shin-1さんの日記

○水臭い水の話

 原油の値上がりは今や留まるところを知らないようで、最高値を更新したというニュースにため息を漏らすのは私一人ではないと思います。株もやらず外国旅行もほど縁遠い庶民たる私には、毎日ニュースで伝える株式市場や為替市場よりも原油市場の方が気になるのですからおかしな話です。それもそのはず自家用車を2台持っているわが家では、特に乗車となると毎日乗るものですからガソリン給油の度に毎回5千円弱の金額を払い悲鳴を上げているのです。国道沿いの給油所は1円2円の安売りにしのぎを削っていますが、友人知人のいる私はそんな場所を探すこともできず、海の向こうの砂漠の国の話として諦めるしかないのです。

 アラブの砂漠地帯は豊富な地下資源に恵まれ羨ましい国だとばかり思っていましたら、彼らは「水に恵まれている日本が羨ましい」と言うのです。ないものねだりかもしれませんが、確かに言われてみれば日本は水害などの自然災害は多いものの川も沢山有り水の多さを実感するのです。

 ガガーリンという宇宙飛行士が「地球は青かった」という名言を残すほど地球は水の星です。その地球の水の99.9パーセントは海水で、0.1パーセントが淡水だそうです。しかしそのうち人間が利用できる水は更に0.01パーセントでその水も時代の流れとともに人間のエゴによる汚染がどんどん進行して危機的な状況にあるそうです。

 水といえば私の体だって55キロの体重なのですが、その65パーセントに当る36キロまでが水分だそうです。しかもその体内の水分は約16日で入れ替わるというのです。今年は夏が暑くて熱中症で亡くなる人がいるほどでしたが、仮に水を一滴も取らないと体内の水分が一巡する16日程度で亡くなるのだそうです。

 水は動いているから腐らないので、桶に入れて3日も放置しておくと腐り始めます。ダムは水をためる大きな桶のようなものでしょうが、ダムに澱んだ水は死水のような栄養のない水だといわれています。都会の人が飲んでいる水は一見衛生的で綺麗な水のように思われていますが、実は少し危険な水を飲んでいるのです。私たちが始めて都会に行って水を飲んだ時、言いようのない不味さに鼻をつまんだことがありますが、一見谷川から取水している田舎の水は延性管理もそこそこで汚く感じられますが、ダムの水よりましな水だと自慢して飲んでいます。

 元上司だった今は亡き上田教育長さんが「水は方円の器に従い人は善悪の友による」という言葉をよく話されていました。その当時は余り深く考えなかった水五則という教えも今となっては身に染みるのです。水を飲む度にそのことは思います。また「水は高きより低きに流れるが人は低きより高きに流れる」と文化の話をしてくれたことも思い出します。文化については諸説があるのでこの辺で留め置きますが、文化の高き所へ人が集まるのであれば、文化の花開く町をつくらなければならないでしょう。

 今まで余りにも無頓着で水は何時でも何処でも手に入ると思っていたのに、気がつけば人間が生きてゆくうえで水ほど大切なものはないのです。気がつき始めたのかそこここで浄水器を取り付けたりして水にこだわる人が少なからず増えつつあるようです。いいことです。

  「無人島 暮し始めて 二十年 たった四日で 水は神様」

  「亡くなりし 教育長が 言っていた 水に学べと 口を酸っぱく」

  「水さえも 高きへ向けて 流す人 これこそエゴだ しっぺ返しが」

  「アブラより 水が欲しいと いうアラブ アブラ欲しさに 戦までして」 

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shin-1さんの日記

○米寿のおばあさんにお化粧のプレゼント

 私の友人に岩手県一関市室根に住む金森勝利さんという人がいます。「何でそんな遠方東北の人を知っているの」といわれそうですが、たまたま東京上野の国立社会教育研修所へ公民館職員講座の講師として招かれた際、参加していた金森さんが私の話を聞いたそうで、何年か後私の事を思い出し一関市の公民館研修会に彼の尽力で私を呼んでもらい急速に交友が深まったという訳です。その後もメールでのやり取りが頻繁となり、今月始めにも一関市室根に招かれ再開を果たしたのです。

 彼が指導している室根青年ふれいあ塾では敬老の日の17日、若者たちが町内の米寿の女性にお化粧をプレゼントする行事が毎年続いているそうで、室根に行った折その話を聞いていたので、新聞に載ったら送ってくれるよう頼んでいたら、昨日メールに添付して送ってくれました。

 岩手日日新聞社の記事を紹介します。

 米寿女性に化粧プレゼント 一関市室根・青年ふれあい塾(9/18)

 敬老の日の十七日、一関市室根の若者たちが町内の米寿の女性に「お化粧」をプレゼントした。おばあさんたちは目元まできれいにメークしてもらった自分の顔に照れながら、少女時代に戻ったような輝く笑顔を浮かべ感謝した。

