600円もの本をタダでくれる奇特な人がいるとは一体?と、疑ってみました。

 案の定この本は、間近に迫った参議院議員選挙に候補者を立てる宗教政党創始者の著書で、本に挟んだ政党のパンフレットには、今流行のマニフェスト政策が分かり易く書かれていました。この本やパンフレットを読んでこの党やこの党の候補者に清き一票を投じるほど無とはそうでもない私なのですが、本のタイトルが面白そうなので昨晩から今朝にかけて2冊の本を一気に読んでしまいました。

 人間は不思議なもので、最初から疑ってかかると、読むもの全てが著者の利益誘導を冷めた目で見てしまいます。しかし昨日今日の首相交代劇のさ中でもあったので、ある意味この国の政治の体たらくに共鳴し、時代こそ違え西郷隆盛のような人物の生き方に関心が及びました。

 今の政治は直面する選挙に勝つこと、過半数を取ることのみに終始して、国の方向とか国民のことなど二の次のような気がしてなりません。さりとて選挙で選ぶ側にしか甘んじれない私たち大多数の国民は、思ってみたところで蟻の働きにも及ばないのですから、仕方がないと諦めざるを得ないのです。

 明治維新から100年以上も経った今、何故江戸後期から明治初期に活躍した坂本龍馬や西郷隆盛の生き方が見直されるのか、これも不思議といえば不思議な話です。


 日本人は好き易で飽き易な国民です。70パーセントを越えた内閣支持率が僅か半年で20パーセントに落ち込み、救世主のようにいわれた首相が目の仇のようにいわれ退陣に追い込まれるのですから、次の首相は誰がなってもそんな末路を辿るであろうことは容易に想像できるのです。

 20人もの大臣がいるにもかかわらず、何かある度に首相が全て矢面に立たされ、国民もそれを望んでいるのですから、これはもう一人の人間が神様にならない限りその責任を負うのは不可能な話なのです。

 昔は腹を切り死んで責任を取りましたが、今は辞めれば済む話です。そしてほとぼりが冷めれば昔のことなど忘れて謳歌するのです。「政治家にだけはなりたくない」、だって平気で?が言えるのはは政治家くらいなものなのですから・・・・。


  「本二冊 同感話 書いてある はてさてこんな 国はできるか」

  「西郷を 何故に今頃 出したのか 疑問符ついて 読んで納得」

  「政治家は 平気で?を つく仕事 罰せられずに 勲章貰う」

「国民の 幸せよりも まず当選 美辞を並べて 仲間を増やす」

  

 


 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○孫たちとホタルを見ました

 昨晩松山に住んでいる娘と孫二人が泊まりにやって来ました。助産婦をしている娘は孫尚樹の出産のため産休、その後育休を2年間していましたが、孫朋樹が小学2年生になったこともあって、子育てに軸足を置くため病院を退職し、パートで周3日しかも1日5時間程度働くことになり、先週から職場復帰しているので、中々わが家へも今までのようには来れないようで、久しぶりの帰郷となりました。

 私は度々松山へ行く度に娘のマンションへ顔を覗かせて孫の顔を見ていますが、妻は働いているため孫と中々会うことができず、今日のホタル祭りに合わせて前の日から来た孫たちを見て、その成長に目を細めていました。今日は長男家族もやって来るようで賑やかな一日になりそうです。

 さて孫たちはダンボールアートが大好きで、昨日も妻がおもつあをおいている部屋に貯めておいたダンボールを居間に取り出して、楽しそうにダンボールを切ったりガムテープで張り合わせたりしながら楽しそうに二人で遊んでいました。私は昨日の夜までに仕上げなければならない締め切り間近な原稿が気に追われて、書斎で孤軍奮闘していたため、ちょっかいを出して欲しくて度々声をかけにやって来る孫たちを遠目で見ながら過ごしました。夕食も何時になく賑やかで、二人の孫の成長に妻と私は目を細めていました。

 午後8時を回った頃、ホタルを見に行く話がまとまりました。歩いて2~3分の上灘川沿いには今年もホタルが沢山飛んでいて、孫たちは体に止まったホタルを見ながら興奮気味に観察していました。

