shin-1さんの日記

○山草(やまくさ)取り

 正月の決め飾りづくりに欠かせないものにウラジロがあります。私たちの地方ではウラジロのことを別名山草(やまくさ)とよんでいますが、近年里山が荒れてこの山草が中々見つからないのです。数年前まで私にはとっておきの山草の繁る山があったのですが、そこら辺まで行く路も雑草に覆われて行けなくなったため、別の山を探していました。数年前裏山に登って茂みに分け入るとそこには余り広い場所ではありませんが山草がいっぱい生えていました。誰にも気づかれな場所なのでまだ誰も取りに来ていないらしく、自宅からわずか数分のところなのでここ数年はしめ飾りをする直前になって山に分け入り、簡単に取れるとあって今も重宝しているのです。


 昨日は昼食を終えた午後から長靴を履き作業着に着替えることもなく、軍手をはめてその山へ分け入りました。ところが最近この場所を誰かが見つけたのか先客がいるらしく、既に足で踏みつけたり、取ったものの気に入らなくてそこら辺に捨てた山草が何枚か見つかりました。それでもまだ先の折れていない山草が私には充分なほどあり、ものの10分ほどで採集を終わりました。ヒノキ林の中なので山は静寂そのものです。天を見上げるとそれぞれの木が青い初冬の空にすっくと立って梢を伸ばしていました。どの木々も不可侵の原則を守るように枝と枝が微妙に自分の領域を守っているのです。

 その横の雑木林に入ってみました。クヌギやナラの木々はすっかり葉を落とし、枝は冬枯れの姿で寒そうに立っていました。


 みかんが繁華なころは耕して天に至ると形容された段々畑も、過疎と高齢化、それにみかん価格の低迷で耕作放棄地が目立って増えてきました。熱心な人はみかんを伐採して杉やヒノキに植林していたようですが、その植林さえも手が回らず、枝打ちや草刈りをしないため山一面をカズラが覆っているようなところもあります。また使わなくなった農道も草刈りなどの整備をしないため、車の通行さえもできないようになっているのです。

 このままの状態が続くとわが町の農地は10年後には、便利な田んぼを覗いて殆どなくなるのではないかと心配しています。加えて最近わが町ではイノシシが多く出没し、悪さの限りを尽くしていて、農家も色々と知恵を絞ってガードしているのですが焼け石に水といったところで諦めているようです。今のところ他地域に見られるような鹿や猿の出没は報告されていませんが、やがて農地の野生化が進めば現れるかもしれないと心配しています。


 農業と漁業以外取りたてて産業のないわが町が、こうして右肩下がりの方向に進むことは寂しいことです。出会う人の言葉は殆ど現状への不満と将来への不安の話ばかりです。挙句の果ては「楽しそうに生きているあんたが羨ましい」と人の姿をねたむのです。確かに年金暮らしになり、何の不安もなさそうに楽しく生きる私を見ると羨ましいのかも知れませんが、それは私が楽しく生きるための確固たる信念を持って生きているからに他ならないのです。人を羨んだり今を下げすんでも何の解決にもならないことを自覚しなければ、生きている意味がないのです。

 幸い私の周りには生きる意味を持って生きている沢山の仲間がいます。その人たちに出会うと勇気をもらうし、今以上に頑張らねばと心に拍車がかかるのです。いい生き方をしている人の周りにはい生き方をしている人が集まります。私が常々言っている「人でも仕事でも愛する所に集まって来る」という言葉の意味はそういうことなのです。山草を取りながら来年も頑張ろうと心に誓いました。


  「山草を 取りに近くの 山に入る ものの十分 採集終わり」

  「畑荒れ 農道荒れて 見る影も 無きに等しい 心が痛む」

  「合う度に 諦め似たり あきまへん この言葉しか 知らないのかな?」

  「電気柵 ものともせずに イノシシが 暴れまくりて みんなお手上げ」

 

 

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