 室根公民館が主催する青年ふれあい塾が平成十年から毎年行っているもので、同塾のメンバーや高校生十人が参加。町内の八十八歳の女性のうち五人の自宅や入所施設を訪ね、このうち同町折壁の特別養護老人ホーム孝養ハイツでは、西村いとさんと小野寺恵子さんの二人にお化粧を施した。

 若者たちは「好きな色はどれですか?」などと声を掛けながら、パレットに並ぶさまざまな色の中からそれぞれに似合う色を吟味。ファンデーション、アイシャドー、口紅、チークと、分担しながら丁寧にメークを行った。

 「女性なら化粧道具を一通りそろえないと行かないのだろうけど、クリームを付けるぐらいしかしなかった」という西村さんは、鏡に映る化粧顔に「自分でないようだ」と語り、職員から「きれいだよ」と声を掛けられると照れ笑い。

 参加した佐藤美香さん(高三年)は「将来介護の仕事に就きたいと思っているので、お年寄りが喜ぶ姿を見れてうれしい」と語り、美容系の進路を目指しているという小山香苗さんは(高三生)は「しわがあったりしてメークするのは難しかったけど、何色を合わせたらいいか考えるのが楽しかった」とメークの出来栄えに満足そうに見詰めていた。

 所変れば品変わるといいますが、何て素晴らしい企画なんでしょう。添付された写真では高校生からメークをしてもらうおばあちゃんの姿が何とも幸せそうに見えました。今の若者はと揶揄される現代にあって高校生をも巻き込んだ敬老の日の小さくも大きな声援たちの心温まるプレゼントに心から大きな拍手を送りたいと思います。

 この計画実行の段階でも88歳の方々の名簿が欲しいと役所に相談したそうですが、やはり個人情報保護法という法律を楯にかなり苦心をしたそうです。考えさせられる話でした。

 公民館は青年の溜まり場なのに殆どの公民館に青年たちは何故か集まろうとはしません。それは金森さんのような青年と行動を共にするよき相談相手がいないのかも知れません。もう一度青年は今何を求め、青年に何を期待し、青年に何をすれば良いのか考えてみる必要があるようです。

  「いいもんだ 青年たちの 善行は 心ほのぼの 大きな拍手を」

  「送られた 写真のばあちゃん はにかんで それでも私 綺麗に見える?」

  「孝行の 真似事してる 高校生 百点くらい 付けてやってよ」

  「金や物 あげることより 真心を これが米寿の 心得ですよ」  

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shin-1さんの日記

○退化する人間と進化する人間

 年齢的にいうと、私と62歳の開きがあるわが孫が今年二人、5月と8月に相次いで誕生しました。間もなく4ヶ月を迎える長女の子ども尚樹は早くも寝返りが出来るようになって赤ちゃんから幼児へと進化しています。一方間もなく誕生して3週間目を迎える希心は出生後の黄疸も消えつつあって足や手の脱皮にも似た皮膚剥がれも治まって、寝るか泣くかくらいな単純な日々を過ごしています。どちらも健康な母親の母乳を一杯飲んで今の所何の心配もなく育っているようです。

 今日はモーニングセミナーが早く終ったのであいついで孫を訪問しました。娘の子ども尚樹は数日前に風邪を引いていたそうですが、その風邪も治って元気一杯です。ブログでお馴染みお兄ちゃんの朋樹は間近に迫った運動会の練習で毎日くたくたのお疲れモードのようですが、あいにく幼稚園へ出発した後で、顔は見れませんでした。


 一方誕生して間もない孫希心は既に寝返りや愛想笑いも出来る孫尚樹からみれば、まるで横綱とフンドシ担ぎのような差で、どこか弱々しく感じられますが、それでも順調に育っているようです。私が訪ねるときは決まって昼寝中で、泣く姿も起きている姿も見ることが出来ないのです。

 横向きなのか縦向きなのか分らぬままブログに取り込んだためこんな写真になってしまいましたが、多分下の写真が正しいのでしょう。カメラのフラッシュにも動じることなく悠々と眠っていました。

 もし人間が100歳まで生きるとしたら、これから100年に渡って進化し続けるであろう二人の孫に比べると62歳の私は、85歳まで生きる予定が正しければこれから23年間、悲しいかな退化し続けるのです。せめてこの孫たちが成人するまでは元気で生きていたいものだと、親父の姿を思いました。親父は90歳ながらボケもせずかくしゃくとして生きています。心に望みを持ってこの孫のためにも退化のスピードを出来るだけ遅くしたいと思いました。

