shin-1さんの日記

○天道(天理)と人道

 日ごろ何気なく使っている日本語も、その意味を説明せよと言われたら、はて何人の人がその意味を明確に説明できるでしょうか。その意味さえも分からず使っている私などのような凡人は、はてさて困ってしまうのです。昨日小さな集会の卓話で、理論と論理についてお話ししました。すると忘年会を兼ねた飲み会でそのことが話題となり、理論とは何ぞや、論理とは何ぞやとホットな議論が交わされました。何気なく話したつもりの卓話でも、こうして聞いているのですから軽はずみな話はできないと思いました。ましてや最近はやたらと横文字が登場して、この歳になると「それも分からないのか」と言われそうなので、分かったふりをしてうなずきながらやり過ごし、家に帰ってから広辞苑を引いたりインターネットで調べたりしながら反芻して覚えて事なきを得ているのです。

 さて広辞苑によると理論とは「ここの事実や認識を統一的に説明することのできる普遍性を持つ体系的知識」「実践を無視した純粋な知識」と書かれています。一方論理とは「思考の形式、法則、または法則的なつながり」「実際に行われている仕方、論証の筋道」と書いてあり、読めば読むほど難しくて分からなくなってしまいます。

これでは分かりやすい話が余計分からなくなってしまうのです。私は理論とは実践を無視した純粋な知識、つまり物の本を読んだり人の話を聞いて得た知識だと解釈します。一方論理は実際に行ったことから生まれる知識だと思うのです。私のような学歴や学習歴の少ない人間には理論など殆どないに等しいのです。しかし私たち自称実践家には実践から生まれた論理は山ほどあって、うまく言葉で体系的には喋れないものの沢山の事例を持っているのです。株をやったこともない先生が株の話をしますが「こうあるべきだ」と語れるし、「株はいつかは下がると予測することも学問上可能なのです。しかしいつ下がるかというと顔の見えない世界で暮らしている人は「そのうち下がるだろう」と当たらずも遠からじの話をするのです。今回の世界を揺るがす同時株安も殆どの人が的確な予想は付けれなかったのです。

 私たち実践家はどちらかというと論理型で、顔の見える現場で失敗経験や成功経験を積み重ねているので

たとえ言葉の使い方は下手でも話す言葉に重みがあって人々の心に共感を得ることができるのです。

 天道と人道はどこが違うかと問われたらこれまた、広辞苑の助けを借りねばなりませんが、天道とは自然の理にかなった流れで、人は生まれ死んでゆく、道に草は生えてゆく、形ある堤は崩れ堀はヘドロや砂で埋まってゆく、橋もいつかは朽ちて落ちてゆく、これが天道なのです。一方人道とは草を引いて道を保持して歩くのに便利なようにしてゆく、堤は崩れないように補修をしてゆく、堀はさらって深見を維持し、橋は掛け替えるのです。また生まれて死ぬまでの期間様々な努力をして延命をするのです。天然自然の道理に対応し私利私欲を投げうって人間としての対応をすることがだと思うのです。

 そのたゆまざる行いを怠ればさも神仏の罰が当たったように思える様々な負の部分が生じるのです。シーサイド公園の防波堤フェンスが腐食して人が落ち怪我をしたことが県議会の一般質問でも取り上げられましたが、まさにこれは天道に人道がそむいた結果の出来事だったと思うのです。

 日本語とはこれほど難しいものかと思われるくらい、様々な対比語があるようですが、日本人はもう少し日本語の持つ意味について勉強する必要があるような気がしています。

  「理論とは 論理とはなど 尋ねられ 答えも出来ぬ 駄目日本人」

  「分からずに 分かった顔して うなずいて 知ったかぶりで 日々を過ごしぬ」

  「天道に 逆らい生きる 愚かさよ 人道極め 人の道生く」

  「難しい 話をするな 言われるが 難しくもない 逃げてるだけだ」

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shin-1さんの日記

○久し振りのスナック

 昨日はえひめ地域政策研究センターで今年最後のえひめ地域づくり研究会議の運営員会があり出席しました。数日前事務局から卓話を予定していた人が二転三転出席できず、代理登板して欲しいとの連絡が入っていたので、「これぞ卓話」という見本を示そうと意気込みました。私の場合は別に原稿を書いて喋る訳でもないので、このように軽いノリで話せるよう日常から訓練をしているのです。昨日もアドリブで30分間軽快に喋りました。