若松進一ブログ

 朋樹はいつの間にか玄関先に置いていた虫かごを持って歩いていて、虫かごの中に蓬の葉っぱを入れ、ホタルを3匹手ですくって入れました。おばあちゃんとお母さんに見せるのだと言うのです。見せたら元の場所に返しに来る約束で虫かごの中に入れ家に帰り、電気を消してみんなでホタルの観察会をしました。朋樹は図鑑でホタルのことを読んでよく知っていて、雄と雌の見分け方などについて知ったかぶりの講釈をたれていました。

 私は子どもを風呂に入れる前ホタルを元の場所に返しに行き、ホタルを草むらに放しておきました。家に帰ると庭に4~5匹ホタルが飛んでいて、家族みんなが外に出て見学しました。

 「男どおし」「男は泣かない」などの約束事を作っている孫二人と一緒に風呂に入り、「おじいちゃんと寝る」と私の布団に潜り込んでくれた尚樹と楽しい創作イソップ物語を話してやりながら夢の世界に入ってゆきました。


  「孫二人 連れて近くの 川沿いを ホタル鑑賞 綺麗綺麗と」

  「ホタル何故 こんなに光る 孫が聞く 爺は博学 ちゃんと教える」

  「嬉しいね 今年もわが家 ホタル飛ぶ 勿体ないと 孫を招待」

  「虫かごの ホタルすくって 草むらへ 今夜の寝床 ここいら辺で」

  「

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○梅酒作りに挑戦

 わが家ではワカメやヒジキといった海産物も、蕗や梅といった農産物も基本的には収穫してきたら自分が中心になってその処理をしなければならないので、採集や収穫はいつも二の足を踏むのです。それでも海産物にしろ農産物にしろ採集や収穫には適期というのがあって、特に青梅は収穫期を外すと落果したり熟し過ぎたりするものですから、仕方なく自分ひとりで収穫し、妻の手助けを得て収穫した青梅を、梅干と梅酒に加工することにしました。

 昨日は梅干、今日は梅酒作りに挑戦しました。梅酒といってもわが家では酒を飲む人間がいないので、ホワイトリカーや焼酎を使わず、梅と砂糖だけのいわゆる梅ジュースなのです。まず今年も8リットルの広口ビンをホームセンターで7本購入しました。最近は需要が多いのか金額的にも千円を割って買い求めやすくなりました。

 買い求めた広口ビンに加え昨年漬け込んで熟成していた同じ型の広口ビンから梅酒を洗った一升瓶に移し4本用意し、合計11本のビンとなりました。

若松進一ブログ

 さて青梅3キロに対して砂糖を同量の3キロ入れるのですが、本当は氷砂糖を使えばいいことは分かっていても、氷砂糖が少々値が張るので、わが家では白砂糖を使います。教えてもらった砂糖の量3キロだと甘過ぎるので砂糖は2,5キロに減らしています。

 何せ11本だと梅の量も33キロ、砂糖も27.5キロと半端な量ではないし、洗った梅のなり口ヘタを爪楊枝を使って丁寧に取ることなどできませんので、水洗いをして日陰で干して水切りをすればOKと、まあざっとしたものです。毎年のことなのでアウトドアー感覚が身についてしまったようです。

若松進一ブログ

 広口ビンに砂糖と青梅をゆすりながら交互に入れ、最後はカビ防止のため少しホワイトリカーを振りかけ蓋を閉めて出来上がりです。それでも11本もお醸造作業に半日も要してしまいました。出来上がったものを昔鯉を飼う池だった場所を改造して地下室にしている場所まで運んで収納しました。冷暗所となっているこの場所は気温も殆ど一定なので、これから一年をかけてじっくり熟成して美味しい梅酒が出来上がるのです。


  「青梅と 砂糖一緒に 広口へ 入れて梅酒を 作る楽しみ」

  「半年も すれば地下室 熟成し 梅のジュースを 皆に振舞う」

  「自分では 飲まない梅酒 何故作る 人の喜ぶ 顔を見たくて」

  「ああやっと 梅雨前仕事 一つ終え たまねぎ収穫 追いかけてくる」 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○梅干作り

