shin-1さんの日記

○私の今年の10大ニュース

 一昨日妻から、「お父さん、もうそろそろ年賀状の印刷をした方がいいんじゃないの」と言われました。ああそうかもうそんな時期かと遅ればせながら思いつきました。早速昨年の年賀状を引っ張り出しました。といってもパソコンに保存している昨年の原稿ですが、年賀状に印刷しているのは「あてところに尋ねあたりませんでした」と行き先不明で帰ってきたものです。

若松進一ブログ

 これがスキャナーに読み込んだ昨年の私の年賀状です。私は毎年このような年賀状を作成しています。友人の中にはもう目が薄くなり、「小さ過ぎて読めない」と不評を囲っていますが、「青春の履歴書」と書いた年賀状は私のその一年の生きざまなので変えようとも思っていないのです。「なんで青春の履歴書なんだ?」と問われれば、今より若いころの出来事は昨日でも全て青春と位置付けているのです。

 さて私の今年の10大ニュースはと、予定表を繰りながら抜き出してみました。人から見れば他愛のない出来事なのですが、それでも私にとってはこれぞ青春の履歴書なのです。

 ○1月5日  愛媛大学農学部客員教授の辞令を泉農学部長から受けました。

 ○2月24日 生まれて初めてオホーツク海の流氷の上に立ちました。

 ○3月19日 長年務めた愛媛地域づくり研究会議の代表運営委員を退任しました。

 ○4月4日  私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアGで、昨年の熊野古道に続いて世界遺産広

         島原爆ドーム・安芸の宮島・石見銀山を訪ねました。

 ○5月19日 四人目の孫若松奏心君が誕生しました。

 ○8月22日 人間牧場で地域マネジメントスキル講座2日間で15時間の集中講義を行いました。

 ○10月17日 人間牧場かまど小屋が完成し火入れ式を行いました。

 ○11月5日 私が書いた論文が明日の日本を創る協会振興奨励賞を受賞しました。

 ○11月7日 ノンフィクション作家佐野眞一さんを招き年輪塾公開セミナーを行いました。

 ○12月9日 愛媛大学法文学部非常勤講師として7年目の授業が終わりました。


 もっと価値のある項目があるのかも知れませんが、まあ今年一年も可もなく不可もない健康に恵まれた一年でした。講演も大小100回を超え多くの新しい出会いもありました。また今年10月3日の誕生日には目出度く65歳の高齢者になるなど、知力と体力、それに気力のバランスが微妙にずれ始めたことを実感しながら新しい歳を迎えようとしているのです。それでも今年は夕日徒然草・水の書も無事発刊し、来年度はいよいよ夕日徒然草・火の書発刊に向けて潜在能力を顕在化しなければならないと思う今日この頃です。

 妻の忠告を聞いて年賀状も印刷屋へ発注しました。あとは出来上がった年賀状の宛名書きです。


  「はて今年 わが身の上に どんなこと ページめくりて あれやこれやと」

  「字が細(こま)い 目薄い友が いつもいう 直す気などは さらさらなくて」

  「今年また かくてありなん 来年も 変わらぬように 生きて行きたい」

  「人見れば 他愛のないこと ばかりなり それでも俺にゃ それぞれ大事」 

 


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shin-1さんの日記

○無縁な世界での有縁

 世間狭しとばかりに日本中を毎日、うごめくように動く私ですがまだまだ無縁世界が多く、時々ハッとするような世界を経験することがあります。昨日もそうでした。今年の9月、少年院とでもいうべき松山学園からの依頼で四国管区の研修会に招かれたご縁で、昨日は松山調停協会の研修会に招かれました。裁判所で調停員として活動している人の集まりなので、一見無縁だと思われる世界なのでしょうが、「呼ばれたら刑務所以外何処へでも行く」と日ごろから言っている私なのに、どういう訳か裁判所内に事務局がある調停協会からの招きなのです。

 雨模様な天気だったので、会場となった松山第一ホテルへ少し早目に行きました。一回のロビーで新聞でも読んで時間調整しようと思い新聞を広げた矢先、私の従兄に声をかけられました。従兄は刑務官として全国の刑務所を転々とし、刑務所長をしていた縁で退職後調停員として活動しているのです。この日の研修会にも出席して、講師控室で私の話相手を努めてくれました。会場には無縁な世界なのに有縁な人が何人かいて、懐かしい声をかけてくれました。

若松進一ブログ

 講演が始まる前、私の紹介をする女性がやって来ました。ご主人は私と一緒にコープえひめの役員をしている向井さんで、わが家にも来られたことのある見慣れた素敵な女性です。私のホームページから引用したという講師紹介文を見て欲しいと言われましたが、私はそれほど偉い人間ではなく普通のおじさんでいいと言いつつ、適当にといってあえて読みませんでした。

 やがて向井さんの講師紹介で講演を始めましたが、向井さんの紹介言葉が耳の奥に残っていて、アドリブな話ゆえ、不思議なことにそのような流れで話が進んで行きました。講演は大盛況でした。日ごろ笑いと無縁の団体故笑いや拍手がとても新鮮に跳ね返って来ました。

 講演が終わると時節柄懇親会が予定されていて、私も末席と思いきや主賓席に案内されました。その席には地方裁判所長、家庭裁判所長、弁護士会会長、調停協会会長など、胸のバッジ輝く錚々たる人たちでした。調停協会の会長さんの気を見て敏なる話にも驚きました。

 もっと驚いたのは松山地方裁判所所長の祝辞です。いきなり先日私が主宰して開いた年輪塾に参加した話が飛び出しました。私は顔から血の気が引くのを覚えました。だって当日は80人もの人が集まり、どの人も自分の役職など伏せて一私人として参加しているため、まさか裁判所の所長さんが参加しているなどと努々思わなかったのです。所長さんは年輪塾、宮本常一、人間牧場ウォーク、鼎談、鱧弁当などを克明に覚えていて皆の前で私を紹介しながらユーモアたっぷりに話していただきました。穴があったら入りたいくらい恐縮してしまいました。

 酒宴が始まりたしなみ酒が配られましたが、酒の飲めない私はウーロン茶でごまかし、次の予定もあって早々に引きあげ、会場を後にしました。無縁な世界と思っていたのに有縁ありて、この日もまた深いご縁をいただきました。降り出した雨の中を立体駐車場までわざわざ送ってくれた従兄から、「今度21日には高知刑務所での講演、よろしく頼むね」と、早くも次の講演予定を確認され、無縁な世界が有縁な世界へと次第に広がってゆく様を実感しました。

  「無縁だと 思って参加 したものの 有縁ありて 多少驚く」

  「一私人 貫き参加 していたと 聞いてびっくり 縁はいなもの」

  「ネットから あなたのことを 調べたと 微細紹介 汗顔いたり」

  「聞き慣れぬ ゆえに新鮮 だったのか 爆笑拍手 あちらこちらで」

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