運営員会ではメンバーの行動学を学ぼうと毎回卓話を会議が始まる前に行っているのですが、卓話を聞いたり喋ったりする機会の少ないメンバーには、卓話が一体どういうものなのか飲み込めずに喋る人もいるものですから、見本を示したかったのです。私は各地のライオンズクラブやロータリークラブから卓話の依頼があってお話しする機会がよくあります。ライオンズの例だとゴングが鳴って一応のセレモニーが終わると30分間部外講師の卓話を聞くのです。卓話が終わると講師を囲んで食事会というストーリーが毎回行われているようです。いい発想だと思い、お金のない研究会議なので部外講師を雇う余裕もなく、願わくばメンバーの話を聞いたり、メンバー自らも話術を学ぼうと卓話を取り入れたのです。まだまだ改良の余地は残っていますが、それでも毎回卓話を聞いたり喋ったりするストーリーが定着し、私自身も大いに勉強になっているのです。

 昨日は、来年1月24日に行う予定の年次フォーラムの企画と2月28日・3月1日に行う予定の視察研修が主な議題でした。既に企画委員会の企画したプログラムも出来ていて、議事運営も予想以上の速さでスムースに行われ、少し早目の終了となりました。

 この時期の集会は忘年会がつきものです。この日の一次会はさかなやという始めて行った店でした。店先でマグロの解体をショーとしてやっている珍しいお店でした。松山でなぜマグロなのかよく分かりませんが、それでもこのところ新聞紙上を賑わせているマグロですから、注目度は抜群で店先の解体作業には黒山の人だかりができていたようです。

 会費4千円で2時間飲み放題だそうですが、薄利多売的な感じがして、師走ながらも不景気風の吹く飲食産業を象徴しているようでした。私や塩崎さんは昔大酒を飲んだため体を壊して酒が飲めなくなっているため、もっぱら食べることに専念し、私などは刺身のつま物である大根のケンも全て平らげてしまいました。


 酒を飲まなくなった私たちは最近2次会に繰り出すことは滅多になくなりましたが、昨日は久しぶりにそのビルの9階にある桂子というスナックに行きました。始めての店なのですが実はこの店のマスターとはご縁があって、一度は訪ねたいと思っていました。というのもここのマスターである小笠原さんは変わり者でスナックを経営しながら4年前には社会教育主事の講習を愛媛大学で受講しているのです。その時「社会教育とまちづくり」について講義をしたり、現地演習で双海帳に来てもらったりした旧知の間柄なのです。加えて先日国立大洲青少年の家で平kれた地域教育実践交流集会の実行委員でもあるため、必ず近いうちに行くからと再会を約束していたのです。たまたま一次会とお店のあるビルが同じだったため、千載一遇のチャンスとばかり乗り込みました。お店は清潔感が漂い、10人で行ったのですが話も出来ていい雰囲気のお店でした。驚いたのは隣にかつて行きつけだったシーホースというお店が隣なのです。ここのママさんとは私が工業高校のPTA会長をしていた折の役員さんで、昔はここが根城のようなものでした。いずれの店も9階のにあるため野球になぞらえ「九回の裏で後がない」なんて軽い冗談を飛ばして飲んでいました。小笠原さんは奇遇にも松工ラグビー部出身だし、地元の消防団にも入ったりしてかなり幅広くコミュニティ活動をしていて、頭の下がる思いです。また行きたい思いで、10時過ぎお店を後にしました。


  「概念を 吹き飛ばすよな マスターに 出会い二次会 楽しく過ごす」

  「久し振り 同行二次回 ウーロン茶 それでも酔った 気分で話す」

  「飲む金も 安くなったと 財布から 言われるままに 釣銭貰う」 

  「またおいで また行くからと 手を振って スナック出れば 師走の風が」

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shin-1さんの日記

○報徳を忘れることなかれ

 「自分は一生懸命生きてきました。またそれなりに社会のお役にも立ってきました」と、自分の過ぎ越し半生を自分を中心にして考え思うのですが、はてさて自分とはいったい何者なのでしょう。自分は父母から生まれました。ゆえに父母なしではこの世に存在しなかったのですから、まず父母に感謝しなければなりません。その父母が体の根本を作ってくれ、その土台の上に自分が健康を作ってきました。「這えば立て立てば歩めの親心、わが身に積もる老いも忘れて」の言葉通り親は一種賢明育ててくれたのです。「産んでくれといった覚えはない」などとこざかしいことを言うことなどもっての外です。

