○あらしやま山荘を訪ねる②
年輪塾塾頭清水さんは生家をあらしやま山荘と名付けています。京都の嵐山を思い出すあらしやまという名前は、どうやら荒れる=荒らす=あらしやまの方が近いのかも知れませんが、標高200メートルの標高と石垣を築いた立地は、垂直思考の沸く場所であり、この場所で育ったことが清水さんのものの考え方の基底だと納得したのです。
年輪塾の塾頭を勤め、年輪塾ネットの管理運営を一手に引き受けている清水さんとの出会いは7年前に遡ります。JAから出向してえひめ地域政策研究センターへやって来ましたが、今までのどの研究員とも毛並みの違う閑挙げにすっかり意気投合し、以来何かにつけて相談したり、特に人間牧場で立ち上げた年輪塾のブレーンとして今日まで袂を分かち合っているのです。
清水さんが担当した舞たうんの表紙絵に柳原あやこさんの書いたあらしやま山荘の絵が使われていたことを思い出しました。桜の咲いた頃の絵だったので、「あの桜はいつ咲くのか」「桜が咲いたら花見でもしよう」などと相談を持ちかけていましたが、これまで忙しくて一度も実現していませんでした。一週間後に迫った年輪塾の打ち合わせを兼ねて花見をしようということになり、米湊大番頭、松本小番頭、地元の菊池さんを誘い、私を含めて5人だけの小さな花見となりました。
(雑誌舞たうんの表紙絵はこんなアングルだったと記憶しています)
(資料の中から出てきた舞たうん89号の表紙絵、上の写真と比較して見て下さい)
漆塗りの座敷に陣取り、座卓を囲んで早速清水さんが友人に特注して作ってもらったという幕の内弁当を広げました。地産で旬にこだわった会費千円の弁当は、私にとっては採光の贅沢のような花見弁当で、美味しい弁当に舌鼓を打ちながら端楽しい話に花を咲かせて、最後は清水さん自らが焼いた美味しいケーキをいただきながらお茶を飲み、3時間もゆったりとした時を過ごしました。お暇する前庭に出て奥さんを交えて鼻をバックに記念写真を撮りました。
帰りは私のわがままを聞いてもらい、金山出石寺経由の道を走り、見返り坂から春霞に煙る八幡浜湾の素晴らしい眺望を堪能し、途中で出石寺のお参りをしました。松本さんと麓の長浜町豊茂を訪ねた時雪の中を出石寺に参拝したことが思い出されましたが、この日の出石寺は、地元に人が沿道に植えたアジサイの新芽が顔を出し、八重桜も満開の少し肌寒い天気での参拝となりました。
お参りの途中に宇和島の小林さんから電話が入ったり、岡山へ結婚式に出席している高知県馬路村の木下さんと電話で交信したり、三人寄れば何とやら、酒の勢いもあって車内は相変わらず賑やかでした。
不注意にも給油を忘れ給油警告ランプが点灯する中、どうにか下灘の綿井給油所までたどり着き、松本さん、米湊さんをそれぞれ降ろして楽しい一日を終えました。
「気心の 知れた仲間と 呑む酒は 心浮き浮き 話も弾む」
「雪の中 かつて訪ねた 山寺は 今を盛りと 桜花咲く」
「塾仲間 誘って今夏 この地にて 塾を開こう 話まとまる」
「大変だ 給油警告 ランプ点く ガス欠不安 山道下る」