  「進化する 孫に比べて 俺などは 退化の道を 転がり落ちる」

  「三十年 生きれば孫の 子ども見ゆ その日来るまで 元気で生きろ」

  「寝返りの 孫の成長 おどろぬ 這えば立てとは よく言ったもの」

  「パソコンの 写真目次が 又増えて 二人の孫が 度々登場」

  

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○モーニングセミナー

 松山倫理法人会のモーニングセミナーに出席するため、今朝は4時に起きて5時過ぎに家を出ました。季節が少しずつ動いて朝明けが遅くなったため、家を出る時は車のヘットライトを点けて走りました。国道の信号も点滅が幾つかあって、車の交通量も少ないことから、普通のスピードで走っても30分ほどで会場に到着してしまいました。「早過ぎたかなあ」と思いつつ、西掘端にある東京第一ホテルの立体駐車場に車を入れロビーでくつろいでいますと、モーニングセミナーの運営に携わる人でしょうか、何人かの人が足早にエレベーターの中へ消えて行きました。ロビーにて読書をしていると、「今日は朝早くからご苦労様です」と軽く会釈をしながら何人かの人が通り過ぎ、「ご一緒に上がりませんか」と促されて30分も前なのに、会場となる11階のホールへ行きました。この会場は様々な会議に利用されているため、もうすっかりお馴染みで、ホテルで一番見晴らしのいい場所なのです。西堀端に面した窓からは明けの空にくっきり松山市のシンボルである松山城が浮かんで見えました。まさに正岡子規が詠んだ「松山や秋より高き天守閣」です。そういえば今日は正岡子規の命日「糸瓜忌」だと因縁めいた気持ちになりました。

(松山市の9月19日の朝はシンボルである松山城から明けて来ました)

 何人かの役員さんが会場の準備をされていましたが、仙波里沙さんという女性会員が笑顔で私の座っている講師席に野の花とお茶を運んでくれました。何という爽やかな心配りでしょう。つい嬉しくなって名刺交換をさせてもらいました。いただいた名刺も手書きで忘れえぬ一枚になったようです。


(会長さんからいただいた今日のスケジュール表と、仙波さんが運んでくれたお茶と一輪挿しが白い机の上に綺麗に配置され、これだけでもてなしの気持ちが伝わってきました)
(武田委員長さん)

 今日の会を進行する役目のMS委員会委員長さんが、「武田です。若松さんの事を知りたくてブログを読ませていただきました」といわれてピンときました。そういえば私のブログに「武田」という名前で読んだ感想の書き込みがあったのです。「竹田さんってあなたでしたか」と、不思議なご縁を感じながら名刺を交換しました。
?やがて会議が始まり、「万人幸福の栞」などの唱和の後大本会長さんが開会の挨拶をされました。実は今日の会議については少々ハプニングがありました。大木会長さんからお電話をいただいた時、「倫理法人会」「モーニングセミナー」「講師」「9月19日」「水曜日」などを口頭で言われ、その後かかってきた電話も会員への通知に必要だからと「テーマ」の提示を求められ「新しい発想で生きる」とだけやり取りしただけなのです。昨日になって何時に何処で何分喋ればいいのか、打ち合わせをしていない事に気が付きましたが、大木さんの名前しか分らず、電話の相手先も分らぬまま紋々していました。妻は「あなたも相当いい加減」と呆れ顔でしたが、私はインターネットで検索し、倫理法人会の事務局の電話番号を見つけて電話を入れ事なきを得たのです。お互い連絡済と思い込んでいた思わぬハプニングが、ハプニングで終ってホッとした矢先に大本会長さんから確認の電話があり笑い話に終ったのです。このやり取りを大本会長さんは言葉巧みにスピーチの話題として取り込んでいました。

 今日は卓話に出かけ「新しい発想で生きる」という演題で35分間話しましたが、今日も実り多い学びがありました。何年か前、倫理法人会の県の会長だった(今もそうかも?)岡田印刷の岡田紀夫会長さんからいただいた倫理法人会発行の「万人幸福の栞」を読破したことがあります。その本の目次が今も記憶にあるのです。この日みんなでこの栞の目次を唱和していて、その時のことが思い偲ばれました。17項目それぞれに味のある言葉でした。

