shin-1さんの日記

〇仕事やめ 毛が抜け歯が抜け 気が抜けた(梶原芳之)

 今朝、台所の食卓で新聞を読みながら食事をしていて、妻と思わず大笑いをしてしまいました。私は新聞を一面から最後まで目を通して読みますが、役所を離れたせいもあって、かつてのように政治面や社会面を深く読み、考えたりすることが少なくなり、代わって文化面に事前と目が行くのです。近頃の文化面は案外充実していて人生の悲喜こもごもが載っていて結構参考になる記事が多いのです。そんな文化面に時々川柳が載っています。私の友人の中には川柳を楽しむ人が何人か投稿していて、知った人の名前を見つけるとまるで自分のことのように思ってその作品を、その人との出会いなどを話しながら妻に読み聞かせてやるのです。

 今日の一押しは「俳句」と「歯いく」をもじった川柳でした。「倦怠期 歯の間にも すきま風」(小池敏通)と、「仕事やめ 毛が抜け歯が抜け 気が抜けた」(梶原芳之)という川柳はまさに真髄をついた秀作と思いました。特に梶原さんの川柳には歯医者に勤めている妻だけに殊の外気に入ったようでした。

 毛が抜けるのは人によってばらつきがありますが、どうも遺伝ではないかと、私の親友の顔を思いだしながら思うのです。彼の親父は学校の校長先生を最後に退職されましたが、私が出会った頃から髪の毛がうすく、酒を飲むたびに「お前も親父のようになるかも知れない」と頭のうすさを酒の肴にして冷やかし呑んでいました。その頃彼の頭はふさふさで、私も周りもまして本人もまさか親父のようになるとは思ってもいなかったのです。ところがまだ若いのに次第にうすくなり、定年を来春に控えた今ではまったく親父と瓜二つになっているのです。DNAは争えないと思いながら、髪の毛の少なくなることを酒の肴にした浅はかさを深く悔やんでいるのです。彼は元気者で禿を逆手に取って「禿の哲学」なるものを堂々と唱えているので幾分救われた感じもするのです。

 毛と同様歯も年齢とともに衰えてきます。歯や目や足腰は若いころのように栄養分が行き届かなくなるのか加齢とともに衰えてゆきます。歯医者に勤める妻の話だと最近は年齢に関係なく若い人でも総入れ歯の人もいるほどで、そこいら辺がまだ元気な私は若さを保っていると思え、上部に産んでくれた今は亡き母親に感謝するのです。それでもふと歩いている自分の姿が街角のショウウインドウに映った姿を見て、ハッと驚くのです。胸を張って元気良く歩いているように思っていた自分の姿は完全に前屈みで背中が曲がって見えました。これはいかんと思いながら、毎日自分の姿を背筋を伸ばして歩くよう意識しているのです。これだけでも「若松さん、若く見えますね」とお世辞を言ってくれるのです。私は朝起きると隠居へ親父の息災を確かめに行きますが、その折鉄棒にすがるよう心がけています。お陰で今年は腰痛に悩まされる回数も減ったようだと自負しています。

 私はもう若くありません。でも若くありといという願望を持って挑戦し続ければ、老化の速度を遅くすることはできると信じています。

  「若いのね お世辞を言われ おどけ言う 歳を取っても 若松だから」

  「川柳を 聞かせて笑う 人ごとと 棚に上げたる 自分のことは」

  「抜けようが 暮らしに困る ことはない シャンプー代が 助かる思え」

  「歯は大事 食事の度に 妻が言う 歯医者務めて そのこと学ぶ」 

 

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shin-1さんの日記

〇今年最後の授業を終えて

 昨日は愛媛大学法文学部総合政策学科での今年最後の授業に出かけました。私が非常勤講師として大学で授業をするようになって早くも6年が経過しました。最初は自分のコンテンツの領域を広げるくらいの、簡単な気持ちで請われるまま始めましたが、あっという間に6年が過ぎたという感じです。昨年までは主に夜間主の学生を相手にしていましたが今年から昼間主に代わり、毎週月曜日、4時限目の14時40分から90分間講義をするのです。他の学部や学生がどんな感じか分かりませんが、少なくとも私の教室の学生は真面目で、出席、授業態度など、どれをとっても満足のいくもので、安心して授業を行うことができました。

 私にとってこの一年の授業は、授業日が月曜日ということもあって、講演やイベントが土日に集中しているため最初はいい曜日で楽勝と思っていましたが、月曜日は祝日の振り替え休日が多く日程的にかなり組み立てが難しく、本来なら年末に終わっているはずの授業が、来春に一回だけずれ込んでしまいました。でも1月19日は発表会なので、本格的な授業は作日が最後だったのです。

 6年間見慣れた文京町の大学キャンバス構内にあるケヤキ並木も殆ど葉を落とし、冬の季節風が梢を揺らしていました。大学の建物は耐震工事のために足場で覆われ、高いクレーンが何度も建築資材を吊り上げて作業をしていました。駐車場敷地にはプレハブの工事事務所が立ち並び、工事関係者がせわしそうに働いていました。

 法文学部の事務局が工事の関係で本館に移って一年が経とうとしています。元々事務局へ顔を出すのは授業日に出勤簿に押印するの、授業に使うレジュメや資料をコピーするため顔を出す程度なので、担当者以外とは殆ど口をきくこともなく、機械的な作業のようです。まあ不可侵状態とでも言うべきか大学とはこんなものと認識した6年でした。はてさて来年はどうしようかと思案しています。既に担当の丹下先生から来年もとお誘いを受けていますが、農学部での授業のこともあるし、年内いっぱいで結論を出さなければならないようです。

 この6年間、前半の2年間は教育長をしながら大学に通ったため、目まぐるし忙しさでした。しかし小さいながらも町の教育行政トップとして教育行政を組み立てていく上で大学での授業は大いに参考になり、いささかの恩返しができたように思うのです。合併によってリタイアしたした後半の4年間はそのことに没頭するほどの余裕もなく、少し惰性で動いていた感も否めませんが、それでも夜間主と昼間主をそれぞれ担当し、いい意味での勉強ができました。

 反面教師とでもいうのでしょうか、出会った学生からは有形無形の若者文化を肌で感じさせてもらいました。この年齢になると若者社会のことに疎くなるのは当然のことなのですが、まるで吸い取り紙のようにしたたかにさりげなく吸収させてもらいました。ひょっとしたら一番学んだのは学生ではなく私だったのではないかと思うのです。

 正月休みに少し精神の整理をして、もし講師を引き受けるとすれば来年は新しい気持ちで学生たちに向かい合いたいと思った最後の授業でした。

 学生たちは正月休みに採点用のレポート提出をお願いしています。締切は1月10日、どんなレポートが書かれ送られてくるのか楽しみです

  「早いもの あっという間の 六年間 私は何を 教えたのだろう」

  「なるほどな 反面教師と いう言葉 若者文化に 触れて楽しく」

  「先生で ないのに先生 呼ばれてる どこか抵抗 あるにはあるが」

  「夜間から 昼間変わり この一年 月曜度に 授業に出向く」 

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