人間牧場

〇蚊帳の外

 「蚊帳の外」という言葉があります。みんな知っているのに自分だけ知らないことや、自分だけはせだにされていることを言うのでしょうが、先週土曜日、私が塾長を務める年輪塾の学習会が大洲市を会場に行なわれました。この日は前もって私の都合が悪く出席できないことを、塾頭である清水さんにだけ告げていました。私は講演等で年中出歩いていて、講演の予定など早いところは1年前からスケジュールが入るのです。年輪塾のあるその日は例年大洲市田処のほたる祭りで、この20年ほど亀本さんや西田さんとのからみもあって、欠かさずほたる祭りには妻を伴い仲間を誘って出かけていましたが、義理もあって今回はどうしても断わり切れなかったため、止む無くの欠席と相成ったのです。

 年輪塾は清水塾頭が管理してくれている年輪塾ネットで、情報のやり取りや交流を日常的にやっています。ゆえに年輪塾への参加申し込みや資料の提供、日常の話題などはメールでやり取りをしています。それらを拝読する度に少し自責の念に駆られ、また年輪塾が終って感想が寄せられる度に少し胸が痛みました。まさに蚊帳の外の淋しさです。リーダーたるものはいかなる時も言い訳などできるはずもありませんから、今回は言い訳のメールも書かず、時の流れに身を任せて、通り過ぎるのを待っているのです。
 蚊帳の外にいて気がついたことがあります。それは年輪塾を開塾して7年目になりますが、いつの間にか年輪塾は私がいなくてもしっかりと自立した学習ができているという事実です。

 組織の最初は強烈なリーダーシップがないと成り立ちません。しかし何時までもリーダーが中心になって引っ張り過ぎると、組織疲労を起こして崩壊へと向かうのです。年輪塾は未熟期から半熟期を経て完熟期を迎えつつあることを実感しました。年輪塾は塾長の私と、塾頭の清水さん、筆頭塾生の浜田さん、大番頭の米湊さん、それに小番頭の松本さんの5人でこの7年間運営して来ましたが、私の立ち位置は徐々にお飾りのようなものになりつつあるということも事実なのです。
 さりとて蚊帳の外の人がいつも口癖のように言う、「知らなかった」「聞いていない」などの言葉を吐くつもりはなく、「口は出さない」「責任は取る」くらいな覚悟はできているつもりです。

 まちづくりに関わる活動や運動に関わり始めたのは、18歳で青年団に入ってからでした。気がつけばもう50年を越えて活動や運動をしているのです。妻から「お父さんいつまでするの?」と言われる度に「死ぬまでだ!!」とうそぶいていますが、一方では70歳の大台を間もなくを迎えるに当たって、「もうそろそろ」という迷いもちらついています。人間牧場を活動拠点として自費整備した時決意した「死ぬまで」は、決して緩いでいませんが、時には「蚊帳の外」に出て自分自身や組織を外から見つめ直すことも必要だと実感しているこの頃です。
 さあもう一分張り頑張ってみましょうか。

  「蚊帳の外 出てみて分る こともある 組織は本来 自立を目指す」

  「蚊帳の外 メール読む度 少しだけ 関われなかった 心の痛み」

  「七年で 年輪塾も 完熟し 私の存在 なくても自立」

  「蚊帳の外 時荷は出るも 意味がある 蚊に刺されたが 抗体できる」

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