 1、今日は最良の一日、今は無ニの好機

 2、苦難は幸福の門

 3、運命は自らまねき、境遇は自ら造る

 4、人は鏡、万象はわが師

 5、夫婦は一対の反射鏡

 6、子は親の心を実演する名優である

 7、肉体は精神の象徴、病気は生活の赤信号

 8、明朗は健康の父、愛和は幸福の母

 9、約束を違えれば、己の幸を捨て他人の幸福を奪う

 10、働きは最上の喜び

 11、物はこれを生かす人に集まる

 12、得るは捨つるにあり

 13、本を忘れず、末を乱さず

 14、希望は心の太陽である

 15、信ずれば成り、憂えれば崩れる

 16、己を尊び人に及ぼす

 17、人生は神の演劇、主役は己自身である

  「明けやらぬ 道を走って 目的地 いつもと違う 何処か何かが」

  「一輪の 花を活けたる 気配りに 思わず和む 私の心」

  「はて俺は どちらへ行けば いいのかな つもり違いの とんだ間違い」

  「今日もまた 人から学ぶ こと多く 少し進化の 兆しちらほら」


?(帰宅後、同席した松山倫理法人会会長で県の中予地区長の石丸貴一さんからメールで写真が送られてきました。有り難く拝受し、その一枚を使わせてもらいました)
(開会のスピーチをする大本会長さん)
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shin-1さんの日記

○便利な世の中

 9月に入ってからも日中は30度を越す残暑が続いていますが、朝夕は少し秋の気配が感じられるようになってきました。そのせいでしょうか秋どれの煮干しがボツボツ上がり始め、漁協に頼んでいた煮干しが今朝家に届きました。毎年山の町に住む人を中心に、この煮干しを心待ちにしている知人友人もいて、今朝からその宛名書きや発送におおわらわでした。何せ宛名を取り出すのに一苦労です。名刺を繰ったり住所録を調べながら探すのですが、日ごろ整理整頓が出来ていないこともあって、30人の名前を書き上げるのに朝から昼までかかってしまいました。それでも送る相手の顔や名前や思い出を蘇らせながら作成しました。どうしても分らなかった2人の名前はインターネットで見つけられて事なきを得ました。便利な世の中になったとしみじみ思いながら郵便局から発送しました。明日明後日にはそれぞれの場所に届くことでしょう。

 世の中を見渡すと、いつの間にかこのように便利なものが身近なところに溢れています。携帯電話やEメールさえあれば何処にいても、自分の好きなときにいつでも誰とでも連絡が取れるようになりました。また全国各地には24時間営業のファミリーレストランやコンビニエンスストアーがあって、今では銀行のATMまで付いているのですから、かゆい所に手が届くような便利さの中に生きているのです。

 しかしこんな便利さの中で忘れされれたり失っているものも少なくはないのです。ファミリーレストランやファストフードの普及によって、私たちは外食を食べたり電子レンジでチンさえすればいつでも困ることなく食にありつけるのですが、一方で家庭での食事が疎かになり、地産池消などとは程と多い不健康なものを食べる習慣が見に付いてしまっているのです。また郊外には24時間営業のコンビニエンスストアーや安売りの大型店が出店し、地元の電気屋さん、酒屋さん、金物屋さんは立ち入って行かなくなり、商店街がシャッター通りになった話は全国いたるところで話題に上っているのです。まさに表を立てれば裏が立たずでしょう。

 車を運転しても、80キロの制限速度を守って走る私の車を100キロを越えるスピードで軽々と追い越して行く車が沢山います。「狭い日本、そんなに急いで何処へ行く」と言いたいスピードの代償として高い高速道路料金を払い、挙句の果ては僅か15分の速さのために大きな事故を起してしまうのです。

 今や私たちの暮しは「早い」安い」「便利」というのがキーワードとなり、麻痺さえするようになりました。忙しいという字は「心を亡くす」と書くのですが、豊かさや便利さの代償として「相手を思いやる心」が消えてしまったように思います。昨日の運動会のテントの下で昼食を取る何組かの親子を見てガックリしました。車座の真ん中にあるのは、お母さん手づくりの弁当ではなく、弁当屋で買い求めた弁当でした。確かに見た目には豪華で、色合いも申し分ないのですが、果たして子どもたちはこんな弁当を喜んで食べるのでしょうか。愛情はお金で買えないといいますが、愛情を金で買う時代となりました。親子や家族の側に忍び寄る暗い影や吹き抜ける隙間風に早く気付かないと手遅れになるかもしれませんね。

  「コンビニの 弁当広げる 運動会 親の顔指 まるで女優だ」

  「商店街 まるで気抜けの ビールのよう 時代進んで 時代遅れだ」

  「百キロを 越えるスピード 軽々と 何処へ行くのか そんなに急ぎ」

  「ブログ見た? メール届いた? チンプンカン やらない人には 浦島太郎だ」

 

 

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shin-1さんの日記

○人生の狭間

 昨日テレビを見ていたら愛媛県内の100歳を越える高齢者が622人いると報じていました。「えっ?そんなに」と目耳を疑いましたが実際にいるのですから驚きです。しかもその殆ど8割強が女性ですから、男性の私としては複雑な心境です。その一方で昨年一年間の自殺者が3万人と9年連続で3万人を越えているのです。長生きと自殺というデータを見る限り、これほど科学が進んだ世の中でもなお、人間の生き方は奥が深いと思うのです。人間の生と死の間は私たちが子どもの頃は僅か50年か60年と聞いていました。故に死生観というのがあって命を粗末にするなと教わりました。昔の人は学校へ行くでもなく殆どの人は小学校を出れば貧乏な親の手助けとして働き、死ぬ直前まで働きに働きました。そんな時代ですから自分の命を絶とうなどと考える暇などなかったのです。

