shin-1さんの日記

〇雑草は元気ですね

 肌寒いといっても外の気温が上がってくると、日々の暮らしは過ごし易いのですが、厄介なのは庭の草が伸び始ることです。植えもしないのにそこここやたらと芽を出し、ほおって置くとあっという間に草だらけになって見苦しいのです。祖母が元気な頃は祖母が、今は何とか元気な親父が草引きをしてくれていますが、家の敷地が再演も含めると660坪もあるので、今の親父の処理体力では限界があるのです。そのため私も折にふれ雑草引きをしていますが、まあそのスピードの速さには着いて行けない速さなのです。

 昨日は半日をかけて入り口近くの庭の草削りをしました。わが家に入ってすぐ横の庭木の植わった庭なので、目に付くからと、妻も親父も都度都度やっていますが、やはり手に負えないようで私の出番となりました。この庭は多分年末に草引きをしてから手入れをしていないので、草削り専用の鍬で削ると、一輪車2台分もの雑草を採ることができました。草を削り進むと、春になったことを感じた緑色のカエルが数匹ピョンピョンとユーモラスに飛び跳ね、何ともほほえましくも長閑な光景です。

若松進一ブログ

(ひょっこり顔を出しユーモラスに飛び跳ねる緑のカエル)

 昨日は北寄りの風がふいて肌寒い一日でしたが、天気はよく直射日光の当たる場所では帽子を被らないと暑く感じるほどでした。人間牧場での草刈は麦藁帽子に地下足袋のいでたちですが、自宅では野球帽に長靴のため、少し日に焼けたようでした。

 草を引きすっかり綺麗になった庭を眺めながら、はてさてこれからこの庭の剪定作業も含めた手入れが老いを迎える私へと変わりつつあることを実感しました。歳をとっての庭いじりが大変だから、庭のないマンションに住むという人の気持ちも分かるような気がするのです。

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(すっかり綺麗になった庭先)

 最近は雑草除去のため草枯らし剤を散布する人も増えているようですが、人間牧場も家庭菜園も庭も含めて、環境によくないという草枯らし剤を散布することだけはできるだけするまいと心に誓っているのです。今の農家は草枯らし剤は体や環境によくないと分かっていても、人手不足を補うためやむなく使っているようですが、あの元気な草が枯れるほどのダメージゆえ、人体によいはずはないと思い、今年も草との格闘を楽しみたいと思っているのです。

 とっくに使用期限の過ぎた草刈機を今年はお金を蓄えて何としても購入したいと思っていますが、使えるうちは多少不自由でも使ってやろうと、「勿体ない精神」が頭を持ち上げている今日この頃です。


  「植えもせず 頼みもしない 雑草は 伸びるは伸びる あっという間に」

  「祖母親父 代々受け継ぐ 草取りも いよいよ俺の 出番近づく」

  「草枯らし 散布はしない 心決め ゆえに雑草 わが物顔で」

  「草取った 庭の風流 見事なり 自画自賛して 眺め楽しむ」

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shin-1さんの日記

〇リユースすることになった二つの鍋

 不用物を回収・再生し再資源化・再利用することを【recycle】、手を加えて改良し作り直すことを【reform】、再使用することを【reuse】といい、これらを3Rといっていますが、資源の少ないわが国では3R運動を行っているものの、相変わらずの消費大国で、月に一度の不燃物回収の日などは、「こんなもの何で捨てるの?」と目を疑うようなものが出されているのです。行政もそのことを知っていて、リサイクルセンターなどを作って対応していますが、一度消費癖のついた国民を元に戻すのは容易なことではないようです。リサイクル、リフォーム、リユースという言葉は、研修会などでしばしば聞き、とくにリサイクルという言葉などはもう日本語化しているほど、私たちの暮らしの中で使われているのです。

 先日長浜へ行った帰り、道端軒先に沢山の道具類が出されていました。全て埃を被り明らかに不燃物回収に出される運命にあるようなものばかりなのです。鍋・釜・鎌・鋸・鍬などなど、かつてはこの家の日々の暮らしに重要な役割を果たしてきたであろう道具類ですが、鍋も釜もかまどがあった時代のもの、鎌・鋸・鍬などは野良仕事に使ったもので、既にそんな暮らしが殆ど存在していないのです。

 郷愁に駆られた訳でもなく、勿体ないと思った訳でもないのに、鍋と釜を見て「人間牧場のかまど小屋で使えそう」と思い、家の中に声をかけました。中から80歳がらみの顔見知りのおばさんがごぞごぞでて来ました。聞けば全ていらないものなので、「欲しければ全部あげる」ということでした。そうはいっても要らない物までいただく訳にもいかず、鍋2つとはがま1つ、それに餅つき用の杵の頭だけをいただいて帰りました。

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 早速全てを車から降ろして水場に運び、亀の甲タワシでゴシゴシこすりながら水洗いをしました。全て古びてはいますがまだまだ使用可能なようです。傍で見ていた妻は「そんな汚いものを何にするの」と怪訝そうでしたが、私の構想を話すと納得した様子でした。

 先日製材業を営む従兄弟にお願いして板切れを貰ってきていたので、親父に訳を話して鍋の蓋を2つ造ってもらうよう頼みました。昨日の午後親父は早速鍋の蓋造りをしてくれました。二枚の杉板をボンドで一枚に引っ付け、カンナをかけて鍋の大きさを測って円を描き、鋸で切って円形にしました。いびつな所をカンナをかけて修正し、取っ手をつけて見事な鍋の蓋が2時間余りで完成しました。

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 ひとつの鍋は吊鉤がなかったので、親父は自分の工房にあるステンレス製の棒を取り出して何やら曲げては伸ばししていましたが、ご覧の通り見事な吊鉤も再現してくれたのです。いやはや91歳の年齢とは思えない出来栄えに尊敬の念が湧いてきました。

 「捨てればゴミ、「使えば資源」なんて言葉もよく耳にしますが、私はこの鍋を人間牧場のかまど小屋で様々な料理に使おうと思っています。さしあたり手ごろな大きさなので味噌汁を作る道具として使いたいと思っています。と同時にやって来た皆さんに味噌汁を食べながら不用になった鍋に命を吹き込んでリユースしたことを話そうと思っています。これも立派な環境教育なのです。小さな鍋だけど人間牧場で第二の人生を送ることになったこの鍋はこれからもう一踏ん張り働いてもらう予定です。


  「捨てるから 要らないあげる 頂いた 二つの鍋に 親父蓋つけ」

  「鍋に言う もう一働き してくれと 鍋も納得 化粧し変えて」

  「この鍋は リユースですよ 言いながら 味噌汁食べる 顔が浮かびて」

  「気がつけば 勿体ないと 言う世代 いない時代に なってしまって」

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