 私たちは縁あって結ばれ子どもを四人産み育てました。子どもたちがどうにか学校を出て世の中で働くようになれたのは、私たち夫婦の丹精努力だと思います。健康で一生懸命働いて生きてこれた夫婦の丹精に感謝します。わが家は祖父母や両親の時代から先祖代々貧乏でした。時には金持ちを見て羨ましいと思った時もありましたし、財産のなさを嘆きましたが、それでも正直に生きて働き、人様に迷惑をかけるなという根本的な教えを守って生きてこれたのは先祖の勤勉姿勢に感謝です。

 私は親の病気もあって高校しか出ていません。時には学歴のなさが自分の地位を上げれないと思いましたが、「勉強は何処ででもできる」という親父の口癖を守って学習歴を積み重ねた結果、読み書きソロバンも一通り出来て、社会生活では別に困ることもなく生きれるのは父母の教えのお陰で、父母の積善に感謝します。

 子どもが四人いますが、既に二人は結婚して孫が三人生まれ育っています。孫の成長を見るにつけ自分もしっかりせねばと進化を誓うのです。リタイアした私に進化などないかも知れませんが、それでも勤労してしっかりと生きている姿を見せたいのです。自分の勤労な生き方に感謝します。

 わが家は豊かでもありませんが、それなりに衣食住が整い、着るものも住む所も、また三度三度の食事もつつましやかながら今のところは保障されています。契約社員のいきなりの退職勧告などが問題になっていますが、衣食住があることすら私たちは忘れ、やれ年金が多いだの少ないだの騒いでいますが、衣食住への感謝を忘れてはなりません。幸いわが家では最低限の野菜は家庭菜園で、魚は親類からいただき毎日感謝しながら味わって食べています。田畑への感謝・海への感謝も忘れてはなりません。今年は去年健康で働いて得たささやかな利殖蓄財が経済的なゆとりを生んでいます。昨年の勤労への感謝も忘れてはなりません。また来年のために少しずつではありますが蓄えておこうと妻はソロバンをはじいて無駄を省いています。今年の勤労への感謝もあるのです。


 こうしてみると、どれほどのものにどれほどの感謝をしなければならないか分かりませんが、感謝して生きることの意味が少しずつ分かった今になって、報徳の教えを読み返してみてなるほどと思うのです。


  父母ノ根元ハ天地ノ令命ニ在リ

  身体ノ根元ハ父母ノ生育ニ在リ

  子孫ノ相続ハ夫婦ノ丹精ニ在リ

  父母ノ富貴ハ祖先ノ勤功ニ在リ

  吾身ノ富貴ハ父母ノ積善ニ在リ

  子孫ノ富貴ハ自己ノ勤労ニ在リ

  身命ノ長命ハ衣食住ノ三ニ在リ

  衣食住ノ三ハ田畑と山林ニ在リ

  田畑ト山林ハ人民ノ勤功ニ在リ

  今年ノ衣食ハ昨年ノ産業ニ在リ

  来年ノ衣食ハ今年ノ艱難ニ在リ

  年々歳歳二報徳ヲ忘ル可カラズ


  「読み返す 程にわが身が 恥ずかしく 感謝の心 思い起こして」

  「報徳の 教え未だに あせもせず これから先も 教え守って」

  「先祖俺 子ども孫へと つなぎたる さらに自然 までもつながり」

  「感謝して 生きれば楽し 人生も 不平不満じゃ つまらぬものぞ」

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shin-1さんの日記

○天気一変

 今朝は朝から雷がゴロゴロ鳴るし、風は強くなるし大変なオ荒れ模様の天気です。多分寒冷前線が四国地方を通過するためのいたずらでしょうが、どうやらこの雷は北国で言う雪を呼ぶ前触れのようなシグナルだと思うのです。師走に入っても連日15度以上の温かくて穏やかな日和が続いた反動で、多分これでやっと今年も冬になるに違いなく、夕方からは北西の季節風が強くなるに違いないのです。

 そんな天気の短期予報もあって昨日は半日人間牧場へ出かけました。灯油を風呂ボイラーやストーブに満タンにしたので、今月10日の地元女性の来牧場に備えて、ロケーション風呂のボイラーにも給油することも仕事です。仕事といっても18リットルのポリ容器一つあればほぼ満タンになるのです。このボイラーは中古で地元の水道屋さんから無償で譲り受けたもので、今年の春にはボイラーとタンクをつなぐホースが劣化断裂して灯油が漏れ出し、痛い目に逢っているので慎重に給油をしました。その後ホースを真鍮のパイプに変えたため大丈夫なのですが、何故か気になるのです。

