〇自家製ひじきを作る
わが家は代々漁師の家系です。祖祖父、祖父、父と3代続いて漁師をしていました。漁師の長男に生まれたゆえに私も子どものころから漁師になるものと家族も自分も思っていました。親父は漁協の役員をしていて、母も漁協婦人部の部長をしていました。ある意味物分りのいい両親に恵まれたため、当時は中学校を出ると高校へ行かずに漁師になる人が多い時代でしたが、高校を卒業してからでも遅くはないと、私と中学校の先生とのわがままを聞いてくれ、水産高校へ進学させてくれたのです。
今にして思えばこれが間違いの始まりでした。水産高校の練習船愛媛丸で南太平洋珊瑚海まで航海した私は、地球が丸いこと、日本以外の国に行ったことなどなど、まるで咸臨丸で勝海舟や福沢諭吉がアメリカへ行った時の驚きにも似た価値観の変化に目覚め、青年団活動などを経て体を壊し役場に入ることとなったのです。
その結果60歳で役場を退職するまで実に35年間も公務員生活を送り、わが家は親父の老化とともにいつの間にか漁家でなくなってしまったのです。それでも漁村に親類の多い本家の跡取りですから、従兄弟が漁協組合長をしたり、自らも若い頃役場で水産行政を担当して荷さばき所や漁村センターを造ったり、ウォーターフロントにシーサイド公園を造って漁協女性部のじゃこ天作りに関わったため2年前から愛媛海区漁業調整委員をやったりして、漁業とは今も縁が切れないのです。
そんなこんなで海のこととなると血が騒ぐのですが、一昨日所要でシーサイド公園へ出かけました。久しぶりに海に突き出た突堤を散歩していると干潮の海に海草のひじきが美しくなぎさに漂っていました。このままにしておくのは勿体ないと思い、早速家に帰ってキャリーと鎌を持ってひじき刈りに出かけました。折りしも南風が吹いて天気は荒れ模様となり雨も降り出したことから、キャリーに二つ採って引き上げてきました。
昨日はこれまた朝から南風の大嵐が吹きましたが、親父と二人風下の東屋にドラム缶を切って造ったかまどと大きな釜を持ち出して、早速自家製ひじきを作ることに挑戦しました。お釜の底に十文字の綱を敷き、その上に山盛りひじきを乗せ、少しだけ水を入れて早速火入れをしました。時折南風が突風となって吹き付けましたが、早朝6時過ぎから作業をしたため十文字の綱で上下ひっくり返すこともできて、9時には火を止め夕方までそのまま蒸しておきました。
夕方冷めたひじきを取り出して、昨晩夕食に使う分を水洗いして灰汁を取り、妻はニンジンやじゃこ天とともにひじきの煮物を作りましたが、柔らかくてとても美味しいひじきに仕上がっていました。
今朝は南風も収まったようなので、ひじきを釜から取り出して、作った干し場に干して感想ひじきを作る計画です。こうすれば一年中のひじきを味わうことが出来るのです。海草ひじきはミネラルを含んだ健康食品なのでこれから一年は大好きなひじきを折に触れ味わうことが出来るのです。漁師の家系ゆえに何かとても得をしたような感じのする二日間でした。
「突堤を 散歩していて ひじき見る 早速刈って 自家製ひじき」
「いや美味い 綺麗な海の 贈り物 これさえあれば 海草摂取」
「元漁師 ゆえに自家製 ひじき出来 親父と二人 知恵の伝承」
「火の番を する親父さん 顔赤く 焚き火が照らす 春が来たよと」