 今は幼稚園から始まり大学を卒業するまでの長い学びという助走期間があるようになりました。それでも今の若者は定職にも付かずモラトリアム人間となってうろちょろするのです。働く期間は今も昔も変らずせいぜい40年足らずです。でも今の世の中はリタイアした60歳からの人生がやたらと長いのです。仮に100歳まで生きるのであれば第一線で働いた期間と同じ40年もの間生き続けるのです。「助走モヤモヤ中パッパ後はどうにか生きてるだけさ」なんて感じの人も相当いるようです。

 現代は人生が長くなった分悩みも長くて深いというのが今の世の中だと思うのです。それは病気と老いと危ない社会がもたらす成熟社会の悲劇かも知れません。医療の乏しかった昔は病気は即死でした。働き終ると死ぬのですから老いも心配要りませんでした。また世情は安定して安心安全があり人が殺されるというニュースなどテレビもなかったので耳にすることなどそんなにはなかったのです。ところが医療技術が進んで結核や流行病でで死ぬなどということはなくなりましたし、ガンでさえも治癒して元気に暮らしている人が沢山います。また人が殺されたという話は新聞やテレビで毎日のように報道されて、身近な町や村で人が殺されても「今日も死んだか」くらいの聞き流し情報になっているのです。問題はこうした社会の中での人の生き方です。自殺者3万人は変ない言い方ですがある意味からすると勇気ある人です。自分の人生に自らピリオドを打てるのですから・・・・。また自分の心の発露を他人をあやめる行為に走る人もある意味で自分を主張しているのです。ところがそんな勇気を持てない人は心の病にかかり社会から隔絶せざるを得なくなっているのです。私の友人にもうつ病に苦しむ人がいます。職場でのいざこざ、近所でのいざこざ、家庭でのいざこざ、数え上げれば切りがないほどのいざこざが自分の心の奥深い部分に入って出口を見出せないのです。考えれば考えるほど深みに入ってしまう心の病は、目に見えない病気だけに手の施しようがなく医者さえも治せないといわれています。

 昨日人間牧場へうつ病と診断され仕事を休んでいる心の病を持った中年男性が訪ねて来ました。友人の紹介でやって来たのですが、外見も会話もまったく普通の人と変りはないのですが、目は少しうつろで体中活気がないように感じました。2時間ばかりウッドデッキで私と話し込んで帰って行きました。夜その方の奥さんから電話がかかり、「主人がいつになく元気になりました。時々治療を兼ねて訪ねたい」というのです。私は医者でもないので心の悩みは直せないと思いつつ、「また来て下さい」と相槌を打ちました。人間牧場はひょっとしたら心の病を治すような魅力があるのかも知れません。

  「長生きを するのもよいが どう生きる 心の病 ならないように」

  「いい場所に 来たと喜び 帰り行く 後姿が 寂しかりけり」

  「金もなく 地位もないけど 幸せだ 家族や友が 支えてくれて」

  「牧場は 駆け込み寺か 悩む人 次々来ては 悩み打ち明け」

 

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shin-1さんの日記

○三人になった家族

 多い時には9人もいた私の家族も祖母が亡くなり、7年前に母が亡くなり、4人の子どもは全て独立、長女が結婚し一抜け、長男も結婚してニ抜け、三男が警察官として赴任して三抜け、最後まで残っていた次男も看護士として四抜けして次第に減って、今では私たち夫婦と90歳になる親父の3人が肩を寄り添うように暮らしています。

子どもが生まれたら早く立てば歩めと、保・小・中・高・大学に入学したら早く卒業をと、学校を出たら就職をと、そして就職したら結婚をと、次々に先の事を考えがむしゃらに働きながら子育てに追われたものです。その甲斐あって子ども全てが学業を終り社会に巣立ち長女と長男は結婚して遅まきながら3人の孫にも恵まれました。月並みかも知れませんが家庭に残された妻も親父もそれなりに元気で日々自分で出来る幸せと人にしてあげる幸せをかみ締めながら束の間の幸せな日々を暮らしています。