 その後鋏と鎌を持って人間牧場の周辺を見回り要らぬ小枝を取り除いたり、ススキの株を刈りつけ、ぶるーべりーの下草に敷き詰めたりしながら時を過ごしました。今年の秋の草刈りは万全だったようで、その後は草も伸びておらず、このまま冬を越して春を迎えられそうです。梅林の木々もすっかり葉を落とし、栗の大木のみが紅葉をまとっていました。

 人間牧場の周りにはハゼが沢山あって、海岸沿い故に今頃綺麗な紅葉が楽しめるのです。

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 このハゼも夏には蔓が巻きついて放っておくと枯れる運命にありましたが、夏の暑い時期にこまめに登ろうとするカズラを切ったお陰で美しい紅葉を楽しめるのです。これ以外にもツリーハウスの周辺にはハゼの木が何本かありますが、カズラの餌食になって美観を損ねているようです。来年は是非のもカズラをしっかりと切り、秋の紅葉を楽しむイベントでもやりたいと思っていますが、夏になると延びる草やカズラの勢いに押されて、手に負えないのかも知れません。

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 昨日の海は嵐の前の静けさとでも言うべきか穏やかで、眼下に見える豊田漁港には漁を終えて帰る漁船が、エンジンの音も軽やかにひっきりなしに入港していました。長閑な港の風景を見ていると、何ヶ月か前原油の高騰で全国の漁師さんたちがストライキをして出漁しなかったことを思い出しました。今は原油の値段も下降を続け値上がり前の水準に戻っているようですが、世の中の不況を反映して、魚の値段が安いと漁師さんたちはこぼしていました。

 私もこの港を根城に18歳から25歳までの7年間漁師をしていたこともあって、何故かこの風景が大好きなのです。港の風景もあの頃とはすっかり様変わりをしていますが、港の沖合に見える島影などは太古の昔から変わらない姿だと思うと、少年のころにこの山から見た姿とダブって見えて、死んだおふくろや、処分した若吉丸を思い出すのです。昔日の思い出に浸る余裕もなかったこれまでとは違い、回顧する気持ちが出来たのは加齢のせいかも知れないと一人納得しながら、背もたれ椅子に体を沈めウッドデッキで本を読みながら少しの間転寝をしました。

 

  「背もたれの 椅子に体を 沈めつつ 転寝楽し 至福過ごしぬ」

  「師走だと いうのに赤い ハゼ紅葉 誰も愛でずに 散るはかなさよ」

  「七年も 眼下の港 出入りした 懐かし日々は 未だ帰らず」

  「思い出を 持てる幸せ 感じつつ 沖合い浮かぶ 島影眺め」

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shin-1さんの日記

○またもやキツツキ捕獲

 キリシタン大名である大友宗麟の生涯という本を読んでいると、宗麟は人を殺してはいけないというキリストの教えと、大名としてその地位を守るために戦をしなければならない矛盾に随分悩んだことが書かれています。むやみに殺生をしてはならないのは人間として当然の教えですが、生き延びて行くためには自分で手を下さなくても人が殺した牛馬や鳥の肉を食べなければならず、宗麟ほどの深い悩みではないにしても矛盾に満ちた暮らしをしているのです。

 今日も矛盾が発生しました。久しぶりに人間牧場へ出かけました。今日は天気もよく温かいので農作業もはかどりましたが、ふと見上げるとロケーション風呂の軒先に何やらうごめいているのです。見れば防鳥ネットにキツツキが絡まっているのです。

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 人間牧場は完成して3年半になりますが、その間に水平線の家やロケーション風呂の外壁はキツツキの餌食になって大きな穴を幾つも開けられました。何とかキツツキが来ないようにとカラスの脅しなどを吊り下げてみましたが、こちらを見透かすようにやりたい放題で、益々ひどくなって行くのです。業を煮やした息子は周りにテグスで出来た防鳥ネットを張ろうと提案しました。人間牧場施設の設計を担当した息子にしてみれば、自分の作品でもあるので当然のことかも知れないのです。息子は穴の空いた場所を大工さんに頼んで修復すると同時に、休日を利用して穴を開けた場所辺りに網を張り巡らせました。

 当分の間は防鳥ネットの効果なのかキツツキはまったく姿を見せなくなりました。私も地元の人から教えてもらった通り、防鳥ネットの切れ端をキツツキの開けた穴に差しこんで行きました。これもキツツキには煙たがられたのでしょうか、効果てきめんでした。

 ところが防鳥ネットを張り穴にネットを入れてから3ヶ月くらいして、一羽のキツツキがネットに絡まって捕獲されたのです。たまたまその姿を見た少年少女おもしろ教室の教育委員会事務局の人が、「可哀想だしこんな姿を子どもたちに見せたくないから逃がそう」ということになりました。結果的にはネットに絡まって死んでしまいましたが、愛鳥などの運動を考えると複雑な気持ちになりました。