 今年の人間牧場梅園の梅の収穫はさして広くもなく、さして多い量でもないのに予定が入っていて、結局は3日がかりの収穫になってしまいました。梅の木を下から見て今年はなりが薄いと予想して、20キロ入りのキャリーを三つ持って収穫に行きました。一日目は昼間で草を刈り午後から収穫をしてキャリーに2つ40キロを収穫しました。二日目は朝から収穫するも昼ごろにわか雨が降って途中で少し雨宿りをしましたが、少し雨に濡れながらも午後5時まで作業を続けてキャリー4つ60キロを収穫、二日間で大幅に予想を上回る100キロの梅を収穫したのです。巷では、特に埋めの産地和歌山では春先の寒暖の差の激しい冷害で収穫量が大幅に減ったと報じられています。今年の梅の実は多少小ぶりな感じもしますがまあ例年並み程度の収穫でホッとしています。

若松進一ブログ

 さて一口に100キロといいますがその量は半端ではありません。その梅を梅干と梅酒にする作業を、午前午後の出張や人間牧場への来客をこなした後夕方から一人で始めました。夕方になると仕事から帰った妻も加わり大騒動の夕方となりました。

 梅の実の中から葉っぱやゴミを拾い出し、水槽桶の中に入れて水洗いするのです。水の上に浮いたゴミをさらに拾い出したり水洗いした物を竹のザルに移してしっかりと水切りをしました。倉庫にしまっている桶は昨日から洗って用意をしておいたので、そこへ漬物用のナイロン袋を入れ梅と塩を交互に入れて行くのです。

 今年は少し塩にこだわってみようと岩塩を使いました。脱衣場からヘルスメーターを持ち出し、金網ボールで4キロずつ量り塩を振りながらひとつの樽に20キロ、2つの樽で40キロを15パーセントの塩で漬け込みました。本当は10パーセントの減塩梅にしたいのですが、何年か前妻のいうことも聞かず挑戦して全てカビだらけにして大失敗した経緯があるので、最近は15パーセントを守っています。

若松進一ブログ

 塩処理をしたところで今度はカビを防ぐために表面にホワイトリカーを少し振りかけます。こうすることでカビる事を防ぐのです。わが家にとって40キロの梅干はとても一年で食べきれるものではありませんが、親類には猟師さんがいて毎日沖へ出る時弁当に梅干が欠かせないので、梅干になったものを何瓶かに小分けして、お魚をいただいた御礼に差し上げ喜ばれているのです。また梅干は鯖やイワシといった魚の料理や蕗の佃煮などに料理用としても便利重宝に使うので、多すぎることはないのです。

 今年もとりあえず40キロの梅干を漬け込みました。間もなく始まる梅雨の季節に樽の中で熟成させた梅は熱い暑い夏になると3日3晩の土用干しを経て真っ赤な紫蘇と梅酢で漬け込まれ半年後に梅干になるのです。

 人間牧場にかまど小屋ができた最近は、かまどで炊いたご飯と味噌汁、それに漬物とともに梅干が4点セットで食べられる機会が多くなって、俄然利用価値が高くなって、私の腕まくりも思わず力が入るのです。

  「減塩と 言いつつ梅を 食べる日々 時々かまど ご飯に添えて」

  「梅干も すっかり手馴れ 自家製で 安全加工 妻と二人で」

  「この時期が 来るとお袋 思い出す 青梅かじり 怒られたこと」

  「クエン酸 食えないのかと 思いきや 体にいいと 聞きて駄洒落に」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○町は生き残れるか

 宇和島市・西予市・八幡浜市・大洲市・伊予市・松山市・東温市・今治市・西条市・新居浜市・四国中央市と平成の大合併で市と名のつく街は11になりました。ところが町は大幅に減って愛南町・松野町・鬼北町・内子町・伊方町・松前町・久万高原町・上島町の9つに激減し残念ながら村はなくなりました。

 かつて県内の町村が加盟して組織力を誇っていた愛媛県町村会も、合併による町村の現象で存続の危機にさらされていましたが、組織をスリム化して生き延びようとしているのです。

 毎年この時期になると町村会では、人事異動の終わったこの時期を選び、職員のレベルアップとスキルアップを目的として県立中央青年の家で研修を行っていて、私も講師の一人として「地域づくり」に関する講話を担当しています。

