shin-1さんの日記

○私の心に潜む夕日のDNA

 やはり私の体内には夕日のDNAが潜在能力としてあるのでしょうか。昨日は朝から曇り空で、「ああ今日も夕方夕日は見えないだろうなあ」と諦めていました。西予市の公民館連絡協議会の総会での講演を終え、松山での小集会に出席するため、懇親会を僅か10分で切り上げ岐路に着きました。本来なら宇和インターチェンジから松山まで高速道路を走り予定でしたが、夕日が見たくて国道56号線から大洲~長浜~国道378号~双海の道を選びました。

 長浜まで帰ると西瀬戸を夕日がおぼろげながら照らしていました。この時期の夕日は確か6時40分頃だと、幾分スピードを上げようとしましたが、こんなときに限って前をノロノロ運転の大型トラックが道の行く手を妨げているのです。車のバックミラーに写る夕日は少しずつ状況を良くして期待が持てました。

 夕日を見る絶景のスポットは何と言っても下灘駅です。下灘の国道を右折して下灘駅に行きました。車を止め持っていたデジカメを取り出し自慢でもない腕で駅の風景や夕日を狙いました

若松進一ブログ

(駅舎の待合室から夕日を望む)
若松進一ブログ
(フーテンの寅さんも寝そべったプラットホームベンチを入れた夕景)

若松進一ブログ

(ローカル線海岸周りの列車の窓越しに見える夕日)
若松進一ブログ
(少しアップした2010・4・23のメモリアル夕日)

 この日は折からの季節はずれの寒波で少し肌寒いためか、またさっきまで曇り空で夕日を見ることができないと思ったのか、私以外は誰も駅構内にはいませんでした。運よく夕日が沈む頃予讃線海岸周りの列車が入ってきました。何人かの昇降客が私の前を通り過ぎましたが、みんな無造作に襟を立て寒そうに足早に、夕日を見るでもなく家路へと急いでいるように見えました。

 一度雲の中に隠れたのに、夕日が雲の切れ間から再び夕日が顔を出し、何と二度も夕日を拝むことができたのです。これも夕日への思いをもって生きている私の役得だと強運を一人喜びました。秋の夕日に比べ春の夕日はどちらかというと余韻が少ないのが特徴です。それでも夕日は沈んでからしばらくベンチに座ってポケットの名刺入れの中から裏白な名刺を取り出して、思いつくまま短めの詩を作りメモをしました。


 帰ろうと思い駅舎に入りました。駅舎も随分様変わりして、最近は日喰老人会の皆さん、特に私の従兄弟である西下芳雄さんが色々と世話をしてくれて、すっかり綺麗になっていました。いやはや嬉しいことです。花が活けられ、掲示板には着た人に諭すようにさりげなく西下芳雄さんの書いた言葉が張ってありました。西下芳雄さんも私に似て、いや私に輪をかけた凝り性なのです。この様子を見て今日一日の幸せを思いました。

若松進一ブログ
若松進一ブログ
若松進一ブログ

  「よし!夕日 見ようと国道 ひた走る 間に合い駅で 夕日を拝む」

  「何故なのか 分からぬけれど 夕日好き 心に潜む 変なDNA」

  「殺風な 待合室も 人の手で 心の和む 場所に変身」

  「掲示板 張った言葉に 感心し 思わずパチリ 写真に収め」

[ この記事をシェアする ]