shin-1さんの日記

○オホーツク海のホタテ貝が届きました

 サロマに住む友人の井田さんから沢山のホタテ貝が届きました。井田さんはホタテ貝の養殖を営む漁師さんですが、私が寒気団の船木さんの紹介で北海道へ講演に行った折、井田さんとひょんなことから知り合い、わが家のミカンと井田さんのホタテ貝の物々交換が始まりました。ミカンの採れない北海道から見れば、四国で珍しくないミカンも希少価値だそうです。一方四国の私たちはホタテなど獲れないのでこれまた希少価値があって、送られてきた発泡スチロールの箱の蓋を開けた途端、私と妻の言葉は「うわー」という驚きの声でした。

若松進一ブログ

 井田さんから「ホタテの稚貝を送るから食べて」と電話で連絡があったのは一昨日でした。そんな予告電話があったものですから、昨日は夕方まで宅配便の来るのを、今か今かと妻と二人で待っていました。夕方5時頃玄関のチャイムが鳴ったので、てっきり宅配便だと思い込んで玄関先に出ると、牛乳代の集金に来たおじさんでがっかりしました。おっつけ玄関先に車が止まりチャイムが鳴ったので、今度は妻が出ました。「お父さん、井田さんからホタテが届いたよ」というので台所へ行ってみると、発泡スチロールいっぱいのホタテの稚貝が入っていました。妻は早速近所や友人におすそ分けの準備をしていました。松山に住む娘や息子の家にも、夕食の準備もそこそこにしてこれから持っていくのだというのです。

 丁度夕食の準備中だったので、ホタテを水洗いしてフライパンで酒蒸し料理をしてくれました。昨年行ったオホーツクの海に思いを馳せながら、磯の香りを楽しみ早速ご相伴に預かりましたが、やはり本場の味は美味しく、ぺロリ10個も妻と二人でつまみ食いをしてしまいました。親父の料理にもホタテを一品加え、北海道の友人から届いたことを話してやりました。

 このホタテは稚貝で養殖の前の段階のようですが、貝は小さいのに実は大きく食べ応え十分です。昨年も同じような時期に同じ量が届いたので、今年は料理のバリエーションも広がって、今夜はホタテを入れたシーフードカレーなるものを妻は考えているようです。

 夕方友人の清水さんが、年輪塾の総括のためにやって来ました。酒蒸ししたホタテを食べながらお茶をすすり、書斎で一時間余り話し込みましたが、清水さんにも少しおすそ分けのサービスをしました。

 早速お返しにいつものことながら甘夏みかんを送りたいと思っています。


  「オホーツク 海で育った ホタテ貝 生きた姿で 遠い旅路を」

  「早速に 海の幸なる ホタテ貝 近所配りて 喜ばれたる」

  「北南 それぞれ海山 幸送り 元気確かめ 味を楽しむ」

  「北の海 やっと春来る 便りにて 四国間もなく 初夏の陽気に」

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shin-1さんの日記

○更なる奮起を願っています

 斜陽化する産業といえば大変失礼な話ですが、建設業界を思い浮かべます。私の町にも私が役場に勤めていた頃の全盛時代には、10指に余る中小の建設業者がしのぎを削って、公共工事を中心に頑張って仕事をしていました。私と同じような年代の若い社長は、33ナンバーの新車を乗り回し、週末はゴルフ三昧、時には韓国済州島へゴルフ旅行に出かけたり、年度末が終わると従業員を引き連れて旅行にも出かけていました。建設御殿といわれるような立派な家に住み、社長婦人もそれなりの身なりをしていました。夜はカラオケや松山の飲み屋に繰り出し、選挙の度に政治家の応援をしていました。全ての人ではありませんが、このように羽振りもよくって、安月給の私などは何処かみすぼらしい感じもしていました。

 ところがバブルがはじけ、その後は公共工事が激減、経営が成り立たなくなって一軒二軒と倒産や夜逃げなどでその姿を消して行きました。堅実と見られた残った会社も方向転換できないまま、今もかなり厳しい経営を強いられているようです。

 建設や土木業界が地域にもたらした経済効果は、今日まで莫大なものがありました。さして働く場所のない私たちの地域では、農閑期や漁閑期など日稼ぎ労働にはぴったりだったため、出稼ぎに出なくてもよい土方作業は、経済の循環によって大きな恩恵をもたらしてくれたのです。残念ながらその仕事もなくなり、今はシルバー人材センターなどの仲介する仕事で、細々と農作業以外の恩恵を受けているのです。


若松進一ブログ

 昨日は大洲の建設業協会女性部の総会があり、依頼を受けてお話に出かけました。ご多聞に漏れず建設業協会も厳しいようですが、皆さんは厳しさゆえに熱心で、「新しい発想で生きる」と題して90分お話をさせてもらいました。中には顔見知りの人や、事前にお葉書きまでいただいた人もいて、不景気風を吹き飛ばすような私の面白い話に、笑顔で対応していただきました。多分この集会に参加した人たちは会社やご主人の深い悩みの防波堤になっていることを思うと、その内助の功に心からなる大きな拍手を送りたいと思うのです。

 物は考えようで、このところの不景気で業界の整理も自然淘汰的に進み、やる気のある人たちが残っています。また耐震などの基準が厳しくなって、古いものは立替を余儀なくされています。昔のような繁栄はないにしても、そこそこ頑張ればこの難局を乗り切ることができるのです。美しい日本を創るため建設業界に頑張ってもらいたいと思います。


  「派ぶりよい 時代もあった あの頃は 今では斜陽 巡りめぐって」

  「いつの世も いいことばかり 続かない しかし悪いも 続かないから」

  「ブルドーザー そこのけばかり 動いたが 今は静かな 田舎に戻り」

  「思い出す 日本列島 改造論 田中角栄 いずこにおわす」

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