 若い頃から仕事一点張りだった私もリタイアして自由人になったのを期に、幸せな家族とは何かを考えるようになりました。そしておおよそ5つの事を考えるようになりました。

 ①自分らしい生き方を大切に生きる

 90歳になる親父は大正生まれの古い人間ですから、自分の生き方をちゃんと持っています。それは私たち夫婦と生きた世界が違うものですから若い頃は随分衝突しました。でも自分が親になって子どもと立ち向かうこの頃になると親父の生き方が随分理解できるようになって来ました。自分らしさを大事にする親父は私たちの今と将来のため、つまり家族のために迷惑をかけず役に立つ事を一生懸命してくれるのです。妻も同じで今は夫婦喧嘩のネタもないためお互いがお互いの生き方を理解しあいながら、それぞれ自分らしさを満喫しているようです。

 ②一緒に過ごす時間を増やす

 親父と過ごす時間が増え、妻と過ごす時間が少しだけ増えました。妻はパートをこなしながら民生委員などのsy回活動をやっているため、自由人の親父と私とは時間的なサイクルがかなり違います。それでも親父と私、妻と私の一緒に過ごす時間は格段に増えました。親父と二人で造った人間牧場の倉庫や自宅の東屋工事は親父と私の合作で完成しました。妻も暇を見て私の出張に同行したりして束の間の休息を楽しんでいます。食事もテレビも同じだし、どうしてこんな身近なことが出来なかったのか不思議なくらいです。

 ③コミュニケーションをしっかりとる

 家族であり同一敷地内や々家に住みながら忙しいと時は出会うことや言葉を掛け合うことすら少なくなっている時が往々にしてあります。そんな時は自分のことは理解しているものと勘違いしているものですが、家族といっても全く別々の考えや行動をする動物の集合体ですから、余程お互いが努力しないとコミュニケーションが上手く行きません。身の回りや日常の話題を共通の話題にしながら笑顔で話し合うことが大切だと思います。

 ④つまずきをその場で解決する

 冷静になって振り返ると何でもない言い争いが家族の深い溝を作ることが往々にしてあります。もめごとに家族以外の人が入るとこれまたややこしくなるものです。つまずきはその場で解決することが一番です。その時はお互いが非を認めて詫びることです。嘘や秘密などの心のわだかまりは禁物です。

 ⑤感謝を伝え合う

 「おはよう」「おやすみ」「ありがとう」何でもない言葉の掛け合いは身近なゆえに疎かになりがちです。特に「ありがとう」は何遍言っても言われても気持ちのいいものです。誕生日にささやかな感謝の心を表すのも一つの方法だし、仏壇に祈りを捧げるのも感謝の姿です。「ありがとう」という感謝の言葉が家族の深い信頼を生む秘訣のようです。

 長男に赤ちゃんが誕生して、何年か後には長男家族がわが家へ帰って来る予定です。そうすれば又新しい家族の人間関係が生まれます。こうして家族は増えたり減ったりしながら歴史を積み重ねてゆくのです。

  「いつの間に 家族少なく 三人と なって寂しく 日々を過ごしぬ」

  「御免ねと 言えばその場が 済むものを 夫婦喧嘩は 犬も食わぬわ」

  「ありがとう 何遍聞いても いい言葉 これから先も 心掛けたい」

  「六十億 いるというのに この家族 思えば不思議 だから大事に」 


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shin-1さんの日記

○雨の中の運動会

 今日は台風崩れの低気圧や前線の影響で昨日に続いて雨の朝となりました。順延していた運動会も忙しい親の都合で先送りすることが出来ず、開始時間を1時間遅らせて開催する旨の有線放送が流れました。私は宇和島から人間牧場へお客さんが来るので、雨の降る中トラックで出かけました。一時はワイパーも早送りしないといけないように降っていた雨も、11時頃には上がって少し薄日の刺す天気にまで回復しました。

 宇和島からやって来た人たちは私にNPOを立ち上げるためにはどうしたらよいか相談にきたのです。最近は福祉や教育の分野に限らずまちづくりにおいてもNPO立ち上げの動きがあり、平和運動を目指しているこの方々もNPOへの関心が深まっているようでした。私はNPOについては詳しくないので窓口となる行政機関や相談する相手を紹介しながら、水平線の家に置いてあるNPOに関する図書類を貸してあげました。二人の女性は今回が2度目ですが、ご主人は初めてとあって、私たちが話している間自分でカギを開けて人間牧場のあちこちを見学していましたが、やがて納得したのか3人で下山されました。

 私は居残って今週末に予定されている母親の7回忌用のシキビを取りました。人間牧場内には死んだ母親が植えたシキビと梅林を買った時一緒についてたものが結構あるのです。母親もまさか自分が植えたシキビが自分のために使われるとは夢にも思わなかったに違いありません。私は相手がいたのであいにく運動靴だったため、雨に濡れた畑へは入れず、道端の比較的濡れない場所での採取となりました。そのため横向きの葉っぱが多く、また親父に文句を言われそうでしたが、まあいいかと諦めて二束束ねて車に積みました。