 昨日は係長研修があって出かけて行きました。かつてのように研修室いっぱいの参加者ではなく僅か13人のこじんまりした研修会でしたが、一時間50分の講義中は午後1時から2時50分までの時間帯にもかかわらず眠る人もなく、皆さん熱心に話を聞いてくれました。


 世の中の不況で給料も思ったほど上がらず、仕事はパソコン時代で多忙多岐、加えて昨日は鳩山首相が辞任するというショッキングな政治的閉塞感の漂うこの時期に、これ以上レベルとスキルをアップせよと言われても中々真剣になれないと思うのですが、世の中は何時の時代もこうした難解な問題があるもので、その都度難局を乗り切って今日まで来ているのですから、その気になってやれば地域は活性化するものだと力説しました。

 昔を持ち出して見習えという気はさらさらありませんが、最近の職員を見ていると時代背景こそ違え、余りやる気が感じられないことも事実のようです。

 このままだと自治体の基本である集落は存続集落から準限界集落へ、準限界集落から限界集落へ、限界集落から消滅集落へ確実に移行するのですから、まさに自治体存亡の危機だと思わねばなりません。残念ながらその妙案は未だ見つかっていませんが、せめて役場職員はそのことに危機感を持ち、新しい時代に対応した政策を打ち出して町を救わねばならないのです。

 はてさて私の話をヒントに、そんな気概を持ったやる気の職員が現れるかどうか、小さな期待を持ちながら会場を後にしました。


  「このままじゃ 自然消滅 待つのみか やる気創造 スキルアップを」

  「やる気さえ あれば町など 直ぐ起きる 一人の馬鹿と 十人気違い」

  「総理さえ 辞めたくなるよな 世の中を はてさて誰が 救世するか」

  「気がつけば 縁もゆかりも ないはずの 私が腕を 捲くることじゃない」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○伊能忠敬は伊予灘の夕日を見たかも知れない

 伊能忠敬といえば江戸時代に日本中を歩き回って測量し、日本地図を完成させた人として学校で習いましたが、名前は知っているもののその業績がいかに凄いかは知ることもなく、またどんな生い立ちをしたのかも知りませんでした。友人門田眞一さんなどのご苦労で、今年8月5日から8月8日まで伊予市しおさい公園市民体育館で開催が決まっている伊能図公開を前に一昨日、愛媛県歴史文化博物館安永純子学芸員をお招きして、「双海地域における伊能測量について」「長浜~双海を中心として~」という講演会が行われました。私が所属している双海史談会設立5周年を記念して開かれたもので、気がつけば年輪塾の双海町メンバー全員が顔を揃えるなど、嬉しい学習会となりました。

若松進一ブログ

 伊能図ができるまでを、①中世・戦国時代の日本図のかたち、②世界とつながる日本、③参勤交代と地方文化の向上などについて分かりやすく解説、伊能忠敬の人物像を、①少年時代ー学問を父や寺子屋から学ぶー、②青年・中年時代ー夢を持ち続けるー、③壮年時代ー夢の実現へー、世界の先進国へ挑むー高橋至時と伊能忠敬の生涯をかけた夢ー、そして最後は伊能忠敬と伊予測量ー伊能忠敬著「測量日記」と柴山伝左衛門著伊能測量隊員旅中日記を中心としてー、①伊能測量とは、②伊予を訪れた伊能忠敬隊のメンバー、③伊予の地図史、④伊能忠敬を待ち望んだ伊予の測量家、⑤伊能測量を支えた文化人のネットワーク、⑥伊予の人々の協力、⑦想像を超えた官民一体の大事業についてを、スライドと資料でかなり詳しく話してもらいました。

 伊能忠敬の人物像も、伊能忠敬の伊予測量も興味のある話で、特に49歳で隠居してから77歳で病没するまで、ひたすら日本中を歩き続け自分の夢を実現した話にはただただ驚かされるばかりでした。

 