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 私はそれまでキツツキの被害に遭っているのに、キツツキの姿を目の当たりにしたことはなかったのですが、死んだキツツキはそれは美しい瑠璃色の姿をしていました。しかし口ばしは咎って足の爪は鋭利に出来ているのです。一匹のキツツキを捕獲してから年に4~5羽はネットで捕獲されるようになりました。一回は孫が人間牧場で見つけたため家に持ち帰りねんごろに弔いましたが、こう再々だとそんな弔いもできず、今日も持ち帰ったもののさてどうしようか思案しているところです。今回も割り切ってごみ処分したいと思っています。

  「悪さする キツツキ軒先 ぶら下がり 息も絶え絶え 脚立ではずす」

  「愛鳥の 気持ちはあるが 野放しに すれば悪さを 止めぬキツツキ」

  「瑠璃色の 美し姿 想像も つかぬキツツキ 人に例えりゃ」

  「アカゲラと 別名名乗る キツツキは 赤い冠 被って悪さ」

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○言ってもらいたい褒め言葉

 心理学の世界のことでしょうが、人間には承認の欲求というのがあって、認められるくらい嬉しいことはありません。特に子どもなどは認められるとそれを自分の得意分野だと思いこんで、どんどんその個性が伸びて行くのだそうです。これは何も人間だけではなく動物の世界でも当てはまるそうで、犬や猫などのペットを手なずけたり、芸当をさせたりする時にも使われる手段のようです。

 私たちが関わっている地域づくりの世界でも、自分の業績が認められ表彰されたり、新聞で紹介されることがよくあります。それを鵜呑みにして自慢し過ぎる人がいるのはいただけない話ですが、それでも何もせずに「あれぐらいなことは誰でもできる」とか、「私もしようと思っていたが先を越された」なんて、人の業績を羨んだり苔降ろしたりする人よりはましですから、自慢話も聞いてあげるべきかも知れません。

 つい最近新聞を読んでいると「言ってもらいたい褒め言葉」という本が出たそうです。まだその本を読んではいないのですが、このタイトルを見て人間の心理が分かるような気がしました。つまり人間は殆どの人がいつも褒め言葉を言ってもらいたいと待っているのです。褒め上手な人はそのことを心得ていて「あなたがこんなことをしてくれたから助かるわ」何て言葉をかけられると、今までの苦労も吹き飛ぶのです。逆に「こんなことして何になる」とくさされると、相手に対する憎悪となってしまうのです。

 昨日のささいな出来事です。仕事が遅かった妻のために私は風呂を沸かしました。家では家事など殆ど何もしない私が風呂を沸かしたのです。そのうち家に帰った妻は休む間もなく夕食の準備に取り掛かりました。洗濯物を取り込み風呂を沸かそうと開けた途端、風呂が沸いていることに気づいた妻は、「お父さんありがとう、優しいのね」と褒めてくれました。60歳を超えた私が風呂を沸かしたくらいで褒めてもらって有頂天になることはないのですが、それでも妻の一言がその夜の食事を美味しくさせました。だから私も「おい、今日の料理は美味いな」と照れ気味に褒めました。妻は「まあ嬉しい。今度はどんな料理にしようかしら」と喜んでくれました。

 もしこれが全く違った言葉だったらどうでしょう。私「風呂を沸かしておいたぞ」。妻「まあ珍しい。雨でも降らなきゃ良いが。風呂ぐらい沸かしたって当然でしょう。私は働いて帰って疲れているのですから」と言われると、多分「ガツン」ときて、私「そんなこと言うのだったらこれから何もしない。お前は人の手助けが分からないのか。このバカたれが」と、ますます険悪な人間関係になるのです。

 相手を思いやる小さな心配りの褒め言葉がどれほど人間関係をよくしていくことでしょう。そう思うと人間は自分がしてもらいたいことは相手もしてもらいたいことなのだと、思って生きることが大切なようです。つまり人は自分を映す鏡なのです。いい生き方をしたいと思えばいい生き方を相手に与えることのようです。人の間と書いて人間と読むのですから・・・・。歯の浮くような褒め言葉はどうかと思いますが、爽やかな褒め言葉が発せられるよう心配りをして生きてゆきたいものです。