 帰りに妹の「くじら」という名のお店に立ち寄り、世間話や他愛のない馬鹿話をしてシーサイド公園まで帰りました。シーサイド公園は連休ということもあって雨にもかかわらずかなりの人が来ていました。友人も沢山たむろしていましたが、午後1時から運動会の午後の部が始まるというので覗いてみる事にしました。



 



私はこの小学校の学校評議員をしているので、毎年丁寧なご案内があるのです。校長先生や教頭先生と会釈を交わし、少しの間見学させてもらいました。運動場は思ったほどのぬかるみもなく、子どもや先生の背中には尻ばねの後が幾つも見えて、雨で途中中断の跡がくっきり残っていました。私は雨の日の運動会を提唱しているので、まさに今日はラッキーだと思いました。

 午後の部の最初は来年就学する子どもへのプレゼント渡し、そして綱引きと続きました。来年も子どもの数は20人を切っていますし、これからも子どもの数の増加は望むべきもありませんが、子どもたちはみんな元気いっぱい競技していました。

 早めにおいとまをしましたが、校門近くで異様な光景を目にしました。校門の外で4~5人若いお母さんたちがタバコを吸っているのです。運動場では吸えないので校門の外で吸っているのでしょうが、世の中変ったと思いました。女性がタバコを吸ってはいけない法律は何処にもありません。タバコを吸うことは自由だし、女性を偏見で見る私自身が可笑しいのかも知れません。でも子どもが演技をしている最中に母親がタバコを我慢できないのもおかしな光景だと思い学校を後にしました。

  「校門の 入り口付近に たむろして タバコ吸ってる 母親哀れ」

  「来年も 二十を下る 子どもたち 風船貰い はしゃぎながらも」

  「ぬかるみの 中でオーエス 綱を引く 足跡くっきり 運動場に」

  「万国旗 テント紅白 プログラム 鉢巻帽子 黄色声援」



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shin-1さんの日記

○今日は久しぶりの雨です

 今年の夏は90年間生きてきた親父に言わせても暑い夏だったようで、台風がやって来た8月2日から四国愛媛県伊予市双海町では雨らしい雨が降らず、全て焼き尽くすような猛暑に見舞われました。今年から始まった気象庁の真夏日より一ランク上を猛暑日という表現も当たっていたと思うのです。

 今日は朝から久々に雨が降ったりやんだりのシトシト降りで、庭も畑もすっかり濡れて、植物は当然のことながら庭石までも精気が蘇えったように見えるから不思議です。ましてや待ちに待った天の恵みで数日前に蒔いた大根の種が貝割れ大根のように二葉を出して芽吹き始めているようです。書斎の吐き出し窓から見える庭石に宿っているノキシノブの葉っぱも少し黄色くなっていましたが、今日は緑が眩しく感じられます。

 今日はこの地域では小学校の運動会が開かれる予定でした。朝6時には「今日は運動会を行います」と有線放送がありましたが、1時間後には「今日の運動会は中止です」と訂正の放送がありました。もう一つの小学校では「時間を遅らせて10時から運動会をします」とこれまた苦しい胸のうちの放送がありました。私は中止になった小学校の学校評議員をしているので、今日は午前中日ごろの不義理を詫びに運動会でも見に行こうと思っていた矢先の出来事だったので少々落胆しました。近所の人の人が立ち話をしていました。「あれほど雨が降らないといっていたのに、よりにもよって今日雨が降るとは神も仏もないものよ」とか、「校長先生は運が悪い」とか、はたまた「子どもが可哀想」など思い付きの話をしていました。神様や仏様、校長先生や子どもたちの都合で雨が降るのではなく降るべくして降るのですから、文句のつけようがないのです。

 今日は地元の敬老会です。自治会では毎年75歳以上の高齢者を対象に地元公民館で敬老会を行なわれています。この雨でおじいちゃんやおばあちゃんの出席の足も少し遠のくのではないかと思われますが、自治会長をしていた去年まではこの日は大変な忙しさでした。2ヶ月前から用意をして事に望むのですが、名簿の調製という入口でつまずいた苦い経験があります。昔は役場へ行けば該当者の名簿をいただきましたが、今は個人情報保護法という法律が施行されて以来行政のガードが固く、名簿は正式な手続きをするし、目的以外には使わないといっても駄目でした。27人いる組長さんにお願いして名簿をつくりましたが、これが中々骨の折れる仕事でした。自治会長就任の年に敬老会の料理が元で食中毒が起こり、保健所や市役所を巻き込んだ大きな事件に発展、料理を提供した料飲業者は営業停止にまで追い込まれました。妻は「お父さんは何かにつけてドラマチックな人生だねえ」と他人事のようにいってくれますが、その当時はかなり心配したものです。

