〇楽しかったコープえひめの忘年会
体の都合でお酒を全然呑まなくなった私ですが、師走に入ると会合に何だかんだと言い訳をつけて、忘年会の案内があちらこちらから舞い込みます。指折り数えてみると両手の指が全て折られてしまうほどすさまじい数です。昨日朝食の時妻が「お父さん、今日も夕食は要らないの」と聞くのです。「うん」とうなずくと妻は台所の残り少なくなったカレンダーを見て、「そういえば今月は殆ど家で夕食をしていない」と、少し不満げでした。そういえばそうだと納得しながら、「それでも昔のように迎えに来いと言わないのだからこらえなければ・・・」と追いうちの言葉をかけました。そう、酒をたらふく呑んでいた昔はたとえ午前様になろうとも公衆電話で家へ電話して迎えに来てもらっていたのです。私の妻のことをいつの頃からか友人たちは「10円タクシー」と呼ぶようになっていました。当時「10円タクシー」は帰り道をいいことに呑み友達を送迎したり、呑み足らない食い足らない私のわがままで飲食店に寄ったりと、わがまま放題に妻を使っていたのです。酒を飲まなくなってさすがに「10円タクシー」は姿を消しましたが、それでも夜の呑み会は留まるところを知らず、妻は今月も寂しい一人だけの夕食を食べているのです。
昨日はコープえひめの理事会が本部でありました。理事会は早く終わったのですが、忘年会は午後5時から西堀端の東京第一ホテルでの案内でした。久しぶりに少し時間が取れたので、あちらこちらへ年末のご挨拶にでかけました。日ごろ見慣れた光景の松山の街もすっかりクリスマスや師走のムードで、不景気といいながらやはり華やいだ雰囲気でした。
東京第一ホテルの立体駐車場に車を止めホテルのロビーへ入ると結婚式案内のカウンターで、双海町出身の女性職員に声をかけられました。今は社長が亡くなり廃業した武田電業の娘さんです。そういえばこの女性職員の兄さんの結婚披露宴の司会もしたなあと思いだしつつ懐かしい思い出話をしました。受付で駐車券に押印してもらい会場となっている2階へ上がり、受付で席くじを引き17番の指定席が決まりました。メインテーブルです。席には見慣れた女性理事さんが陣取り、大川理事長さんの今年締めくくりのご挨拶をいただき、乾杯で忘年会は始まりました。理事長さんの挨拶を聞きながら、そういえば今年も色々あったなあとコープをめぐる中国餃子事件などを思い起こしました。自分自身にとっては比較的穏やかな、それでいて忙し一年だったと述懐しました。
やはり女性が主導する忘年会は微細に凝っていて、色々な催しが企画され食事をしながら楽しい会話が飛び交いました。またクイズやお楽しみ抽選会も行われ、2時間があっという間に過ぎました。
最後は松本専務さんがあいさつとまちづくり締めでお開きとなりました。松本専務さんはいつも私のつたないブログを読んでいるようで、そのせいでしょうか会えば会話が弾み意気投合するのです。この夜も短い会話でしたが、温かい握手をしました。
追伸
私はこの夜、大川理事長さんの勧めで余興としてアドリブでハーモニカ+ショート落伍をやりました。飲むほどに酔うほどに盛り上がっていた会場の雰囲気を壊すこともなく、まあいいかと思いつつ、相変わらずの馬鹿げた出し物でお茶を濁してしまいました。この日コープ四国の梶原専務さんがコープ徳島に出向する人事が発令され忘年会で送別しました。新任地でも今まで通りご活躍されんことを祈っています。
「『今晩も 私一人で 夕食か』 ため息交じり 妻の一言」
「大川の 荒波けたて コープ船 今年何とか 岸漕ぎ渡る」
「花束を 受け取り去りし 人ありて 新任地での 活躍願う」
「指折れば 十指に余る 忘年の お茶を何倍 飲んだだろうか」