  「助かるわ なんて一言 言われたら こいつ良い奴 思ってしまう」

  「褒めながら 褒めてももらいつ 生きて行く 夫唱婦随の 二人三脚」

  「くさすより 褒めて暮らすが 上策と いつも思うが ついつい悪態」

  「こんなこと 褒めてもらって 言いつつも 悪い気しない ささいなお褒め」

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shin-1さんの日記

○人に感動や勇気を与えることは難しい

 私はこれまでの人生の中でどんな人に勇気を貰い、どんな感動をしたのだろうと自分自身の人生を振り返ってみました。最も強い勇気と感動を貰ったのは意外や意外身近な所にありました。それは26歳の時に私と結婚した二宮繁子という一人の女性と、この女性が産んだ4人の子どもの出産でした。

 私の生活設計では26歳で2歳年下のK子という南予の人と結婚したいという願望を持っていましたが、名前も年齢も違ってはいたもののほぼ目標通りの女性と結婚できたのです。以来38年間も飽きもせず別れもせずに一つ屋根の下で暮らしているのです。今では空気のような存在になっていますが、妻ほど私に感動や勇気を与えてくれた人間はいないのです。私が留守の家を守り、4人の子供を育て、家計のやりくりをして家族を守り続けてきました。まあ自分が自分の妻を持ち上げるのも変な話ですが、真っ先に挙げるとすればそうなってしまうのです。

 自分の子供が生まれた時も不安ながらも大きな感動や勇気を与えてくれました。私には今時珍しい4人の子どもがいますが、誰ひとりとして要らない子どもではなく、それぞれにそれぞれの夢を実現するため一生懸命生きています。残念がら飛びきり優秀な子どもではありませんが、ごく普通の子どもに育ています。まあ両親を足して2で割ったら丁度いいのだといいますから、私たち夫婦にとっては優しく思いやりのある、それでいて社会に迷惑をかけず健康であるという最低の条件を備えているのですから良しとしなければなりません。

 子どもは宝だとよく言われますが、子どもを4人も育てることは容易なことではありません。まして現代は子どもの教育にお金のかかる時代でもあるのでそれなりに苦労しましたが、でも発育のその時々に泣いたり笑ったり、時には叱ったりしながら子どもとともに私たち夫婦も成長してきたように思うのです。

 「妻と巡り合わなかったら」、「子どもが4人生まれていなかったら」と思うと、やはり妻も子どもが自分にとって感動や勇気を与えてくれた一番の功労者だと思うのです。結婚してから今日まで様々な出来事の時々には「なんでこんな女性と結婚したのだろう」とか「子どもさえいなければこんな苦労をせずに済むのに」と一瞬そんな思いが掠めたこともありますが、今になって思えば「済まなかった」と詫びる気持でいっぱいなのです。

 さて私が感動と勇気を与えてもらったと同じように、私が誰かに感動や勇気を与えることは難しいことだとしみじみ思うのです。私はこれまで家庭、職場、地域、仲間といった違う世界で様々な役割を果たしてきましたが、特に私のフィールドである地域づくり活動やボランティア活動で様々な人との出会いを重ねてきました。その中には忘れられない感動や勇気を貰った場面が沢山ありましたが、はて私は誰に感動と勇気を与えたのであろうかと思うと、少々心もとない感じがするのです。でも私と活動を共にしたり私の話を聞いたり、時には私の生き方に接して、「勇気や感動をいただいた」という人に出会うのです。そんなに多くはありませんが、これからもそうした出会いを重ね少しでも社会のお役に立ちたいと思っています。

  「感動や 勇気貰った 妻や子に 今度は俺が 与える番だ」

  「何気なく 同じ屋根下 暮らしてる そうか俺には 妻が一番」

  「結婚も 子ども生まれた その時も 嬉しさ募り 雲の上行く」

  「お互いが 零点だった 出会いだが 百点目指し 今も努力を」

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shin-1さんの日記

○人間牧場落伍高座用座布団の贈り物

 一昨日わが家へ宅配便で何やら大きな荷物が届きました。妻と二人で開けてみると中から大きくて立派な座布団が出てきました。ハガキに書いたメッセージが添えられていました。

 「今年もあと一ヵ月、師走の月を残すのみとなりました。つどいでは大変アンコールにお応え下さり、ありがとうございました。人間牧場を訪問させていただいてより思っておりました。若松さんへの送り物がやっと出来上がりました。楽屋裏にでもお敷きいただけたら嬉しく思います。時節柄ご自愛下さいませ。