 雨が小降りになったので妻はプランターの花の植え替えを始めました。夏の花が終わったので冬用の花をこれから植えるのでしょうが、途中で雨足が強くなり妻はびしょ濡れ「水も滴るいい女」になりました。「野良が仕事をすると雨になる」と私が冷やかしましたが、結局花植えは明日に延期となったようです。

 出来たばかりの地下室に親父の作ってくれたスノコを入れて敷き、梅干しの壷や瓶を大移動しました。私も汗と雨でずぶ濡れで「野良が仕事をすると雨にある」と妻から逆に笑われてしまいました。お相子です。

 それにしても今日はいい雨、お百姓さんにとっては恵みの雨かもしれませんね。

  「人間の 都合無視して 降る雨を 悪口言う人 こちらの都合で」

  「木も石も 雨に降られて 何処となく 元気回復 夏から秋へ」

  「雨音も 耳を澄ませば いい音色 外に置きたる バケツがリズム」

  「朝早く 有線放送 延期です それより早く 苦汁決定」 



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○もう二つのブログ

 私にこの度もう2つのブログが誕生しました。一つはえひめ地域政策研修センターが年4回発行している舞たうんという雑誌に前回から「特選ブログshin1さんの日記」という連載コーナーを設けてもらったのです。舞たうんにはこれまで「若者と地域づくり」というタイトルで10回ほどシリーズで書かせてもらいましたが、清水研究員の計らいで新しい連載を書く事になったのです。2007・7月号のテーマが食育だったので、食に対する私の思いを書きました。清水研究員からの注文は私の食生活をも含めて書いて欲しいと、わざわざわが家の食卓の写真まで撮影に来る念の入れようです。一本の原稿でもこのようにこだわって書くと私自身もかなり力こぶが入って、それなりの出来に仕上がりました。原稿はさておき清水研究員の苦労は原稿をいかに美しく、そして読者に対しいかに読む意欲をそそるかですから、全霊を傾けての編集となったようで、こだわりの2ページは何度も何度も校正をしました。特に感心したのは私の記事の中に少し違和感を感じる記述があったのを様々な角度から調べ修正を加えてくれたことです。原稿が間違ったり変な記述で印刷されて世に出ると、印刷物が独り歩きして多くの人に迷惑をかけることは、長年文字の世界と関わってきた私には痛いほど分るのです。文字が残るだけに仕上げの部分は慎重な上にも慎重を期さねばなりません。

 清水研究員が自信を持って世に送り出した7月号は素晴らしい出来栄えでした。コンパクトながら食育という今日的テーマに深く食い込み、私は食育のバイブルとして使っているし、あちこちからリンキャベ(リンゴとキャベツを組み合わせた私の造語)なる言葉の反応も随分いただきました。

 舞たうん2007・10月次号の編集は、伊予市役所から出向している松本研究員の担当です。原稿は既に入稿され最終校正がメールでやり取りされています。少々先走った予告になりますが次号は「学校」がテーマだそうで、松本研究員にとっては編集長として初めての大仕事です。ご期待をお願いします。

 さてもう一つのブログはこの度愛媛新聞社がウェブサイト「自悠クラブ」を立ち上げるそうです。そのサイトに私も執筆人の一人として関わる事になりました。2週間に1回程度、つまり1ヶ月に2本程度の記事を書くよう依頼されていますが、800字から1000字程度のショートな記事に写真をつけてEメールで送るようなシステムになっています。既に記念すべき第1号の記事は送付しました。私のコーナーは田舎暮らしの楽しみ方を書くのです。団塊の世代をターゲットに面白い楽しい記事を書きたいと腕まくりをしているところです。

 昨日私は軽い風邪をひいてしまいました。地下室の掃除をして汗をかき、シャワーを浴びて転寝をしたのが悪かったのかも知れません。でも日ごろ薬を飲まない私は妻の用意してくれた市販の風邪薬を2錠飲んだだけで今朝はケロリです。妻が言うには「退職してからこの2年余り、ブログを書くようになったりインターネットをするようになったせいもあるかも知れないけど、パソコンの前に座り書斎で過ごし時間が多くなったようよ。もう少し体力をつけないといけない」と腰の具合や風邪引きを引き会いに出しながら注意してくれました。そういえば今朝も既に朝2時間もパソコンの前に座っています。確かにパソコンに向かい合う時間が多くなっているようです。気をつけて体力づくりに励みたいものです。

  「そういえば ブログを書いたり メールする 時間長くて 運動疎か」

  「趣味は何? 尋ねる人が いるならば ・・・・・・・ 答えられずに」

  「ブログ書き 二年もやれば 中だるみ 少し飽きたな 次何しよう」

  「下手糞な 文も飾りで 化粧すりゃ 見違えるよな 文に変身」

   


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