shin-1さんの日記

○八万円の収入でも七万円で暮らせば一万円の黒字になる

 私の友人には官公庁に勤めている人が多いのですが、最近は会えば何処となく元気がなく不機嫌言葉が返って来るのです。その第一はやはり毎月いただく給料が年々右肩下がりで、夫婦の人間関係もこれが原因と言わんばかりの雲行きです。確かにこの数年世の中の不景気を反映して給料は横ばいならぬ右肩下がりの数字を指名しているのですから、子育てやマイホーム、マイカーなど、将来の生活設計さえも不安になるのですから、晴々しい顔など出来ないのです。今月は年に二度ある冬のボーナス月でしたが、前年比6パーセント減という話しを聞けば、昔ボーナスを貰っていた私だって同情するのですが、ボーナスどころか職さえもない人のことを思えば、それは甘えのような気もするのです。

 そんな中、強権傲慢ぶりが目立ってきた民主党小沢幹事長がソウル大学で講演し、学生の質問に対し「ニートは子どもを甘やかせている親が悪い」と答え波紋を広げています。一利あると拍手をしている人もいますが、不景気で就職内定率が下がる一方の国内事情を知っている人は、与党の幹事長の失言に顔を曇らせ、「ニートにならざるを得ない世の中を変える政治ができないのはあなたでは」とか、「毎月千五百万円もお小遣いをママから貰っている鳩山総理は親の甘やかせの代表ではないの」と様々な意見が飛び交っているようです。

 ある人は「あなたがニートで家に引きこもっているから、あなたに回る予定の仕事が相手に回るのです。どうぞご自由にニートや引きこもりをお楽しみください」と、むしろ意表を突く発言をして注目されていますが、年の瀬を控えこの寒空に働く場所も見つからず喰うものとてない人もいるのですから、戯言では済まされないのです。


 経済はいたって簡単で入力と出力のバランスです。十万円入っても十一万円使えば一万円の赤字です。逆に八万円しか入らなくても出費を七万円で収めれば一万円の黒字となるのです。こんな単純な計算が出来ない人が沢山いて、借金で首が回らなくなったり自己破産宣告する人も中にはいるのです。

 昔の人は借金を極端に恐れました。金を借りる苦しみは借りた人でないと分りませんが、保証人を立てて証文を書き金を借りるものの返せず、夜逃げをする話は落語の一節にも出てきます。今の世の中は殺菌は当然という風潮が強く、無担保でも本人を証明するものがあれば簡単に多少のお金を借りれるようになっています。どうやら世の中には儲けてから使うタイプと、使ってから儲けるタイプの二種類の人間がいるようです。

 儲けてから使うタイプの私も若いころは家を建てるためローンを組みました。一年に一回の銀行から届く返済結果報告書と将来の返済計画書を見て元金は減らず利子だけがやたらと大きい数字を見ていつもため息をついたものです。その甲斐あってローン完済しました。借金で思いは成就しマイホームを手に入れたのですが、ローンから学んだのは「借金はするな」でした。

 年金暮らしになった今は私のささやかで単純な経済学である「入るるを知りて出るを考える」生き方を、妻と二人でささやかながら実行しています。セミリタイアだった私も、いよいよ本当のリタイアとなりつつあり、つつましやかな暮らしに少しずつギアチェンジしているこの頃です。ただし心豊かに楽しく生きることをモットーにしながら生きています。


  「入りてから 使えばいいと 肝命じ 使ったお陰 借金もなし」

  「有り難い 世の中ですね 国民の 全てがまるで 公務員です」

  「どケチだと いわれるような 暮しより 節約術で 賢く生きる」

  「給料が 減ったと嘆く 人多し 仕方ないこと 嘆かず生きろ」

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shin-1さんの日記

○タバコ(酒)をやめるくらいなら死んだ方がましだそうです

 先日講義に行った大学で、昔から顔馴染みの大学の先生に出会いました。その先生は酒もタバコも大好きで、タバコはともかく酒は若いごろ二人で松山の飲み屋街を深夜まで呑み歩くなど、沢山の武勇伝が思い出されるのです。酒を飲みながらタバコを吸う姿を見て、知ったかぶりの健康知識で、「先生たばこのニコチンはアルコールに溶けて体内に入るので、酒を飲む時だけでもタバコを止めたら」と何度も進めましたが、われ関せずを貫いて今日に至っているのです。

 大学の構内で見かけた先生の頭は少々薄くなって幾分老けたようにも見えましたが、相変わらず講義棟の隅に置いてある灰皿を前にして、さも美味しそうにタバコを吸っていました。「先生まだタバコを吸っているの?、もうそろそろ止めないと健康に悪いよ」と声をかけると、「タバコを止めるくらいなら死んだ方がましだ」と、少し強気の返事が返って来ました。とっさに私は「死んだ方がましなら死んだら」と、とんでもない反論の言葉を返してしまったのです。これには先生も返す言葉もなく、「そのうちな」でその場は分れ私は講義のため教室へ向かいました。

 ある友人からある友人の話を聞きました。その友人は無類の酒好きで、「暇さえあれば酒を呑む」といった表現がぴったりの男です。前述の大学の先生同様私の呑み友だちでした。ところが数年前胃の不調を訴え入院してガンが見つかり、胃の全摘出手術を行いました。約一ヶ月の入院療養中何度か病院へ見舞いに出かけた折は、「もう酒はこりごりだ」と殊勝なことを言っていましたが、一年後の検査の折主治医が順調な回復だったので、「酒も百薬の長」などと、「少しくらい」の許可を得たそうです。最初はまさにたしなむほどでしたが、いつの間にか体が覚えていた酒の味を呼び覚まし、今では胃もないのに昔と変わらぬ量を呑んでいるようで、先日奥さんから私に、「酒はほどほどにするよう主人に言ってください」と頼まれました。「奥さんが言って治らないものは私が言っても治らない」と言いましたが、先日出会った折「奥さんが心配している。酒は病気もしたことだし止めたら」と言うと、「酒を止めるくらいなら死んだ方がまし」と反論し、むしろ酒を止めた私に向かって、「酒を止めて何が楽しいの?」とあざ笑われてしまいました。


 大学の先生も役場の友人も偶然注意して返ってきた言葉が、「タバコ(酒)を止めるくらいなら死んだ方がいい」でした。確かに酒もタバコも止めづらいものです。「生きていて何が楽しいの?」と言われれば返す言葉は「長生きがしたいから」くらいでしょうが、「じゃあ長生きをして何なの?。もっと生きている時に楽しまなくっちゃ」という理論も成り立つ訳です。

 私はタバコは飲まなかったので酒を止めるにはそれなりの勇気と覚悟が要りました。ましてや地域づくりの世界はコミュニケーションならぬノミュニケーションという言葉もあるほど酒がついて回ります。その度に呑みたい気持ちになるのも事実です。でも酒を止めて10年になりますが、止めて良かったとしみじみ思うのです。妻が私の石の強さを時々褒めてくれますが、大学の先生も、役場の友人も先日相次いで入院しましたが、退院しても相変わらずの体たらくです。私も人のことなど言えるいい人間ではありませんが、酒を止めて良かったとしみじみ思う今日この頃です。人間は命あってのものだねですから・・・・・・。


  「酒(タバコ)止めろ 諭す私に 何とまあ 死んだ方まし じゃあ死ねよ」

  「タバコ吸う 時間換算 して見ろよ  無駄の指摘も 煙に巻かれ」

  「タバコなど 百害あって 一利なし 税金払う 言い訳しきり」

  「酒止めた 止めたいうより 辞めたかな 七回止めた 友は止めただ」  

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