                                    山本イツミ


 山本さんが厚生年金受給者協会宇和島支部の支部長さんたち数人を連れられ、人間牧場へ来られたのは7月26日のことでした。受給者協会の研修会に講演をして欲しいとの依頼のためにわざわざ来られたのです。この研修会には以前にも講演したことがありましたが、アンコールの声がかかったと嬉しいお話でした。山本さんは人間牧場での散策を楽しみ帰られましたが、10月30日に宇和島市福祉センターで行われた講演会に再開し、無事役目を果たしたのです。年金受給者協会には各支部があって、それぞれ同じような時期に集会を持っていますが、今年も西条や八幡浜の支部から講演依頼があって出かけたのです。

若松進一ブログ

 数日前山本さんからメールが入りました。「ささやかな送り物をしたいのですが、少し大きいいので驚かないでください」とのことでした。そんな矢先の送り物が座布団とは嬉しい贈り物なのです。贈られた座布団は裏地(薄緑色)と表地(朱色)の配色がまったく違うのです。察するに一枚で2回も使い分けることができるようにとの配慮でしょうか。山本さんはこの座布団を楽屋裏でと言っていますが、これは表舞台の高座用座布団として大切に使いたいと思っています。


 私が高座に上がり落伍をするようになって、ごひいき筋から様々なプレゼントが届きました。高座用の切り株は高知県奈半利町の坂本さん、羽織代用の半纏は三崎町の塩崎さん、めくりと人型パネルは国土交通省観光カリスマ塾、そして先日作務衣は社協の白方さん、扇子とタオルは南海放送もぎたてテレビ、さらには電光掲示板は加藤さん・十亀さんと、揃いも揃ったごひいき筋の贈呈です。

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 はてさて、そろそろ「夕日亭大根心高座本、「夕日徒然草・地の書」も残り少なくなってきました。年末までには原稿を書き上げ、「水の書」を作らなければなりません。そして肝心の落伍の話芸をもっと高めるよう修行もしなければなりません。正月を挟んだ冬ごもりの季節こそ、来年へのステップにしたいものです。


  「こりゃ立派 友の送りし 座布団を 敷いて高座に 上がり落伍す」

  「裏表 違う絵柄の 座布団は 裏と表の 話に似たり」

  「そろい踏み できた落伍の 調度品 ごひいき筋は 有難きかな」

  「矢の如し 落伍始めて 早一年 悲喜こもごもの 話芸語りぬ」    

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shin-1さんの日記

○秋の夕日に照る山もみじ

 今日は松山工業高校の100周年期成会の役員会というのがあって、出かけて行きました。「お父さん、よく行く所があるねえ」と妻に感心してもらいながらの外出です。妻が言うように自分自身でも「よう行く所があるなあ」と感心するのです。松山工業高校は来年100周年を迎えます。この区切りを大切にしようと期成会が結成され、私は現職でもないのにPTA会長を6年もやった物好きな関係からでしょうか顧問に祭り上げられ、これまでの役員会には全て参加して意見を述べているのです。この会に集まる人は同窓会の役員と学校の先生方、それに現職のPTA役員の方々ですが、同窓会の役員はかなり歳を召した方が多く、若い先生たち集団と、どっちつかずの私たちのような中間層で構成されているため、意見の相違が歴然としていて、意見が行ったり来たりの堂々巡りが多いようなのです。それはそれとして仕方がないのですが、これまで何度も積み重ねてきた会議をぶち壊すような意見も飛び出して、関わった方々からはブーイングが起こりそうな雲行きもあって、はらはらしました。

 「この若造が何を言うか」と思われながらも私は会議では必ず意見を言うたちなので、積極的に意見を述べています。今日は記念式典の時の記念講演の講師の選定をめぐって長時間を費やしました。結局は私たちの意見が通って決定はしたものの、会議の方向未だ定まらずといった感じです。

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 会議が終わって昨日と同じように夕闇せまる道を引き返し、家に帰って車を降りて辺りを見渡すと、昨日から師走に入って暦的には初冬で秋の夕日ではないのですが、秋の夕日と同じような真っ赤な夕日が双海町のシンボル本尊山のもみじを真っ赤に染めているではありませんか。

 思わずデジカメを取り出し裏庭に駆け上がりその美しい残照に輝く風景を一枚撮りました。いやあ実に見事でした。思わず童謡唱歌である「もみじ」という歌を歌いました。

    ♭秋の夕日に照る山もみじ

      濃いも薄いも数ある中で

      松をいろどる楓や蔦は

      山のふもとの裾模様♯


 ふるさとは遠きにありて思うものというけれど、自分の身近な場所にこんな綺麗な原風景があるとは、今の今まで気づきませんでした。私たちの暮らしの中には借景と呼ぶにふさわしい風景が存在しますが、いつの間にか日々の暮らしに慣れて当たり前の風景としてしか自分の目には映らないのです。

