○阪神淡路大震災から15年
大きな災害をもたらした、平成7年1月15日朝に起きた阪神淡路大震災から、早くも15年の歳月が過ぎ去りました。あれほどの大惨事をテレビながら目の当たりにしたのは初めてだったので、当時はかなりのショックと恐怖を覚えていたものの日々の雑事に追われ、記憶の中から消えようとしているのですから人の記憶もいい加減なところがあるようです。
21世紀えひめニューフロンティアグループでは、毎年一回会員の意見を聞いて国内の世界遺産を巡る旅を実施していますが、今年は奈良を中心に回ることにしました。10人乗りマイクロバスレンタカーを借りて、河野、田宮両氏が運転をしてくれました。
普通は瀬戸大橋か徳島自動車道を走るのですが今回は、松山道~高松道~大鳴門橋~淡路島~明石海峡大橋~奈良のコースを走りました。せっかくだからと淡路島の北淡インターで下りて、北淡町にある震災記念館に立ち寄りました。私は3度目なのですが、初めての会員が殆どだったため、大震災で動いた野島断層の姿を見てみんなびっくりしていました。
(記念館に入るとへし折れた高速道路と落下したトラックが無残姿で展示していて衝撃を受けました)
(地面が割れ動いた野島断層の模様が当時のまま保存されていました)
(当時の大震災にあった家屋台所内部もリアルに再現されていました)
(当時の惨状を伝える新聞)
(被災した家屋)
(避難民で埋まった体育館)
(仮設住宅村)
記念館には地震体験設備もあって、マグニチュード7の地震を体験しましたが、縦横に揺れる地震は想像以上に凄いものでした。当時私は小額ながら義捐金だけしか復興のお役には立てませんでしたが、役場に勤める元消防士がボランティアとして現地入りして活動した話を思い出しました。
日本は地震大国といわれ、これまでにも沢山の地震が起きています。また歴史上では地震による津波によって沢山の人が犠牲になりました。いつ来るか分からない地震や津波への備えをと、行政は防災教育に熱を入れていますが、相変わらずその歩みは国民の丁重な意識に翻弄されているようです。
奇しくもこの阪神淡路大震災が引き金になって、ボランティア活動の必要性が認識されましたが、これさえも記憶の彼方へと追いやられそうな雲行きなのです。
忘れまい戦争の悲劇、忘れまい阪神淡路大震災の被害と悲劇、忘れまいボランティア精神・・・・・。
「久方に 震災惨事 目の当たり 記憶戻りて 心消沈」
「断層が 動いた姿 驚嘆す 自然の力 侮るなかれ」
「今はもう 完全復興 しているが 心の傷は 癒えぬままにて」
「もし俺が 地震に会えば どうなった しみじみ思う 自身の非力」