○
今朝勝手口の戸が開いて親父が「息子の風邪はまだ良くならないのか?」と心配してやってきたようです。それもそのはずもう3日間も親父の隠居へ行っていないのですから、息子恋しくなったのでしょう。妻いわく「まだ治らないようですよ」というと、「風邪が治るまで来なくていいから温たかくして寝とるように」と言って帰って行きました。親父は案外風邪に弱いので私が風邪を持ち込むと移って大変だからと思ったのでしょうが、有難いお言葉です。
風邪をひくと急に妻が優しくなるような気がします。「お粥を炊いたから食べて」とか「薬は飲んだの」とかいちいちうるさいくらい世話を焼いてくれるのです。年末の忙しい時期なので手助けしてもらおうと思って手ぐすねを引いていたでしょうに、これでは役に立つどころか足を引っ張る始末なのです。
風邪をひくと食欲が体を動かさないためか食欲がなく、何を食べても美味しくないのです。妻は体に良いものをと作ってくれるのですが、結局は喉に通らず、この3日間で少し痩せたのではないかと思うほど足元がフラフラするのです。病は気からといいつつ自分が病気になるとそんな気分にならないのももどかしい所です。
「お父さん、今晩は暖かいものを食べてさっと風呂に入って温まり、布団をかぶって汗を出しなさい」というので、風呂上りにたまご酒を呑んで早めに床につきました。病院で処方してもらった薬の中には眠り薬が入っているのか、ついウトウトして眠っていると、妻の言うとおり体中から汗が噴き出してきました。妻を起こして汗を拭いてもらいパジャマを着替えて床の中にもぐりこみました。
夢を見ました。友人たちと一緒に北海道に旅行しているのです。メンバーの中には10月20日に66歳で亡くなった友人の大森安幸さんもいました。私が声をかけるのですがどういう訳か一言も喋らず、デジカメで私の写真を何枚も撮ってくれました。ふと我にかえって夢から覚めるともう汗びっしょりでした。再び妻の介護?でパジャマを着替えましたが、妻は「お父さん、これで風邪は抜けるかも知れないね」と言ってくれました。
死んだ人が夢の中に出てきて、しかも私の写真を撮ってくれたのですから、年末までに仏壇に線香でもあげに行かなければなりますまい。
風邪は自問の登竜門だと思います。夢を見たり、ひょっとしたら肺炎になっているではとか、また人の優しさが心の琴線に触れるのです。そして早く元気になってあんなこともこんなこともしようと思いめぐらすのです。風邪をひいたくらいでこうですから病院に長期入院している人にとっては、当然色々なことを考えるはずです。時には悲観の谷底へ突き落されることもあるでしょう。日ごろ元気な私ゆえに弱者の気持ちなどには目を向けることもありませんでした。親父や妻が風邪をひいてもそのうち治るだろう、風邪くらいで弱音を吐いてと思っていましたが、少し心を改めてみたいものです。
私が書斎にこもってストーブの前でぬくぬくとパソコンをいじっている窓の外では90歳の親父が這いつくばるようにして庭の草をひいてくれています。本当は反対の立場なのにと思いながら、ただただ感謝の思いを込めて親父の姿を見ているのです。
親父は貧乏な家庭に生まれ辛酸をなめながら90歳まで生きてきました。親父などから比べると私は月とすっぽんです。小学校さえもロクに出ていない無知文盲ながら、人の道を自学で悟り、多くのことをなし得てきました。親父を見ながら親父のように強く生きたいと、自問の蓋を閉めました。
「風邪ひいて 自問の蓋を 開けつつ あれやこれやと 思いめぐらせ」
「風邪ひくと 妻が優しく なりにけり こんな優しさ すぐに現実」
「ストーブの 前でぬくぬく してるのに 九十親父 外で草ひく」
「九十の 親父息子の 風邪見舞い 心配掛けて 返す言葉も」