 この何気ない風景の中で私は双海町の海に沈む夕日の美しさに気づき、その夕日を地域資源にしてまちづくりをやってきました。多分これからも、今まで気づいていなかった部分から新しい発見があるかも知れないのです。

身近な人、身近な風景、身近な暮らしの中に新しい発見をするよう心がけて生きてゆきたいと思っています。


  「庭に出て 始めて気付く 夕暮れの 本尊の山の 美しきかな」

  「朝夕に 見続けている 山々の 紅葉夕日が 照り映え綺麗」

  「会議終え 帰りしわが家 ホッとする 外は紅葉で 中からお帰り」

  「このところ 天気続きで うららかな 初頭の日差し 干し柿照らす」


 


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○得意が違う妻と私

 私の妻はパソコンをやりません。パートで務めている歯医者さんでは仕方なく仕事でパソコンをいじっているようですが、「家に帰ってまであんな難しい道具を触るのは嫌だ」というのが本音のようです。ゆえに私がこのパソコンを使い、妻の悪口を少々書いても妻の目には触れることもなく、書きたい放題、言いたい放題というのが実態のようです。でも谷岡和美さんなど私の友人の女性から素敵なブログ文章やメールが届く度に、私の妻の情報的遅れを気にするのです。今は務めているから町内の情報は歯医者さんのロビーでのお客さん同士の会話で驚くほど知っています。しかい今にその職場を辞めると情報御地になるのではないかと思ったりするのです。機嫌の良い時にその話をすると、「そのうち仕事でも辞めて時間ができたらするわ」と軽くいなされます。

 私の場合もパソコンをいじり始めてそんなには経っていませんが、パソコンをいじることが下手くそな私にとってさえ、パソコンは重要な情報発受信の道具となっていて、パソコンなしでは生きていけないとまでは行きません、そのくらい重要な役割を果たしていることは間違いないのです。

 私の妻は数字に強く、電話番号でもかなりの数を暗記していて、息子娘への連絡や親類への相談など、番号簿を見なくても平気で間違わず通話しています。また高校が商業科だったこともあってソロバンや簿記は自慢するほどでもありませんが、まあ得意な方だと思われます。そんな妻のお陰でわが家の経済的基盤は貧乏ながらも何とか火の車になることもなく、度重なる危機を乗り越えてきました。若いころ家を建てた時も、子育てによる教育費のねん出も、また安月給ながら家計のやりくりができたのも全て妻の努力の賜です。やはりわが家の一番の功労者は妻だと思っています。おっと、こんな美辞麗句のような、そして歯の浮くような褒め言葉をいくら並べても、このブログを目にすることのない妻にとっては馬の耳に念仏といったところでしょうか。

 その妻がこの2~3年凝っているのが、ビデオの操作です。これまでのようなテープによるビデオでなくCDで予約録画できるのを買ってから、盛んに使ってビデオを楽しんでいるのです。例えば相棒という今流行りの番組や人生の楽園などなどに加え、妻の妹からアガサクリスティーのサスペンスを借りたりして観ていますが、お陰で私のチャンネル権はまるでないのです。

 たまにこの番組が見たいといえば別の部屋のテレビを見るように言われたり散々ですが、まあ犬も食わぬ妻の楽しみですから、テレビくらいは妻のいいなりにしたいと思っていますが、何年か後にアナログからデジタルに変わるタイミングをとらえて、このチャンネル権を奪い返すか最低共有にしたいと手ぐすね引いて待っているのです。しかし数字やチャンネル操作に強い妻には争う前から敵いっこないと白旗用意ともとれる不安がよぎっているのも事実です。


 毎日湯水のごとく入ってくる情報は今や盃とも丼とも思われる私のような小さな器には盛りきれず、溢れ放しのようですが、そのような情報の中から必要情報や重要情報を取り出し加工することは容易なことではありません。妻の情報処理能力が丁度良いのかもしれないと、私と妻を足して2で割ったらいいのだと、夫婦のレベルの低さを諦めている今日この頃です。

  「今朝書いた ブログも知らず 妻今日も 違う世界で 情報拾う」

  「妻と俺 足したら丁度 いいのかも 得意違って 補い合って」

  「チャンネルは 妻のものだと 諦めた デジタル放送 今に見ていろ」

  「数字には めっぽう強い 妻の前 嘘もつけぬと 嘘をいいつつ」

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