shin-1さんの日記

○ささやかなわが家のボーナス日近づく

 このころになるとボーナスの話がよく出てきます。35年間役場に勤務して夏と冬のボーナスを少ないながら貰っていたわが家にしてみれば、4年半前にリタイアしてからボーナスという言葉には縁がなくなって、ボーナスの話を聞く度に昔を懐かしく思い出すのです。よくしたものでボーナスが出るころは銀行員も郵便局員もすっかり顔なじみになっていたのに、足元を見られてかすっかり顔を見せなくなって、銀行や郵便局の窓口へ行っても顔見知りもいなくて戸惑うばかりです。年金受取窓口争奪戦も昔話となって、金融機関へ顔を出す機会も指で数えるほどになってしまいました。

若松進一ブログ
(間もなく開封されるわが家のボーナス貯金箱)

 新聞によると今年の官公庁のボーナスは、不況の影響で民間ベースに合わせるため前年比を5~6パーセント下回るのだそうです。役所に勤める友人に会えば「旧龍やボーナスが減った」と嘆いていますが、「ボーナスが出るだけ幸せに思え」とまるで他人事のように言いながら、ボーナスの出ない悔しさを噛みしめているのです。

 ボーナスが出なくなった時、私たち夫婦はせめて年一階でもボーナスが出るようにしようとある作戦を考えつきました。貯金箱貯蓄です。毎年年末になると缶詰風の貯金箱を百円ショップで2個買ってきます。一個でよさそうなものなのですが、一個はわが書斎に、もう一個は居間に置きます。そして講師料などをいただくとその端数小銭を入れて行くのです。時には大判振る舞いでお札まで小さく折って入れるのです。小銭ゆえ重さの割に金額はそんなに多くありませんが、それでも年金が出た月などにも入れるので結構増えて、年末が近くなると妻は貯金場kを空けるのが楽しみだと言っています。

 今ではすっかりわが家の恒例行事となった22日の貯金箱を開ける日が近づいてきました。本当は23日を2(ふた)3(み)の日としているため23日に開けたいのですが、前日22日の夜にいい夢を見て23日を迎えたいという妻の意見でそうしているのです。

 私が昔貯蓄推進員(金融広報アドバイザーとして今も続いている)という仕事に携わっていた関係で、わが家には時々やって来る孫のために一つ一つ貯金箱を用意しています。来ると孫たちは「おばあちゃん、貯金箱にお金を入れて」と持って来ます。そんない多くは入っていませんが、それでも1円や10円を入れてやると孫たちは大喜びでガラガラいわせながら遊び道具に使っているのです。

 先日一年生の孫朋樹が台所に置いてある調理用台計りを目敏く見つけ、貯金箱の重さを計り比べているのです。孫朋樹の貯金箱は千円札も入っているため余り重さは多くないため、小さなお金を入れてくれとせがみました。一年生なので大きなお金と小さなお金の値打を教えてやろうと、千円札と10円玉20枚の重さを目の前で計り比べて見せたら驚いていたようです。これもおじいちゃんならではの金銭教育なのです。

 間もなくささやかなわが家のボーナス日です。さて今年は幾ら入っているでしょうか。貧乏人のささやかなボーナスをどうか笑わないでください。


  「わが家では 貯金箱にて ボーナスを ささやかながら 夢を蓄え」

  「千円の お札と十円 玉重さ 計りで測る 孫は偉いな」

  「いかほども 入っていない 貯金箱 それでも夢は 夢ですからね」

  「年金は 年に六度の 給料日 ボーナスなきとて 不足は言えぬ」

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shin-1さんの日記

○私も加わったつくね芋料理

 「男子厨房に入るべからず」なんて言葉は私たちの年代は知っていても、若い人にとってはもう死語に近い言葉です。もしもこんな言葉を言ったりすると現代では遅れている人と軽蔑されたり、時には離婚騒動にもなりかねないのです。そんな石頭の私は未だに厨房は妻の仕事と決め、料理はおろか殆ど何にも出来ないのです。妻からは時々、「私が死んだらどうするの」と料理に手を出すよう誘われますが、「お前が死んだら考える」と反論し、朝食時などは相変わらず食卓で新聞を広げながらご飯を食べるグウタラ亭主なのです。

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 そんな私でもリタイアした最近では、たまに親類の漁師さんからお魚を貰うと、田舎ゆえ家の外に設えた流し台に立って魚の下ごしらえをしたり、敷地内の家庭菜園から野菜を収穫して来て洗ったりするのです。時には妻から「まあ珍しい、雨でも降らなければいいが」と皮肉を言われるものの、最後は「やればできるのね」とか「お陰で助かるわ」なんて言葉が返ってくるとついつい悪い気はしないのです。でも一度その気になって料理や台所仕事をやると、いつもやらなければならなくなるような恐怖感が先に立ち、今は何年か前に海外派遣の団長として訪ねたニュージランドでの影響で、自分の食べた物を流し台に片づけるくらいのことしかやっていないのです。

 昨日の夕方一緒に外出先から帰った妻が夕食の準備をしていて、台所から「ちょっと来て手伝って」と呼ばれました。書斎でメールの返信をしていましたが台所へ行ってみると、すり鉢につくね芋がすり下ろされてスリコギまで用意されているのです。「この仕事はあなたでないとできない」と持ち上げられたものですから、手を洗い腕をまくってすり始めました。確かにこの仕事は力仕事で2~3分もすれば腕がだってくるのです。それでもしっかりとすり、途中酢を入れたり少しの砂糖や醤油、それに削り節を入れて味を調えながらすって行くのです。ものの10分もすると美味しいとろろが出来上がりました。

 とろろは普通だし汁でのべるようですが、わが家は酢で味を調えます。やがて食卓の真ん中にとろろがすり鉢毎置かれ食事が始まりました。妻はこのとろろが大好物で、温かいご飯の上にかけて食べるのです。私はとろろは好きでもご飯の上に乗せて食べるのが嫌いで、皿によそって味付け海苔に来るので食べます。これが飛び切り美味しくてついつい食べ過ぎるのです。先日長野県南牧村から立派な長いもが今年も送られてきました。私はどちらかというとさっぱりした長芋の方が好きですが、妻はつくね芋のような粘り気がいいようです。夫婦ながら同じ食べ物でもこうも嗜好が違うのかと時々思いますが、生まれも育ちも違うので仕方がないことです。


 鍋ものはあまり好きでない私ですがこれから冬になると根菜類が美味しい季節になります。温かいものを食べると身も心も温かくなります。好きとか嫌いとかは料理に加わって初めて言える権利なのでしょうが、私にはまだそんなことを言える立場ではありませんが、将来の自立のために少しずつ料理にも口を出さず手を出して行きたいものだと、昨日の夜しみじみ思いました。

  「厨房に 入るべからず 俺古い 今の世の中 それこそ離婚」

  「手を出すと 料理が美味い 実感す お陰でつくね 余計に食べる」

  「長芋派 妻はつくね派 お互いが 五十歩百歩の 他愛を論ず」

  「結婚し 四十年に なるという 未だに好み 合わぬままにて」

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