 伊能忠敬測量日記という古文書には長浜から双海に至る地名や関わった人々の名前が沢山出てきて興味を惹かれました。双海町の記述の中ではなく、松山藩での記述の中に、「松山馳走舟青雀丸ニ乗テ出船の所、大潮ゆえ引汐ニ通引隙取、日西ニ落、依之小船ニ乗取、急テ瀬七ツ半頃三津町江着」という記述を見つけました。日没の状況を詳しくは書いていませんが「日西ニ落」ですから、伊能忠敬は伊予灘に落ちる夕日を確かに見ているかも知れないのです。

 夕日にいささかなりの思い入れを持っている私としては、こんなに嬉しいことはないのです。また家の前の借景として朝な夕な見ている双海町のシンボル本尊山も同行の絵師青木勝次郎によって描かれたであろう絵もスライドで見せてもらいました。

若松進一ブログ

 日ごろは歴史などに殆ど目もくれずに日々を過ごしている私ですが、教育長時代の最後の仕事として中尾さんや米湊さん、松本さんや大森さんなどとともに改訂版双海町誌編纂にかかわり、その後も双海史談会のメンバーの一員に加わって二月に一度の例会に参加していますが、お陰様でいい学習ができていて嬉しい限りです。

 8月には私が会長をしている子ども教室の学習で伊能図フロア展を見る計画が赤石さんの方で計画されているようで、今から楽しみです。

 伊能忠敬の隠居後の生き様は私たち日本人に夢を持って生きることの大切さを教えています。私の夢など他愛のないものですが、せめて小さな夢でも一生涯持ち続けて生きてゆきたいと思いました。


  「古文書に 伊能忠敬 夕日見た かも知れないと 線引きなぞる」

  「朝夕な 毎日見てる 本尊山 絵師は筆にて ちゃんと記録す」

  「世の中にゃ がいな生き方 した人が いるもんだなと しみじみ思う」

  「俺にでも 伊能鼻くそ くらいなら 夢持ち続け 生きられるかも」

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○しまなみツーリズムでお話をさせてもらいました

 「若松さんお元気そうでご活躍ですね。新聞を読んで懐かしくなり電話しました。」と知人から電話が入りました。またある人からは「新聞であなたの名前を見つけました。近況を一筆・・・・。」とはがきまでいただきました。一昨日の愛媛新聞に私の講演した様子と講演内容まとめが本のさわりだけ出ていたのを目敏く見つけての嬉しい対応でした。

若松進一ブログ
若松進一ブログ

 新聞に書かれた講演会は今治市伯方島伯方支所で開かれたしまなみグルーンツーリズムの総会での講演でした。総会には懐かしい知人友人も数多く出席していて、久しぶりに旧交を温めることができました。しまなみ沿線のツーリズムも次第に充実して、今ではすっかり定着しているようで嬉しい限りです。

 わが双海町も翠小学校をシンボルに、様々なメニューが用意されグリーンツーリズムが行われていますが、松山に近いという地の利は生かせても、逆に民宿などの宿泊対応ができないうらみもあって、もう一歩物足りなさを感じていますが、そのうち妙案が考えられることでしょう。


 地元新聞の威力は大したもので、町内の人からも何人かから、「お元気でご活躍ですね。新聞見ましたよ。」とか、「相変わらずお忙しそうですね。」と、町内を歩けば何人もから声をかけていただきました。65歳になってそろそろ限界と思っているのに、予定表には講演の依頼がかなりの頻度で書き込まれ、いながらにして小さな旅を続けているのです。

 今日は愛媛県立中央青年の家へ出かけて、相変わらずのおしゃべりをする予定です。人に会うのは私流のリフレッシュ、人の前でお話しするのは私流の進化なので、今日もいい一日になりそうです。


  「今日もまた 木になるカバン 提げて行く まるで寅さん 気の向くままに」

  「新聞に 載って赤面 恥ずかしや 言った言葉が 一人歩きす」

  「新聞の 切り抜きスキャン する技術 マスターしたので セピアにならず」

  「ブログ書く 目的記録 忘れ止め 昨日のことも 忘れる歳に」


[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○海猿はまるで山猿みたいに木の上で生活

 この二日間、人間牧場の梅林で梅の収穫をしました。例年のことながら梅の収穫は楽しみの一つに違いのない年中作業なのですが、中々骨が折れるのです。というのも「桜切る馬鹿梅切らん馬鹿」と言われるように、梅は剪定しないと実をつけないそうなのに、わが家の梅の木はこれまで殆ど剪定をしたことがなく、いわば自然仕立て状態なのです。しかも施肥も消毒もしないとあっては、枯れるに任せる運命にあるのでしょうが、どうしてどうしてこれが元気で、心配はするもののこれが多少の豊作不作はあるものの、マメに実をつけてくれるのです。

若松進一ブログ

 例年5月の終わりから6月の始めに収穫することが恒例になっていて、今年は多少春先の寒さを考慮してこの二日間収穫をしました。天気予報は「晴れ時々曇り、処によって雨」と、晴れ・曇り・雨のどれを信じてよいか分からないようでしたが、天気予報は良く当たるもので、朝は晴天、昼頃は曇り、昼過ぎにわか雨があり、多少濡れたり雨宿りをしたりしながら梅の収穫に挑みました。

 梅の収穫て一番困るのは梅ノ木が棘で覆われているということです。まるで棘の中へ入っていくようで、少し厚手の作業着を着ているにもかかわらず体中棘が刺さったり引っかいたりで、生傷だらけになりました。その度に「今年こそは剪定をするぞ」と頚椎するのですが、剪定によって梅の木が枯れたり収穫ができなくなってはと、今年も多分躊躇するだろうと予測しながら分け入りました。

 今年は梅の実の収穫の小道具を用意しました。カギみざわというフック付きの棒と、S字型の針金棒を用意しました。地上から高いところはカギみざわで、木の上では針金棒を器用に使い分けて収穫作業を行いました。しかし老いの身にはまるで猿のようにこの二日間、収穫袋を型にぶら下げて木の上で作業するため、ほとほと疲れました。

 木登りは少年の頃から得意で、楽しみの一つだったのは過去のことです。地下足袋の出で立ちで木の枝から枝へ渡り歩きまるで猿みたいな行動を余儀なくされるのです。作業の途中にズボンのポケットに入れている携帯電話が何度も鳴って、その都度木の上で電話交信しました。

 昨日は夜7時から双海史談会の講演会が予定されているので、残った実を収穫せず午後5時で作業を打ち切り山を下りました。


  「この二日 山猿のよう 木の上で 梅の収穫 ほとほと疲れ」

  「梅切らぬ 馬鹿の仕打ちで 藪の中 それでも木々は 梅の実たわわ」

  「体中 引っかき傷や 刺され傷 妻は薬を 塗って慰労す」

  「今年こそ 剪定するぞと 意気込むが はてさて作業 いつになるやら」


[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○北海道からホタテ貝が届きました

 二日前北海道サロマ湖の井田貴子さんからホタテ貝が沢山届きました。井田さんとは船木耕二さんを通じて北海道へ講演に行った時に知り合いました。サロマ湖でホタテ貝の養殖をしている漁師さんの奥さんですが、昨年北海道へ行った折、養殖場までお邪魔しご主人とも出会っているので、ホタテ貝がどんな状況で育てられているのか目に浮かぶので、届いたらサロマ湖の話をしながら料理をして食べるのです。


 今回送られてきたのは幼貝に分類される小ぶりな貝ですが、貝殻が小さいのに料理をすると貝柱が大きく、ホタテ貝に縁のない地域に住んでいるものにとっては飛び切り美味しいご馳走なのです。

 妻はホタテ貝を酒蒸しにしてくれました。フライパンに水洗いした貝を入れて料理酒をかけ、蓋をして熱すると貝が蓋を開ける、ただそれだけの簡単料理ですがこれがまた美味しいのなんのって、残念ながら酒を止めている私には酒のつまみに最高だと思ったりしながら、喉がゴクリと鳴るのです。わが家にはこのように全国の知人友人仲間から珍しいものが沢山届きます。

 そのため昨日も、まだ木になっている今どき珍しい甘夏みかんを収穫して5箱ほど宅配便で送ってあげました。わが家の甘夏みかんは無農薬のため皮を使ってマーマレードが作れるのです。わが家では妻が毎年自家用にマーマレードを作っていますが、パンに塗って食べると美味しく、またこれをお湯に溶かして飲むと美味しいのです。

 年金暮らしになったから特別そう思うのかもしれませんが、安心安全の生活防衛は少し手間暇かければいくらでもできるのです。

 しかし時には大失敗もあります。人間牧場の蕗畑から蕗を採ってきて皮を剥き、佃煮風に保存食を作る作業を妻は前日から始めていました。完成間近なので少し種火で水分を飛ばす作業をテレビを見ながらしていましたが、何やら焦げ臭いのです。テレビに夢中になって火に掛けた付記の事をすっかり忘れていたらしく、大失敗となりました。台所には今でも少し吹きのこげた匂いが残っているようですが、これもお愛嬌だと妻は自分の失敗を棚に上げて笑っていました。


  「北国の 友より届く ホタテ貝 想像しつつ 酒蒸し食べる」

  「この匂い あっしもうたと 席を立つ 後の祭りと 笑って済ませ」

  「年金の 暮らし余儀なく される日々 人間らしく なったようだと」

  「気がつけば 夫婦二人の 家の中 顔つきあわせ あれやこれやと」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○役目を終わった運動靴

 私たちは毎日、衣食住の暮らしを何気なく過ごしていますが、一つ一つに心を配ると大変な役割を果たしているものが沢山あることに気付きます。例えば靴ですが、私は概ね革靴、カジュアル布靴、運動靴、作業用長靴、作業用地下足袋の5種類を目的に合わせ使い分けているのです。病気で痩せたため高々56キロの体重ですが、靴はその全てを支えるため文句の一つも言わず毎日毎日働いているのですから、感謝しなければなりません。

 貧乏な時代に育った私にとって靴は子どもの頃から貴重品でした。ゆえに破れない限り新しい靴を買ってもらうことはなく、殆ど一足の靴をまるで仇のように履いていたのです。しかし大人になって自分のお金で靴が買えるようになるとわがままになって、少し流行に遅れたり人が格好いい靴を履いていると自分も欲しくなり、また少し汚れが目立ち始めると、それまでのことを一切忘れて捨てたりしているのです。

若松進一ブログ
(長年は履き馴れた運動靴)

 昨日、この5年間慣れ親しんだ運動靴が破けてその役目を終わりました。1ヶ月前から靴底に違和感があり、ゴムの継ぎ手が開いていることに気がつきました。それでもボンドをつけて接着して履いていました。妻は「運動靴をボンドで修理して使うなんて聞いたことがない。あなたは余程貧乏性なのね」と笑われましたが、それでもこの1ヶ月間運動靴は悲鳴を上げながら私の体重を支え続けてくれたのです。

 昨日はその運動靴を最後だからと履いて人間牧場へ行きました。あいにく地下足袋を忘れてしまったため、運動靴のままで作業をしました。昨日は草刈と梅の収穫で一日中急がしく働きました。午後5時を過ぎそろそろ帰ろうと足元を見ると、ゴムが大きく口を開いてまさに一巻の終わりのようでした。

 妻に見せるとそのひょうきんな格好に思わず大笑い、まるでチャップリンの喜劇の様な格好となりました。

若松進一ブログ
(靴底が捲れて使用不能になった運動靴)

 数日前から妻は私のために新品の運動靴を玄関先に用意してくれています。昨晩夕食を終えて散歩に行く時その靴を履いて出かけました。私は左足が外反母趾になっています。足の親指が内側に向いているのです。いつの頃からか分かりませんが、そのためどの靴も極力つま先が広いものを選んでいます。今回の新品の運動靴はまだ足に馴染まないため、多少違和感がるのです。そのうち靴が足に馴染んでくるものと思われますが、破れた靴のようにしっくり行かず歩くことが多少億劫です。

 さて破れた靴は可愛そうですが昨日で使用停止となり次回のゴミ出しの日に廃棄する予定です。長年私のために働き続けた靴に感謝の気持ちを込めて「ありがとう」と言いました。


  「不平など 一切言わず 五年間 歩き続けた 靴よさよなら」

  「使い切る これも大事な 暮らし方 ケチではなくて 質素倹約」

  「新しい 靴は違和感 そのうちに 馴れるだろうが 少し日なちが」

  「さようなら 心のそこから ありがとう ゴミなる靴に 言葉をかける」 

[ この記事をシェアする ]